早速返事をくれた皆様ありがとうございます。やはり反応があるとうれしいですね!ところで今日は、我が家を家族離散状態に追い込んでいるアスマラの国連セキュリティーフェーズについてちょっと。
エリトリアには、2000年にエチオピアとの国境紛争が一応終わり、停戦協定に基づいてエリトリア、エチオピア両国にはいわゆる国連平和維持活動(UN Mission for Ethiopia and Eritrea:UNMEE)(www.unmeeonline.org)が駐屯しており、今も国境地帯のバッファーゾーンを警備管理しています。なぜ停戦から5年もたってもPKOが入っているのかを簡単にまとめると:
(1)そもそも98年から2000年のエリトリア、エチオピア国境紛争のきっかけになったバドメという村を、両国が合意し、AU(アフリカ連合)、EU、米国、そして国連が公認したアルジェ平和協定においてエリトリアへの帰属が決まったにもかかわらずエチオピアが占領したままである
(2)よって、両国の国境線は未だ合意されておらず緊張状態にある
(3)1の状態に対して国連をはじめとして国際社会はエチオピアに対して特に圧力をかけようとしない。何と言っても、エチオピアは人口約7000万人の地域大国、人口400万の小国エリトリアと比べると国際社会にも影響力強し。
(4)こういった膠着状態に痺れをきらしたエリトリアは、ただ駐屯しているだけのUNMEEに対して苛立ちを感じ、UNMEEに対しての昨年9月上旬から移動制限等を強めてきた
(5)移動制限などされると、UNMEEとしては通常の国境監視業務に支障をきたし、国境付近の安全保障に責任をもてない
それで、国連は国境地帯とスーダンに近い地域の安全基準(フェーズ3から4)をまずあげ、当該地域での外国人スタッフの常駐が禁止。その後は、あれよあれよで、首都アスマラ含めての全土の安全基準があがり(フェーズ1から2)、出張目的以外の移動が禁止、そして、ついに、全土の最低基準が家族の帯同が認められなくなるフェーズ3レベルにあがったのが昨年11月半ばでした。
UNMEEの活動に制限がでてからエリトリア、エチオピア両国とも国境付近に兵を集めていたのは事実のようです。また、2003年のバグダットテロ以降国連は、職員の安全管理に神経質になっているのもわかります。しかし、アスマラが一夜にしてフェーズ3になって、職員の家族は即時退去というのは本当に寝耳に水でした。
なぜならアスマラは恐らく、先進国も含めて世界でも最も治安の良い安全な首都だからです。南部アフリカに5年住んだものとしては、夜でも女性が街を歩けるというのは想像を超えた世界でした。
だいたい、このフェーズ3とそれ以上、アスマラ以外の世界中の首都で適応されているところを皆さんご存知ですか。アジアでは2つだけ。これは、バグダットとカブール!これはまあ理解できますよね。残り4つですべてアフリカ。まずは、映画Black Hawk Downで有名なソマリアのモガディシオ。ふむふむ。あとは、過去5年間で、国連機関の代表が2人は殺されているブルンジのブジュンブラ、最近までずーっと内戦状態だったリベリアのモンロビア、そして、シエラレオネのフリータウン。
このリストに去年の11月からアスマラが加わりました。やれやれ、何やねんこれって感じです。実際、米国やEU等の他の外交使節団の家族には退避命令など出ていませんし。
もちろん、このフェーズアップの後に、エリトリア政府はUNMEEに対してさらに態度を硬化し、12月中旬には、ほとんどは文民のUNMEEの欧米人スタッフ(カナダとロシアも含む)に対して強制国外退去命令を出しました。また先週に予定されていた米国の調停ミッションとの会合を拒否するなどますます過激ですから、今後の不確定要素は確かにありますがね。
とまあ、ぐだぐだと長くなってしまいましたが、背景お分かり頂けたでしょうか。添付の写真は、アスマラ市内を高台から眺めたものです。高度約2400mに位置する常春の高原。年間300日は抜けるような濃紺の青空です。
エリトリアには、2000年にエチオピアとの国境紛争が一応終わり、停戦協定に基づいてエリトリア、エチオピア両国にはいわゆる国連平和維持活動(UN Mission for Ethiopia and Eritrea:UNMEE)(www.unmeeonline.org)が駐屯しており、今も国境地帯のバッファーゾーンを警備管理しています。なぜ停戦から5年もたってもPKOが入っているのかを簡単にまとめると:
(1)そもそも98年から2000年のエリトリア、エチオピア国境紛争のきっかけになったバドメという村を、両国が合意し、AU(アフリカ連合)、EU、米国、そして国連が公認したアルジェ平和協定においてエリトリアへの帰属が決まったにもかかわらずエチオピアが占領したままである
(2)よって、両国の国境線は未だ合意されておらず緊張状態にある
(3)1の状態に対して国連をはじめとして国際社会はエチオピアに対して特に圧力をかけようとしない。何と言っても、エチオピアは人口約7000万人の地域大国、人口400万の小国エリトリアと比べると国際社会にも影響力強し。
(4)こういった膠着状態に痺れをきらしたエリトリアは、ただ駐屯しているだけのUNMEEに対して苛立ちを感じ、UNMEEに対しての昨年9月上旬から移動制限等を強めてきた
(5)移動制限などされると、UNMEEとしては通常の国境監視業務に支障をきたし、国境付近の安全保障に責任をもてない
それで、国連は国境地帯とスーダンに近い地域の安全基準(フェーズ3から4)をまずあげ、当該地域での外国人スタッフの常駐が禁止。その後は、あれよあれよで、首都アスマラ含めての全土の安全基準があがり(フェーズ1から2)、出張目的以外の移動が禁止、そして、ついに、全土の最低基準が家族の帯同が認められなくなるフェーズ3レベルにあがったのが昨年11月半ばでした。
UNMEEの活動に制限がでてからエリトリア、エチオピア両国とも国境付近に兵を集めていたのは事実のようです。また、2003年のバグダットテロ以降国連は、職員の安全管理に神経質になっているのもわかります。しかし、アスマラが一夜にしてフェーズ3になって、職員の家族は即時退去というのは本当に寝耳に水でした。
なぜならアスマラは恐らく、先進国も含めて世界でも最も治安の良い安全な首都だからです。南部アフリカに5年住んだものとしては、夜でも女性が街を歩けるというのは想像を超えた世界でした。
だいたい、このフェーズ3とそれ以上、アスマラ以外の世界中の首都で適応されているところを皆さんご存知ですか。アジアでは2つだけ。これは、バグダットとカブール!これはまあ理解できますよね。残り4つですべてアフリカ。まずは、映画Black Hawk Downで有名なソマリアのモガディシオ。ふむふむ。あとは、過去5年間で、国連機関の代表が2人は殺されているブルンジのブジュンブラ、最近までずーっと内戦状態だったリベリアのモンロビア、そして、シエラレオネのフリータウン。
このリストに去年の11月からアスマラが加わりました。やれやれ、何やねんこれって感じです。実際、米国やEU等の他の外交使節団の家族には退避命令など出ていませんし。
もちろん、このフェーズアップの後に、エリトリア政府はUNMEEに対してさらに態度を硬化し、12月中旬には、ほとんどは文民のUNMEEの欧米人スタッフ(カナダとロシアも含む)に対して強制国外退去命令を出しました。また先週に予定されていた米国の調停ミッションとの会合を拒否するなどますます過激ですから、今後の不確定要素は確かにありますがね。
とまあ、ぐだぐだと長くなってしまいましたが、背景お分かり頂けたでしょうか。添付の写真は、アスマラ市内を高台から眺めたものです。高度約2400mに位置する常春の高原。年間300日は抜けるような濃紺の青空です。
エリトリアと同じく国連セキュリティコード3のシエラレオネの首都フリータウンとカンビア県で仕事をしておりますが、私のケニアや南アフリカでの経験と比べても、どうしてここがフェーズ3なの?というくらい安全な印象を持っています。シエラレオネでの私の仕事についてはよろしければ私のブログ(http://kytanaka.blog31.fc2.com/)をご覧ください。では、また。単身赴任大変でしょうが、がんばってください。