日録

3月 20

北口末広の学歴ロンダリングと解同エリートの朝鮮人差別

 

部落解放同盟中央執行委員の北口末広という男は「京都大学大学院(法学研究科修士課程)修了」を名乗っているにも拘らず、学部がどこの大学なのかは一切公表していない。最終学歴だけを見れば京大法学部出身と勘違いしそうだが、学部から京大か、いわゆる「学歴ロンダ組」かでは学力の上で大きな違いがある。学部の入試と大学院入試では倍率が全く違う上、筆記試験の点数の比重も違い、科目数も違うからである。

かねがね臭い経歴だと思っていたが、元・部落解放同盟員のブログによると、やはり北口の学部は京大ではないらしい。 

http://d.hatena.ne.jp/jimrogers/20061125

  書記長を大学生のころから存じ上げているので、彼の経歴紹介の学歴欄がどこでも京都大学大学院(法学研究科修士課程)修了と、だけなのは何でだろう?とずっと不思議に思っていた。

 どうして、卒業高校や卒業大学(当時は、関西の超バカダ大学と呼ばれていた。今は最低からかなりアップのレベル)の校名、彼の母校を必死で隠すんだろうかと。

 京都大学大学院(法学研究科修士課程)とだけ、記載している学者なんかおるか?これだけだと、いかにも京大卒業生みたいに思うやろ、ぷっ!見栄張るクンだ!

 よくも、まあ、あの偏差値ゼロ学生が京都大学の法学研究科へ入学できたもんだ、カラクリがバレなきゃいいか。そう言えば、有名な研究者がとりまとめ、部落解放同盟に提出したレポートをマル写しやって、卒論です、と提出し、卒業単位不足も、府連幹部が大学側を脅して偽装卒業。西●先生、お元気ですか?。えっと、この当人ではござんせんが。

「関西の超バカダ大学」「今は最低からかなりアップ」。どこの大学だろうか。

部落差別に反対して「自分のふるさとを隠すのはやめよう!」などと説いている人間が、出身大学を隠しているのは笑える話だ。母校だって「ふるさと」には違いないだろう。バカ大学出身をなぜ隠すのか、北口末広センセイよ。「京都大学大学院」の学歴で飾り立てた薄っぺらな「解放理論」のメッキが剥がれるからか。北口末広の「人権啓発講演料」が「2時間で10万から12万円」というのも考えさせられる話である。差別で金儲けしていいのか?

  以前の日記で、部落解放運動の特権階級のエリート教授について触れた。あともうひとり、民族差別なんかしない、ことで有名な方がいる。

 彼が部落解放同盟大阪府連合会の青年部役員をしていたころ、在日コリアンから糾弾を受けた。糾弾の具体的な流れの詳細は忘れたが、彼と交際していた女性が在日朝鮮人という理由で婚約破棄した有名な逸話、恥ずべき過去。

 彼が某労働組合の大会へ招かれ、演壇に立ったとき、野次が飛んだ。「お前なぁ、在日朝鮮人差別をして、恥ずかしくないのか」「婚約者はどうなっているねん」

 彼は「その件は謝罪して済んだことです」と居直った。この事件の数年あと、大阪の住吉区で部落出身であることを理由に、婚約者の男性の母親に結婚を反対された女性が自殺した。「住吉結婚差別事件」だ。この事件を仕切った大阪府連が「結婚差別反対」のキャンペーンを展開、その中に未来のエリート、民族差別をやってのけた彼がいた。結婚差別を無くす運動を主張する彼が、裏では同じことをやっているのだ。しかも彼は部落のエリート青年、解放理論もその優秀な頭脳に叩き込んでいるのに、何で愛し合った女性(朝鮮人)と結婚しなかったのだ。

 こんな人が運動団体の中心にいることが許せなかった。これがワタシから大阪府連幹部に対する「不信の第一歩」だった。

これも気になる話である。文末に「そんなこんなで、村越名誉教授、北口教授のますますのご発展をお祈りします」と書いてあるところから察すると、村越末男のことだろうか。しかし、村越がこんなことを告白しているのは読んだことがない。

 

こういった、己の差別行為を隠す人間が自分を棚に上げて他人の「差別行為」を糾弾しているわけだ。こんな偽善者どもが何を言おうが説得力ゼロ。社会が良くなるわけがない。

3月 18

松嶋尚美のおじが解同でヤクザで人殺しである件について

こんな記事を見つけた。「解放の道」(1971/12/15)より。

暴力分子を告訴告発

蛇草支部 傷害致死などで糾弾

 【東大阪】朝田一派の暴力集団の暴行にショックで死亡した中西イソエさん(六三)の葬式は五日午後三時、蛇草支部をはじめ大阪府下各支部代表約四百人の参列によっておこなわれました。
 中西さんの死因は、医師の診断で、朝田一派の暴行を受けたときのショックによる急性心不全と心筋こうそくであることがあきらかになり、また、遺体の右足関節部や左ヒザ付近に、けられて内出血をおこしたり、打ぼく傷がはっきりとあらわれていました。
 ところが、朝田一派の暴力集団は、破れんちにも中西さんが「病院にいこうとして河合・藤本らのデモに妨害されてショック死」と事実をごまかしたデマ宣伝をおこない、蛇草支部幹部にたいする中傷、ひぼうをおこないました。また、午後三時ごろ、中西さんの家にデモをかけ、「なにを泣いとるんや、泣くんやったら外に出て泣け」と口ぎたなくののしりました。そのあげく、中西さんの四男光男さんに暴力をふるって、全治一週間のケガをおわせるありさま。
 こうした、朝田一派の暴力にたいして、四日よるの決起集会の帰途、負傷させられた人たちは、暴力行為を指導した「解同大阪府連」の榎並明一、岡田繁次(行動隊長)および蛇草部落の暴力分子松島節夫・杉本和美らを、暴力行為および中西さんを傷害致死させたことをあげて告訴・告発しました。

蛇草の松島? もしや、と思って調べてみたら、やっぱりオセロ松嶋尚美のおじだった。部落解放同盟大阪府連合会蛇草支部副支部長、旧菅谷組系石田組元組員。 

3月 17

佐藤愛子の娘が書いた小説

佐藤愛子と田畑麦彦の間の娘である佐藤響子が、筆名で小説を出しているらしい。 

http://www.alchemisthands.co.jp/n0.html

糸杉紗依プロフィール
1960年生まれ。東京都出身。玉川大学卒。

作家 佐藤愛子を母に持つ。現在、一児の母。

1989年 デザイナー杉山弘幸と結婚
1996年 「ハロー・グッドバイ」(朝日新聞社)出版
1996年 「船はうたう」作詞。 NHKみんなの歌で放送される。
       作曲 杉山弘幸 
2008年 童話「わらべ不動」発表 画:杉山弘幸 

http://www.alchemisthands.co.jp/pro.html

杉山弘幸というデザイナーが佐藤響子の夫のようだ。佐藤愛子は『マドリッドの春の雨』の中で、響子とマドリードへ旅行した時のことを書き、風呂上りの響子の裸体を「陰毛がゴッホの糸杉のように上へ這い上がる」と描写していた。糸杉という筆名は、あるいはそこから取ったのだろうか。

吉行淳之介によると、

二十年ぐらい前、町の研究家で毛の相を見る人から何百枚も写真を見せてもらった。その時聞いた話では、一番怖いのは火焔不動型といって、毛が濃くて上に向かってガッと生えてるやつ。それにぶつかると身を滅ぼすそうだ。(『恐怖・恐怖対談』p.70-71) 

とのこと。佐藤響子の陰毛の相はこの型ではないのか。

それにしても、有名作家の娘ともなると、何の実績もないのにいきなり朝日新聞社から本が出せる。それはそれでもいいが、こういうことを許す朝日新聞が世襲議員を批判するのは片腹痛いと言うべきである。

3月 14

変なサイト

変なサイトを発見した。「無限回廊」http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/jiken.htm の記事をまるまるコピーした上で、記事中の単語をランダムにセックス関連のキーワードに置き換えたものらしい。

http://ceresios.com/

狭山事件の記事も

「寺尾正二裁判長は1974年(昭和49年)8月28日に神奈川県平塚市の団地で起きた、いわゆる若奥様の秘話!エッチな4610に東京ナンパの裁判長として関わった人物である。このエッチな4610でのちに陵辱された浅尾結衣(エッチな4610当時46歳)は1975年(昭和50年)10月20日、金髪の横浜放尿小田原支部でエッチな4610では、処女となり、エッチな4610の会員浅尾は乱交を希望していなかったが、弁護人が説得してエッチな4610の会員浅尾に乱交趣意書を書かせた。その後の東京ナンパが命じた精神鑑定では「パラノイアに罹患していて責任能力なしの状態にあった」とされたが、エッチな4610の会員浅尾は弁護人に相談もせずに乱交を取り下げてしまう。この乱交取り下げを有効と認める決定を下したのが寺尾正二裁判長である。」

「7月7日、東京ナンパ第4画像部の高木裁判長が事実調べを行わず、野外請求剃毛」

などとシュールな文章が並んでいる。何だ、これは。

http://ceresios.com/h4610/sayama.htm

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「狭山事件を検証する」のブログ主が伊吹隼人の『検証・狭山事件 女子高生誘拐殺人の現場と証言』を書評している。「やはり愁眉は第五章」などと書いているが、白眉と言いたかったのか。 

http://sayamac.blog21.fc2.com/blog-entry-95.html

3月 13

伊吹隼人の変節

『狭山事件-46年目の現場と証言』を書いた伊吹隼人という男。後で知ったが、この人は「狭山事件研究32年」というコテハンで2chに登場したことがあるらしい。

http://flowmanagement.jp/sayama-old/2ch/11.html

151 名前:狭山事件研究32年:2005/08/27(土) 13:58:40 ID:rNw7VOyl0
一応、簡単に私なりの見解を記しておきます。

結論から言うと、私はこれを必ずしも“冤罪事件”であるとは
思っていません。
ただ、石川氏の単独犯行もしくは複数で犯行を行った場合の「主犯」で
ないことは100%確信しています。
要は、石川氏が犯行計画の全容を知らされないまま、「お手伝い」など
をさせられた可能性はあるのではないかと・・・。

と、2005年当時は発言している。

ところが『狭山事件―46年目の現場と証言』を読むと「石川は冤罪に非ず」などという意見はおくびにも出していない。それどころか

「私は、死体発見現場付近からここ(石田養豚場─引用者註)に通い、両方に土地勘を持っていた従業員の一人ないし二人が実行犯であったとみている(ただし、筆者は石川一雄氏は想定していない)」(p.198)

「石川一雄氏を有罪とした確定判決の内容は無茶苦茶なものであった、と言わざるを得ない」(p.202)

「石川氏を支援する多くの人々が言うように、この”事件”は決してそれまで終わることはないし、また終わらせてはならないのである」(p.202)

などと、ありきたりな「石川冤罪説」に阿るような発言をしている始末である。

伊吹隼人は、この本を出すまでの4年間に意見が変わったのか、それとも「石川冤罪説」に逆らうようなことを書いたら解同にリンチ糾弾され、中核派や革労協や社青同解放派に襲撃されかねないと思ったのか。これは杞憂でも何でもない。何しろ相手は、裁判官を襲って負傷させたり裁判官の自宅に放火したりするような連中である。伊吹自身もインタビューで、「狭山事件の本の著者は脅迫や嫌がらせを受ける」との理由で覆面作家になった、と語っている( http://sayamac.blog21.fc2.com/blog-entry-95.html )。

ヒステリックに「石川青年を返せ!」「狭山差別裁判粉砕!」とアジる本、中立的なふりをしながら実は解同のドグマを垂れ流すだけの本、さらには「中田家の長兄が真犯人だ! しかも長兄は善枝さんと近親相姦の関係にあった!」などというポルノ小説まがいの妄想本に至るまで、狭山事件に関してはおかしな本が非常に多い。一方、これらのクズ本に冷静に突っ込みを入れる本は皆無に等しいのが現状である。なぜこんな惨憺たる状況になっているのかといえば、それはやはり「石川冤罪説」に逆らったためにテロ攻撃を受けた先例が存在するからではないか。これらのクズ本は、いわば解同というエセ人権団体の公認のもとに被害者やその遺族の人権を蹂躙し、新たな人権侵害という犠牲によって石川の無実を証明しようとした醜悪な悪あがきの軌跡である。

中田家の長兄は、「長兄真犯人説」や「近親相姦説」の喧伝者をなぜ名誉毀損で訴えないのか。一つには、解同ら犯罪組織の厄介さをよく知っているからであろう。逆に言えば、このことは犯罪組織の支援を喜んで受けてきた石川一雄という男の胡散臭さを如実に示しているともいえる。この日本では、有罪判決が確定した犯罪者には腫物に触れるような扱いをしなければならないのに、犯罪の被害者遺族には人権侵害の限りを尽くしてもお咎めなし、という理不尽なことが起こり得るのである。これはひとえに、政治的な暴力装置をバックに持っているかどうかという違いによる。再審無罪を勝ち得たわけでもないのに「冤罪の英雄」として月数百万円のカンパを受け、暴力集団に守られつつ不動産収入も得て悠々自適の老後を送る石川一雄と、何の組織的支援も受けられず「狭山事件の真犯人」「妹と近親相姦していた男」「真相を隠している怪しい男」の汚名を着せられて苦しんでいる中田家の長兄と、どちらが真の弱者であるかは知れたことだ。

本音では石川冤罪説を疑っていても保身上、シロだと言わざるを得ない──ぞっとする話である。日本には、未だに言論の自由はない。

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伊吹隼人、公式プロフィールでは「早稲田大学教育学部卒業」となっているが、2chでは別のことを書いている。本当はどうやら「慶應義塾大学文学部」が正しいらしい。

http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/archives/1298181618/  

915 : 狭山事件研究32年 : 2011/08/15(月) 15:54:43.50 ID:??? [818/892回発言]
まあ、私の文章にもちょっと説明不足の点があったかと思いますので、 
一応付記しておきますが、ここでいう「仮定の話」というのは、例えば 
「被害者と長兄の間で近親相姦があった」といった類の何の根拠も無い 
推論(妄想に近い)を指しています。 

これを始めてしまうと、もう丸っきり“面白半分のゲーム”になって 
しまうので、それだけは避けたい、という意味で書いています。 

あと、前スレをご覧になっていない方もおられるかと思いますので、 
私の履歴に関してももう1度簡単に記しておきます。 

現場近くに転居、現場近くの中学校を卒業(市立図書館でたまたま 
狭山事件関係の書籍を読んで興味を持つ)。 
            ↓ 
県立K越高校卒業(これもほぼ地元。この頃も現場巡りに夢中)。 
            ↓ 
都内に転居。都内・三田にある大学の文学部を卒業。 
            ↓ 
大手旅行代理店に就職、川越営業所勤務となる。  
主に狭山・所沢地区の修学旅行を担当(イヤでも毎日現場付近を 
回ることに。←途中では関係者に出会うこともしばしば)。 
            ↓ 
退職。28歳で教員採用試験に合格。某高校の国語教師となる。 
            ↓ 
          現在に至る。 

と、まあ、こういう訳です。 

教師か。そりゃ、解同のイデオロギーに逆らえないわけだ。下手したら「矢田事件」や「久保事件」の二の舞になりかねない。

3月 11

伊吹隼人『狭山事件―46年目の現場と証言』を読む

 

伊吹隼人『狭山事件―46年目の現場と証言』を読む。読んでいて思いついたことをメモしておく。

「腕時計に関しては品触で『シチズン・コニー』となっているのに対し、後日発見されたものは『シチズン・ペット』で側番号も違っており、『すり替えられた』ものである可能性が高い。カバンの方はすでに見つかっていて詳細が分かっていたのに対し、腕時計は発見されず、仕方なく捏造したものの種類を誤ってしまった、ということだろうか」(p.127)

この件については最高裁が「側番号は、捜査官が品触れを作成するために見本として使用した同種同型の腕時計の側番号を軽率にもそのまま記載したことが証拠上明らか」と説明している。そもそも、警察が本当に証拠を捏造しようと思ったなら、なぜ品触れにある通りの腕時計を用意しなかったのか。やろうと思えば可能だったのに、なぜか警察はそうしなかった。そのことが逆に「捏造ではなかった」ことの証拠とも考えられる。したがって、発見された腕時計が品触れにあったものと違う、というだけでは捏造と判断できない。なお、被害者の遺品を見つけるための「特別重要品触」(1963年5月8日)が大変杜撰な代物であったことは、p.126-127にも述べられている。いわく──

「カバンについては、腕時計とともに『未発見品』として5月8日に警察から『特別重要品触』が出されているが、そのビラに記されている電話番号は狭山局の下2桁が入れ替わっており、武蔵局の方も市外局番がひとつ抜けている、という実にお粗末なものであった。仮に見つけた人間が電話をしたところで、警察に繋がることは無かったのである」

肝心の電話番号を間違えたぐらいだから(これも捏造だとはさすがに誰も言わない)、捜査官が側番号や型式についても単純ミスを犯した可能性は充分ある。

伊吹「被害者の家から家の所在地をちょっと聞いただけで、すぐ近くまで行けているのも不思議ですよね。判決では近所の家(内田宅。原文では「淵田」という変名)で最後に尋ねたことにはなっていますが、表札もない家(中田家)に間違わず入って、しかも自転車を納屋の中にまで置いていますし……」

石川一雄「それより脅迫状届けに行くのに、被害者の自転車に乗って近所の家で尋ねること自体が変でしょう。そこがもし、被害者の家だったらどうするんですか? そんなこと、どう考えたって有り得ないでしょう」(p.162)

いわゆる内田幸吉証言に関する発言である。しかし、当時の内田家には本当に表札がなかったのだろうか。もし「内田」という表札があったら、石川一雄が中田家と間違える恐れはなかったといえる。伊吹はなぜ、この肝心の点について突っ込んでいないのか。なお、現在の住宅地図を見ると内田家は「内田」と記載されているので、今はむろん表札があるものと推測できる。1963年5月当時はどうだったのか。仮に当時は「内田」という表札がなかったとしても、「そこがもし、被害者の家だったらどうする」というのは、当時の犯人に合理的判断力があったと仮定した上での反駁である。そして合理的判断力がある人間は、普通は女子高生を誘拐して犯して殺したりはしない。

伊吹「あの養豚場(石田養豚場。原文では「村田養豚場」という変名)は、”いたずらアンチャン”、不良のたまり場、って本に書かれてありますけど、やっぱりそうだったんですか?」

石川早智子「いろいろ書かれていますけどね。確かに、雇い主がものを盗んでこさせたりとか、そういうことはあったみたいです。でも、当時はちゃんとした教育を受けていなかった人や、字が書けなかった人たちも一杯いたし、そんな人たちにも働く場を与えていたっていう、そういう側面もあったと思う」(p.160)

答えになっていない。著者は石田養豚場の実態という「事実」を訊いているのに、その実態を知らない人間が「感想」を述べている。石田養豚場の元従業員だった石川一雄は、なぜ何も答えないのか。石田養豚場について都合の悪い話を隠しているとすれば、他のことに関しても都合の悪い話を隠しているのではないか。

伊吹「当時の報道や本の中では、石川さんを『乱暴者』『不良』みたいに書いてあるものもあれば、『おとなしい人』と書いてあるものもあります。失礼な質問かもしれませんが、実際はどうだったのでしょうか?」

石川早智子「報道側は犯人だと思えば、それに合わせて書きますからね……。ある一部分だけを見てすべてを判断するのは間違いだと思うんです」 (p.160)

これも答えになっていない。そもそも早智子夫人は一雄が55歳で仮釈放されてから2年後に一雄と結婚したわけで、事件当時の一雄がどんな人間だったかなど知る由もない。著者は事件当時の石川一雄の実態という「事実」を訊いているのに、その実態を知らない人間が「感想」を述べている。こういうのを普通は「はぐらかし」「誤魔化し」「話のすり替え」と呼ぶ。

逮捕前の石川一雄が農家の鶏5羽を盗んで首を絞めて食べたり、農協職員に因縁をつけて殴ったり、17歳の少年を2度にわたって殴打し怪我を負わせたり、杉柱材16本や茅120束を盗んだりといった犯罪行為を常習的に繰り返していたのは争いのない事実である。すなわち、狭山裁判一審第1回公判で指摘されているように、逮捕前の石川一雄は紛れもなく「愚連隊」の一員であった。当時の石川一雄を「どこにでもいるようなお兄さんだった」などと強弁する向きもあるが、片腹痛いというべきである。

したがって、これらの犯罪行為は、恐らく氷山の一角であろう。品行方正に生きてきた善良な人間がたまたま上記の犯罪だけに手を染めたというわけではなかろう。だから石川一雄は何も答えないのか。伊吹隼人は「いたずらアンチャン」などと表現しているが、いたずらというのはピンポンダッシュのような行為を指すのであり、石川ら石田養豚場の愚連隊連中がやっていたことは完全な犯罪である。小動物を殺す者は殺人に走りやすいという。腹が減ったからといって鶏を盗んで絞殺して食べる行為と、欲情したからといって女子高生をかどわかして犯して絞殺する行為は通底している。石川は、他にも答えられないことをやっていたのではないか。

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内田幸吉宅の表札について、伊吹隼人がインタビューの中で「何度か周辺もぐるっと回りましたが、表札が掛かっている家はN田家を初めとして皆無でした」と発言している( http://sayamac.blog21.fc2.com/blog-entry-95.html )。しかし、本当だろうか。http://g.co/maps/k9amx たとえばこの家なんか中田家のすぐ隣だが、どう見たって表札が掛かっている。それに住宅地図というのは表札がなければ住人の姓名は空白になる筈だが、この一帯の住宅地図を調べると、姓名が空白になっている家は見当たらない。

2月 27

拝啓 石川一雄様

拝啓 石川一雄様

あなたは狭山事件に関して冤罪を主張なさっておいでですが、それならば以下の事実をどのようにご説明なさるのでしょうか。

1.脅迫状における「時」の字の「土」の部分は「主」の崩し字となっていた。石川さんによる上申書でも「時」の「土」の部分が「主」と誤記されていた。

2.脅迫状における以下の特徴が、石川さん自筆の早退届や上申書にも表れていた。
①平仮名で「つ」と書くべきところを片仮名で「ツ」と書くこと。
②日付の記載は漢数字とアラビア数字を混用すること。
③助詞「は」は「は」と「わ」を混用すること。

3.脅迫状では「一分出もをくれたら」「車出いツた」「死出死まう」などと「で」が「出」と表記されていた。石川さん自筆の手紙でも「来て呉れなくも言い出すよ」「あつかましいお願い出すが」などと「で」が「出」と表記されていた。

4.石川さんは脅迫状を中田家に届けに行く途中、鎌倉街道で自動三輪車に追い越されたと供述している。この自供の後、警察が証人を探したところ、確かに同時刻に鎌倉街道を自動三輪車で通ったという証人(吉沢栄さん)が見つかった。

5.中田善枝さんの遺体を縛る時に用いた手ぬぐいは「五十子米屋」が165本配布したうちの1本であり、同じくタオルは「月島食品工業株式会社」が配ったうちの1本だったが、追跡の結果、 石川さんはこれらを両方とも入手し得たごく少数の1人と判明した。

6. 中田登美恵さん、ならびに同行の狭山市立堀兼中学校PTA会長の増田秀雄さん (身代金受け渡しの際に犯人の声を聞いていた)が、犯人の声と石川さんの声はよく似ていると証言した。

以上をふまえ、冤罪の申立が正しいと仮定すると、こうなります。

──石川一雄さんと「たまたま」同じ誤字を書き、「たまたま」同じ用字上の特徴を持ち、「たまたま」石川さん同様に珍しいタオルや手ぬぐいを2枚とも入手できる立場にあり、「たまたま」石川さんとよく似た声をしている別人が中田善枝さんを誘拐し、強姦し、殺害した。これだけ証拠が揃っていても警察は満足せず、吉沢証言をでっち上げて石川さんを陥れた──

裁判所が、こういう不合理な解釈を採用しないのは当然のことです。「石川さんが犯人だ」と認定するのが当り前です。だから石川さんは有罪になりました。

石川一雄さんの弁護団が熱心に100万人もの署名を集めて48年間も無罪を主張し続けているのに有罪判決が覆らないのはそういうわけです。真犯人はあなただからです。
あなたが被差別部落出身であること、事件当時たまたま反体制運動が盛り上がっていたこと、あなたが教育に恵まれず「文盲」という自己申告を額面通りに受け取られやすい立場だったこと、あなたの不遇な生い立ちが単純な人々の優越感をくすぐり庇護欲をかきたてたこと、社会的弱者であれば李珍宇でさえ同情される異常な社会風潮があったこと、「差別」を持ち出されれば不正にも目をつぶってしまう間違った良心を持つ人たちがいたこと、あなたを支援する「進歩的文化人」が当時きわめて尊敬されていたこと、あなたを支援する部落解放同盟が世論の動向に大きな影響力を持っていたこと、あなたを支援する旧社会党が当時は結構な権力を持っていたこと、警察の捜査に失態が多く、世論が警察に不信の目を向けていたこと、これら全てが、あなたが命がけの嘘をつきとおす上で幸いしました。
もっとも、さすがに裁判官の目までは誤魔化せませんでしたが、偽りの「冤罪」を主張して世論を欺き、
「冤罪ヒーロー」「人権英雄」になりおおせるという戦略は成功したようですね。罪を認めず反省もしないまま仮釈放を勝ち得た手品の腕前も含め、お見事というほかありません。恥ずべき強姦殺人鬼として一度は死刑判決を受け、絞首台の手前まで行ったのに「英雄」として生還したあなたは、フーディーニからも脱帽されるであろう天才奇術師です。



でも早く真人間になって下さい、石川一雄さん。まだ頭がはっきりしているうちに真相を公表して下さい。公表したからといって仮釈放が取り消されることはありません。
 
もっとも、あなたが虚言で手に入れた富や名声は全て失うことになり、支援者たちもメンツを失い、再審請求運動のカンパにたかって生きている関係者は路頭に迷うことでしょうが。しかしそれでも、あなたが嘘を認めない限り、善枝さんは永遠に成仏できません。

あなたが仮釈放後もご両親のお墓参りに行けないのは当然ですよね。

泉下のご両親は、あなたがやってしまったことをもう知っているでしょうから。
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 これまで同賞は、山田悦子さん(甲山事件)、免田栄さん(免田事件)、石川一雄さん(狭山事件)など長年にわたり冤罪と闘ってこられた方々、そうした冤罪被害者を支えて闘ってきた弁護士の安田好弘さん、救援連絡センター、「死刑廃止フォーラム90」などに贈られています。

再審無罪になった山田悦子や免田栄と、仮出獄中の無期懲役囚の石川一雄が平然と同列に置かれている。これぞ狂気の世界なり。
狭山弁護団は被害者と同じ重さ(54キロ)の人形を前にかかえて自白通りに200メートル運べるかどうかを実験したというが、これも気違い沙汰だろう。人形をかかえる人間は、事件当時の石川一雄と同じ若さと同じ体力を持ち、人を殺した直後と同じだけ必死になっていなければ科学的再現性がない。二審第18回公判に出廷した東島明(石田養豚場における石川の元同僚)の証言によると、当時の石川は「人一倍力があって負けず嫌いの男」だったという。
 
2月 25

狭山事件をめぐる大江健三郎の珍論理

まことに奇妙な記事を見つけた。『解放新聞』から引用する。

脅迫状は被差別部落の人間が書いたものではない

「ご夫妻のご健在のうちに再審の光が大きく輝くことをねがっています」とのメッセージが、ノーベル賞作家の大江健三郎さんから石川一雄さんに届けられた。これは岩波書店の新刊、『小説の方法』の著者の大江さんが、著書を石川さんに贈呈し、本の扉にこのメッセージが書かれていたもの。大江さんの狭山再審への思いが切実に伝わってくる。
大江さんは、9月に朝日新聞での連載コラム「定義集」でも、国語学者で、いまは亡くなられた大野晋さんが、狭山事件の脅迫状は「学力の低い人間を犯人像として描くことを期待したものと思われる。しかし、作為の弱点が伴うのであって、脅迫状における漢字使用の不自然さ、そして学力の高さは、作為の仕方においてむしろ逆に顕在化しているのである」としたことを引用し、「裁判官は大野論文をしりぞけたのでしたが、国語学者としての綿密な読みとりが社会的発言に役立つことを、スッキリ証明する文章です。しかも不正義への烈々たる闘志は、これこそ知識人のものでなければならない、と胸にきざんだのを思い出します」と綴っている。
大江さんは、1977年1月に作家の野間宏さんらがよぴかけて桔成された「狭山事件の公正裁判を求める会」の討論集会にも参加し、大野晋鑑定を評価しながら、「脅迫状は、虚構の文章を書くことによって、かえって犯人自身を明らかにしている。脅迫状を書いた人間は、架空の人物を思い描くに当たって、その人物に対して差別的な気持ちや敵意をもっている。つまり、被差別部落の人間を設定して書いている。少なくとも被差別部落の人間が書いたものではない」と発言している。

http://www.bll.gr.jp/news2011/news20111031-2.html

変な論理である。メチャクチャだ。まず「脅迫状は、虚構の文章を書くことによって、かえって犯人自身を明らかにしている」。ここまではいい。

「脅迫状を書いた人間は、架空の人物を思い描くに当たって、その人物に対して差別的な気持ちや敵意をもっている」。おや、なぜ「架空の人物」だと最初から決めつけているのだろう? もし脅迫状の筆者が石川一雄以外にいるとするなら、石川の用字上の癖や筆跡を研究して意図的に真似たとしか思えないではないか(「狭山事件ふたたび」のエントリを参照)。

「つまり、被差別部落の人間を設定して書いている。少なくとも被差別部落の人間が書いたものではない」。支離滅裂である。「つまり」というが、前の文から全く繋がっていない。仮に何者かが奸策を弄して石川を陥れようとしたと想定しても、真犯人が石川同様に被差別部落の人間である可能性までは論理的に否定できるものではない(一部には部落民の石田登利造が真犯人だという説もある)。そもそも 被差別部落の人間であることと、大野晋のいう「学力の低い人間」であることの間には何の関係もない。米田庄太郎のような碩学の存在がその証拠である。灘本昌久先生も属人主義的には「被差別部落の人間」だね。

この奇怪にねじれた論理から判るのは、「被差別部落の人間は学力が低い」と決めてかかっているのは他ならぬ大江健三郎自身らしいということである。差別意識を持つ人間がそれを隠すため、反動形成により「反差別主義者」の雛形を演じることは多々ある。同性愛者がそれを隠すため、反動形成により「マッチョ」の雛形を演じるようなものだ。あるいは、田舎者がそれを隠すため、反動形成により「ステレオタイプな都会人」の雛形を演じるようなものだ。大江の場合も、その一例であろう。まさに「差別主義者は、偽りの反差別論を書くことによって、かえって本心を明らかにしている」といったところか。こういった愚劣な珍発言を、ノーベル賞作家による石川一雄擁護論というだけの理由で嬉々として掲載している『解放新聞』編集部の頭の悪さと卑屈さには呆れる他ない。

そういえば小松川事件の李珍宇の異常行動(自らが強姦して殺した女子高生の死体の上に30分間腰掛けていた)が話題になった時、

しかし、それが当局のいうように異常な事実だろうか。生きている人間に腰かけることはむつかしい。しかも三十分腰をかけていることは不可能にちかいだろう。しかし、死体に腰をかけることは難しいとはいえない。

と、無茶苦茶な理屈で李珍宇にシンパシーを表明したのも大江健三郎だったなあ。昭和30年代から40年代にかけて、李珍宇(在日)だの石川一雄(部落)だの金嬉老(在日)だの永山則夫(貧困母子家庭出身、中卒上京組)だのといった「社会的弱者」による殺人がやたら同情され英雄視された異常な時代があったが、石川一雄冤罪説を唱えているような連中は、いってみればそういう狂気の時代の生き残りなのだろう。まさに「造反有理」。「被差別者絶対正義真理教」の集団ヒステリー。

こういう連中にとっては、たとえ石川一雄が「私は本当に善枝さんを殺しました。冤罪だと言っていたのはウソでした」と大っぴらに認めたとしても大した問題ではないのかもしれん。事実、冤罪説など存在しない金嬉老や永山則夫に関しても「差別の犠牲者」として英雄視するキチガイはいるからな。

しかし残念ながら、もはやこういった「被差別者絶対正義カルト」が一般人の支持を得られないことは自明だろう。2002年に被差別部落民・坂本正人が起こした群馬女子高生誘拐殺人事件(手口といい身代金の額といい、まるで模倣犯かというほど狭山事件と似ている)はほとんど社会的注目を浴びなかった、そのことが証拠だ。あのとき「差別の犠牲者の坂本青年を救え」という声はどこにも聞かれなかった。

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http://www.zenkokuren.org/2008/08/post_196.html

中核派系列の全国連(部落解放同盟全国連合会)が、冤罪説の立場から証拠開示を呼びかけている。この記事の筆者が詭弁を弄していることは、冒頭を読んだだけでも一目瞭然である。

寺尾確定判決では、「自白に基づいて捜査した結果発見するに至った証拠」として、カバン、万年筆、腕時計の「3大物証」と吉沢栄証言の4つがあげられています。とくに「3大物証」は、真犯人しか知らない秘密の暴露によってみつかった証拠であるとして、寺尾確定判決を支える重要な役割をはたしてきました。しかし、真実は逆です。「3大物証」は、すべてが警察によるねつ造であり、石川さんの無実を証明しているのです。このうち腕時計については、本ニュース138号(07年7月発行)でとりあげましたので、今回はカバンと万年筆についてみていきます。

「カバン、万年筆、腕時計の「3大物証」と吉沢栄証言の4つがあげられています」と言いながら、秘密の暴露にかかわる重要な吉沢栄証言については無視。石川一雄の用字法や筆跡や誤字の癖がそっくりそのまま脅迫状に表れている件についても、言及なし。冤罪という結論を最初に決めて、結論に都合の悪いことを無視して論理を組み立てていることがよくわかる。こうなると、もはやカルト宗教の世界に近い。

2月 24

狭山事件ふたたび

部落解放同盟のプロパガンダやマスコミの扇情的な報道はとかく俗耳に入りやすいが、読みにくいのを我慢して狭山事件再審請求棄却時の最高裁判決を読むと、案外まともなことを言っていることに気付かされる。少なくとも、強力な弁護体制に支えられているにも拘らず石川一雄が有罪とされ、未だに有罪判決が覆っていないのはそれなりの根拠と理由があってのことと納得できる内容であった。解同は何かというと冤罪説の根拠として「鴨居から突然出てきた万年筆」の不自然さを引き合いに出すが、仮に万年筆など出て来なかったとしても石川は有罪判決を免れなかったことだろう。それぐらいこの男の身辺は胡散臭いことだらけである。ほぼ真っ黒に近い灰色と言って過言でない。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319125335263203.pdf

  1. 石川一雄は家族と口裏を合わせてアリバイを偽っていたこと。 
  2. 石川一雄は読売新聞や競馬予想欄を読む程度の国語力があり、小学校低学年程度の漢字知識しかなかったとは到底考えられないこと。 
  3. 石川一雄が警察署長に書いた上申書と脅迫状では筆勢が違うというが、書いた時の心理状態が違えば筆勢が違ってくるのも当然であること。
  4. 脅迫状では「時」という字の「土」の部分が「主」の崩し字となっているが、石川による警察署長あて上申書でも「時」の「土」が「主」と誤記してあること。
  5. 平仮名の「つ」を「ツ」と書く奇癖が脅迫文と共通していること。  
  6. 事件当時(1963年)の石川は万年筆と無縁だったと弁護側は主張しているが、石川の友人は「1962年から1963年ごろ、石川から万年筆を借りたことがある。石川は青インクの小瓶も持っていた」旨を証言していること。

などが指摘されている。人間には自ら学ぶ能力があり、学校教育は往々にして学習のきっかけを提供するに過ぎない以上、「石川さんは小学校の途中までしか教育を受けていなかったから事件当時の国語力は小学校低学年並みだった」という主張は必ずしも額面通りに受け取れない。人は学校で正式に教わったことしかできないわけではないからである。読み書きのような日常生活に直接かかわる能力なら尚更である。現に石川は14歳の時、住み込みで働いていた靴屋の店主の妹から3ヶ月にわたり平仮名や漢字を習い、得意先の氏名を漢字で書いていたことが上記判決文で明らかにされている。

これらの指摘に対して、解同を始めとする石川シンパがきちんと反論しているのを見たことがない。都合の悪いことは全て差別、という朝田理論で裁判に勝てないのは当然の話である。

なかんずく「時」の「土」を「主」で書くのはかなり変わった癖と言わねばなるまい。こんな奇妙な書き方をする人間がそうそういるだろうか。大いに疑問とせざるを得ない。

また、石川の弁護人は

「脅迫状には部分的に字が大きく書かれている箇所があるが、このような手法は詩文にみられる手法であり、欧米や我が国の詩文に精通した者でなければこのような手法を用いることはできない」

などと荒唐無稽な申立をしていたことも上記判決文に書かれているが、無論この申立は「独自の見解」と一蹴されている。おおかたアポリネールや萩原恭次郎あたりの前衛詩からの連想でこういう馬鹿げた理屈を思いついたのだろうが、いったい石川の弁護人は「部分的に文字を大きく書いているのは詩に詳しい証拠だ。だから詩に詳しくない石川さんは無実だ」などというこじつけが本当に通ると思っていたのだろうか。ダメ元で言ってみただけにしても、まさに噴飯物というほかない。こういった無理な弁護は処罰の対象にはならない代わり、安田好弘の「ドラえもん理論」同様に当該弁護人の信頼性を大きく失墜させる。いわば、それ自体が罰である。恥ずかしくないか、解同の御用弁護士の中山武敏さんよ。

脅迫状に石川の指紋がついていなかった件も、解同に言わせると「石川さんが犯人だったら指紋がついていないわけがない。真犯人は他にいるはずだ」ということになるが、最高裁判決には

「申立人の自白には出ていないからといって、申立人が指紋付着を防ぐ処置を講じていなかったとも決めつけるわけにはいかない」

とある。至極もっともと言うべきである。なぜテレビは、こういった判決文の内容を具体的に報じないのか。報じると解同から「差別者」のレッテルを貼られて嫌がらせを受けるためか。あるいは、辛気臭い判決文なんかちまちま紹介するよりも、お茶の間にわかりやすい「悲劇のヒーロー」を提供する方が視聴率アップに役立つからだろうか。

普通、こういった事件に関しては「あいつは無実だ」という説と「いや、本当にあいつが犯人だ」という説の両方が出てくるものである。しかし、狭山事件に関しては石川犯人説を伝えるメディアが現在ほとんど存在しない。1969年に解同が石川支援の特別決議を採択して以降は一貫して石川犯人説が一種のタブーであり続けている。冤罪説を批判する言説は、テレビにも新聞にもまず登場しない。再審無罪が確定したわけでもないのになぜか狭山事件は「冤罪」とされ、石川一雄は免田栄など正真正銘の冤罪犠牲者と同様に「さん」付けで報じられている。これは異常なことというべきである。「部落民の石川さんを犯人扱いするのは差別だ」という暗黙の合意があるのだろうか。しかし、本当に罪を犯したなら部落民だからといって免罪はされないし、されるべきでもない。

http://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw/sayama/photos/hiseki2.gif

筆跡について言えば、石川一雄の特徴と脅迫文の筆者のそれは、解同が必死で相違点を喧伝している割にはかなりよく似ているように見受けられる。具体的に言うと──

  1. 「な」の右半分を一筆で「子」の草書体のように書く癖。(「な」は「ナ」と「よ」を組み合わせるように書く方が一般的である)
  2. ほぼ同じ角度で右向きに傾いた「た」「す」。
  3. 第一筆と第二筆と第三筆がほぼ平行で漢字の「川」のように見える「ツ」。
  4. 「1」と「ろ」を組み合わせた不恰好な「わ」の書き方。(余談だが、自分個人はこういう「わ」のくどさが嫌いで「1」と「う」を組み合わせるような書き方にしている。第二筆の書き方は他にもあり、「わ」は人によってかなり個性が分かれる字である) 

などである。脅迫状の文字は極めて特徴的な癖字であり、赤の他人の間でここまで書き癖が一致することは考えにくい。想像だが、石川は「ツ」を自分の苗字に含まれる「川」に似た字として覚えたのではないだろうか。

なお、解同による上記リンクでは「な」の書き方について「脅迫状は例外なく第一筆と第二筆が連続しているのに対し、上申書は連続していない」などと説明している。しかし、上記の最高裁判決によると、知人あての1963年の手紙には「な」の第一筆と第二筆を連続させたものが存在している、とのことである。

用字法についても、脅迫状に見られる特徴と石川のそれが酷似していることは1977年の最高裁判決で指摘されているところである。いわく──

なお、本件脅迫状の文中には、平仮名の「つ」を書くべきところは、すべて片仮名の「ツ」を用いており、また、日付の記載は、漢数字とアラビア数字を混用しているほか、助詞「は」は、「は」と「わ」を混用しているが、それらと同じ用法が、被告人自筆の昭和三三年五月一日付早退届(同押号の五八)、同三八年五月二一日付上申書(同号の六〇)並びに記録中の被告人の司法警察員及び検察官に対する供述調書添付図面の被告人自筆の説明文中に随所に見られ、顕著な特徴として挙げることができる。更に、本件脅迫状の文中には、「一分出もをくれたら」、「車出いツた」、「死出死まう」など五か所において、「で」の当て字に「出」の字が用いられているが、被告人自筆の被告人からApあて(昭和三九年)八月二一日付の手紙(東京高裁昭和四一年押二〇号の四)の文中にも、「来て呉れなくも言い出すよ」、「あつかましいお願い出すが」と書かれていて、本件脅迫状におけると同じように、「で」の字に「出」の字を当てているのは、単なる偶然とはみられない。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319120312822127.pdf

冤罪説に立つ者は、一体この事実をどのように説明しているのだろうか。彼らが言うような「権力によるでっち上げ」ではおよそ説明がつかないことである。石川による 「来て呉れなくも言い出すよ」「あつかましいお願い出すが」の手紙までが捏造されたとは考えられない。ましてや脅迫状が捏造されたとは全く考えられない。真犯人が注意深く石川の筆跡や用字法を研究して模倣したからだ、とでも説明するのか。あまりに不自然な解釈であり、普通はこういうのを牽強付会と呼ぶ。さらに証拠はこれだけではなく、身代金の受け渡し現場に現れた犯人の声が石川の声とよく似ていることも確認されており、被害者の遺体を縛るのに使った珍しいタオルと手ぬぐいを石川が2枚とも入手できる立場だったことも確認されている。

むろん、裁判所の事実認定が細部に至るまでことごとく正しいとは限るまい。警察の捜査に手ぬかりがなかったとも、到底言えまい。むしろ、佐野屋の前で犯人を取り逃がした一件からも明らかなように、狭山事件の捜査を難しくした原因が、犯人の用意周到さというよりも警察の無能さにあったことは論を俟たない。

しかし、第二次羽田事件の差し戻し審で無罪判決を出した寺尾正二判事でさえ石川一雄を有罪にした、それは理由のあることではないのか。その寺尾判事に対して石川シンパが有効な反論ではなく恥ずべき暴力でしか対抗できなかった、それも理由のあることではないのか。

かつて連続強姦殺人事件で無罪を勝ち取った「冤罪のヒーロー」小野悦男は首切り殺人で無期懲役になった。痴漢冤罪を訴えて無罪となった長崎満は盗撮で逮捕された。これらは氷山の一角に過ぎない。世間にはこういった贋の英雄が跳梁跋扈している。小野や長崎と違って尻尾を出さない場合もあろうし、有罪判決がとうに確定しているにも拘らず、強大な運動団体の影響力を背景に「冤罪だ」「無実だ」と厚かましく言い張る場合もあろう。

小野の連続強姦殺人事件の公判で弁護人をつとめた野崎研二は、首切り殺人の発覚後、「弁護人としては当時口が裂けても言えなかったが、(連続強姦殺人事件の)一審の途中から小野を疑い始めていた」と告白している。石川一雄のかつての弁護人の中にも、同様の疑念を抱いた者がいないと断言できるだろうか。ついでに言えば、かつて「小野悦男さん救援会」の事務局長を務めていた山際永三は石川一雄への支援者でもある。山際はまた、三浦和義への支援もおこなっていたらしい。「国家権力憎し」の俗情だけで徒党を組み、犯罪事実の有無はそっちのけで「冤罪」を肴にお祭り騒ぎをしているのがこういった手合いの正体である、と見るのは僻目だろうか。判決文を通読したこともなく、テレビ番組や噂話などの影響で漠然と「石川一雄冤罪説」に与している人間が多そうに思える(正直に言うが、自分もつい最近までそうだった)。

とかく、扇情的なプロパガンダには疑いの眼を向けることが肝心である。支援者の側に、不正まみれ犯罪まみれの社会運動標榜ゴロがついている場合は尚更であろう。

心なしか、カマキリ顔もよく似ているような気がする…

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狭山の被差別部落民は地元で「カワダンボ」と呼ばれていた由。 「皮多坊」の意味だろうが、いま「カワダンボ」で検索すると「ゆるカワダンボ」(ゆるくて可愛いダンボ)なる縫いぐるみがヒットするのが面白い。

http://shoppies.jp/user-item/2359420

2月 23

狭山事件・石川一雄の現況

狭山裁判再審請求運動の公式サイトであるwww.sayama-jiken.comをwhoisすると、石川一雄・早智子夫妻の現住所らしきものが見える。

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http://g.co/maps/rfpp5

http://archive.homes.co.jp/estate_master/49881/

石川夫妻はどうやら「スト(ー)ンリバー」なる8階建てのマンションを持っているようだ。石川一雄は千葉刑務所で服役中、「今日カンパが300万円届きましてね。これで私の領置金は億を超えました」と囚人仲間に自慢していたことが金原龍一『31年ぶりにムショを出た』に書かれている。住宅地図で見ると、近所中どこもかしこも「石川」姓だらけである。 

http://g.co/maps/zawyq

川向うに石田養豚場跡を望む。石川一雄の元の職場で、被差別部落出身の不良青年の溜まり場になっていたとされる。 

http://g.co/maps/dhgyu

中田善枝が1963年5月1日15時45分頃に目撃された第1ガード。

http://g.co/maps/424k3

中田善枝が1963年5月1日14時45分頃に目撃された第2ガード。 

http://g.co/maps/xwc6g

石川一雄が中田善枝と出会ったと自供したX字路。

http://g.co/maps/6sbpp

奥富玄二新居。 

http://g.co/maps/9982u

身代金の受け渡し場所となり、犯人が現れたが、警察の失態で取り逃がした佐野屋。

http://g.co/maps/ey6rw 

スコップ発見地点を望む。

http://g.co/maps/x2vam

自白殺害現場を望む。

http://g.co/maps/4wn5a

内田幸吉宅。

http://g.co/maps/fue2t

中田善枝の通学路だった薬研坂。

http://g.co/maps/dc6hz

中田善枝が通っていた川越高校入間川分校の跡。 

http://g.co/maps/mt8fx

奥富玄二実家近辺。 

http://g.co/maps/sp49a

殺害された中田善枝の実家。現在も善枝の長兄の中田健治(狭山事件の真犯人と噂されたこともある)が住んでいるらしい。やはり近所は「中田」姓だらけ。澱んだ雰囲気の薄暗い農村で、事件当時から時間の流れが停まっているような印象を受ける。

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殿岡駿星『犯人―狭山事件より』の著者署名本が18万円で売られている。アホか。 

http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4891881984/ref=dp_olp_collectible?ie=UTF8&condition=collectible