日録

3月 11

伊吹隼人『狭山事件―46年目の現場と証言』を読む

 

伊吹隼人『狭山事件―46年目の現場と証言』を読む。読んでいて思いついたことをメモしておく。

「腕時計に関しては品触で『シチズン・コニー』となっているのに対し、後日発見されたものは『シチズン・ペット』で側番号も違っており、『すり替えられた』ものである可能性が高い。カバンの方はすでに見つかっていて詳細が分かっていたのに対し、腕時計は発見されず、仕方なく捏造したものの種類を誤ってしまった、ということだろうか」(p.127)

この件については最高裁が「側番号は、捜査官が品触れを作成するために見本として使用した同種同型の腕時計の側番号を軽率にもそのまま記載したことが証拠上明らか」と説明している。そもそも、警察が本当に証拠を捏造しようと思ったなら、なぜ品触れにある通りの腕時計を用意しなかったのか。やろうと思えば可能だったのに、なぜか警察はそうしなかった。そのことが逆に「捏造ではなかった」ことの証拠とも考えられる。したがって、発見された腕時計が品触れにあったものと違う、というだけでは捏造と判断できない。なお、被害者の遺品を見つけるための「特別重要品触」(1963年5月8日)が大変杜撰な代物であったことは、p.126-127にも述べられている。いわく──

「カバンについては、腕時計とともに『未発見品』として5月8日に警察から『特別重要品触』が出されているが、そのビラに記されている電話番号は狭山局の下2桁が入れ替わっており、武蔵局の方も市外局番がひとつ抜けている、という実にお粗末なものであった。仮に見つけた人間が電話をしたところで、警察に繋がることは無かったのである」

肝心の電話番号を間違えたぐらいだから(これも捏造だとはさすがに誰も言わない)、捜査官が側番号や型式についても単純ミスを犯した可能性は充分ある。

伊吹「被害者の家から家の所在地をちょっと聞いただけで、すぐ近くまで行けているのも不思議ですよね。判決では近所の家(内田宅。原文では「淵田」という変名)で最後に尋ねたことにはなっていますが、表札もない家(中田家)に間違わず入って、しかも自転車を納屋の中にまで置いていますし……」

石川一雄「それより脅迫状届けに行くのに、被害者の自転車に乗って近所の家で尋ねること自体が変でしょう。そこがもし、被害者の家だったらどうするんですか? そんなこと、どう考えたって有り得ないでしょう」(p.162)

いわゆる内田幸吉証言に関する発言である。しかし、当時の内田家には本当に表札がなかったのだろうか。もし「内田」という表札があったら、石川一雄が中田家と間違える恐れはなかったといえる。伊吹はなぜ、この肝心の点について突っ込んでいないのか。なお、現在の住宅地図を見ると内田家は「内田」と記載されているので、今はむろん表札があるものと推測できる。1963年5月当時はどうだったのか。仮に当時は「内田」という表札がなかったとしても、「そこがもし、被害者の家だったらどうする」というのは、当時の犯人に合理的判断力があったと仮定した上での反駁である。そして合理的判断力がある人間は、普通は女子高生を誘拐して犯して殺したりはしない。

伊吹「あの養豚場(石田養豚場。原文では「村田養豚場」という変名)は、”いたずらアンチャン”、不良のたまり場、って本に書かれてありますけど、やっぱりそうだったんですか?」

石川早智子「いろいろ書かれていますけどね。確かに、雇い主がものを盗んでこさせたりとか、そういうことはあったみたいです。でも、当時はちゃんとした教育を受けていなかった人や、字が書けなかった人たちも一杯いたし、そんな人たちにも働く場を与えていたっていう、そういう側面もあったと思う」(p.160)

答えになっていない。著者は石田養豚場の実態という「事実」を訊いているのに、その実態を知らない人間が「感想」を述べている。石田養豚場の元従業員だった石川一雄は、なぜ何も答えないのか。石田養豚場について都合の悪い話を隠しているとすれば、他のことに関しても都合の悪い話を隠しているのではないか。

伊吹「当時の報道や本の中では、石川さんを『乱暴者』『不良』みたいに書いてあるものもあれば、『おとなしい人』と書いてあるものもあります。失礼な質問かもしれませんが、実際はどうだったのでしょうか?」

石川早智子「報道側は犯人だと思えば、それに合わせて書きますからね……。ある一部分だけを見てすべてを判断するのは間違いだと思うんです」 (p.160)

これも答えになっていない。そもそも早智子夫人は一雄が55歳で仮釈放されてから2年後に一雄と結婚したわけで、事件当時の一雄がどんな人間だったかなど知る由もない。著者は事件当時の石川一雄の実態という「事実」を訊いているのに、その実態を知らない人間が「感想」を述べている。こういうのを普通は「はぐらかし」「誤魔化し」「話のすり替え」と呼ぶ。

逮捕前の石川一雄が農家の鶏5羽を盗んで首を絞めて食べたり、農協職員に因縁をつけて殴ったり、17歳の少年を2度にわたって殴打し怪我を負わせたり、杉柱材16本や茅120束を盗んだりといった犯罪行為を常習的に繰り返していたのは争いのない事実である。すなわち、狭山裁判一審第1回公判で指摘されているように、逮捕前の石川一雄は紛れもなく「愚連隊」の一員であった。当時の石川一雄を「どこにでもいるようなお兄さんだった」などと強弁する向きもあるが、片腹痛いというべきである。

したがって、これらの犯罪行為は、恐らく氷山の一角であろう。品行方正に生きてきた善良な人間がたまたま上記の犯罪だけに手を染めたというわけではなかろう。だから石川一雄は何も答えないのか。伊吹隼人は「いたずらアンチャン」などと表現しているが、いたずらというのはピンポンダッシュのような行為を指すのであり、石川ら石田養豚場の愚連隊連中がやっていたことは完全な犯罪である。小動物を殺す者は殺人に走りやすいという。腹が減ったからといって鶏を盗んで絞殺して食べる行為と、欲情したからといって女子高生をかどわかして犯して絞殺する行為は通底している。石川は、他にも答えられないことをやっていたのではないか。

────────────────

内田幸吉宅の表札について、伊吹隼人がインタビューの中で「何度か周辺もぐるっと回りましたが、表札が掛かっている家はN田家を初めとして皆無でした」と発言している( http://sayamac.blog21.fc2.com/blog-entry-95.html )。しかし、本当だろうか。http://g.co/maps/k9amx たとえばこの家なんか中田家のすぐ隣だが、どう見たって表札が掛かっている。それに住宅地図というのは表札がなければ住人の姓名は空白になる筈だが、この一帯の住宅地図を調べると、姓名が空白になっている家は見当たらない。