« 新潟市議会:外国資本の土地取得制限と視察 | トップページ

2012年3月21日 (水)

柏崎市議会暴行事件:当日以降のこと

 3時、就寝。

 7時に起床し、大粒納豆、目玉焼き、オニオンスライスでご飯2杯の朝食をとる。

 8時30分、先般新聞報道された事件でお騒がせしたことから、今日の議会改革に関する第一部会の場で、部会長を辞任させてもらう旨を議会事務局に連絡。また副部会長にもその旨を電話で報告し、部会の運営をお願いした。
 やはり、柏崎市民をはじめ、皆様をお騒がせした責任は私にもあるため、判断をさせてもらった。

 10時から私やもう一方の当事者の出席を求めない柏崎市議会全員協議会が開催され、先般新聞報道された事件についての議論が行われるという。
 こちらとしては、既に平成24年3月9日(金)の段階で議会に報告しており、もっと早いタイミングでオープンになると思っていたが、ここに来てやっと、という感じである。
 これまで柏崎市役所職員の不祥事を議会で追及してきたが、当の柏崎市議会が隠ぺい体質であることは、議会側の人間として柏崎市民の皆様には、誠に申し訳ない限り。

 事件当初から先方の謝罪を受け止めていたが、非公開ながらも公式な要約議事録が残る2回の会派代表者会議の場において、先方所属の会派代表者による1回目の発言、2回目の発言が食い違っていることはもちろんのこと、謝罪も「ただの社会通念上の事」、事件当日事実も逆、「治療費はお互いがそれぞれが自ら治療することで当人同士が合意」との報告があり
「男の約束」は完全に反古
にされた。これまで約束を守って、被害届をださずにいた、こちらがバカをみたかたちである。
 公式の要約議事録だけをみれば、対等な口論のなかでトラブルになり、喧嘩両成敗といった内容になっており、事実とは異なる。

 部会の懇親会幹事を一次会からやり、年少者として仕方なく最後までお付き合いし、酩酊した相手の分の飲食費2軒分も支払い、怪我をさせられて(当時は強い痛み)の正当防衛ということが伝わっていない。

 事件発生以降についてだけでも、以下に事実を記載したい。

*拙宅及び丸山敏彦議員宅の玄関カメラのデータを任意提出するような状況は、「惻隠の情」から避けてあげたいと思っているが、あとは相手の出方次第である。


1.三井田宅への訪問と謝罪(直接訪問1)
 平成24年3月8日(木)、16時50分、飯塚寿之議員(首のコルセットなし)が三井田宅を訪れ、三井田の母に挨拶したのち、三井田に対し、事件当初に続き、再度の謝罪。なんとか表にださないでほしい、警察沙汰にはしないでほしいと発言。「一度、こちらからは表にださないことを約束したので、そこまで。ただ見ていた市民も多いので、人の口に戸は立てられない。市民の口まで約束できない」と返答。この時点で三井田のけがは診断されておらず、自分で添え木処理と冷却。
(一応、日本赤十字・赤十字救急法救急員のため) を行っており、飯塚寿之議員もここではじめて三井田のけがを知ったが、骨折の事実は判明していない。

2.病院の診察と議会への報告
 三井田、痛みに耐えられず、平成24年3月9日(金)午前中に某病院にて診察。親指付け根の骨折、全治2か月と判明し、議会事務局長を通じ、議会に報告する。
 議会事務局長へは、飯塚寿之議員から全面的な謝罪があったので、こちらから表沙汰(警察への届け出)にしないことは約束した、と報告した。

3.三井田宅へ再訪問(直接訪問2)
 平成24年3月9日(金)、三井田の親族であり、後援会長に事の顛末を話したところ、飯塚寿之議員に苦情の電話を入れた。
 同日19時、飯塚寿之議員(首のコルセットなし)が三井田宅を訪れ、「これ以上表にださないでくれ」とのことだったので、後援会長が三井田の親族であることを告げ、少なくとも親族には話をさせてもらったこと、そして直接電話したことは申し訳ないと返答。

4.三井田宅へ再々訪問、交換条件提示(直接訪問3)
 平成24年3月12日(月)9時、飯塚寿之議員(首のコルセットなし)が三井田宅を訪れ、玄関先にて「議会の改革に関する特別委員長として議員倫理条例は出せないので、是非・・・」と交換条件、今回の件を表沙汰にしないでほしい、けがの分は治療費を支払うとの内容の発言があった。三井田からは、

「議会改革はご自分で判断することで、まずは(私・三井田としては)淡々と行う」
→ 議会改革に関する特別委員会第一部会を開催し、論点整理

 そこまで謝罪されるなら、「こちらから被害届をだすことはしないが、周りで見ていた市民の口に戸は立てられない」と再び返答。治療費の詳細はのちほどあると思い、そこでは言及せず。

5.丸山敏彦議員への謝罪、交換条件提示(丸山敏彦議員宅訪問)
 平成24年3月13日(火)、三井田の所属会派の会派長・丸山敏彦議員より、議長に対して柏崎市議会会派代表者会議の開催を要請。
 18時過ぎ、飯塚寿之議員(首のコルセットなし、頭を坊主頭に刈り込み)が丸山敏彦議員宅を訪れ、三井田に対してけがをさせたこと、先に手をだしたことの謝罪ののち、何とか穏便に済ませてほしいとの発言。その後、穏便に済ませるための交換条件も飯塚寿之議員が提示した。丸山敏彦議員は「議会としてけじめをつけなければならない」と返答。

6.非公開会派代表者会議1回目
 平成24年3月15日(木)、非公開で柏崎市議会会派代表者会議が開催。事実とは異なる主張が、飯塚寿之議員の所属会派長である佐藤敏彦議員からあり、喧嘩両成敗という雰囲気作りがされる。

7.飲食費2軒分の支払い(直接訪問4)
 平成24年3月16日(金)10時48分、飯塚寿之議員からの三井田への携帯電話の着信。同日11時58分に飯塚寿之議員の所属会派長である佐藤敏彦議員からの三井田への携帯電話の着信があったが、ともに市民からの陳情相談や市民活動支援課での打ち合わせのため、電話にでられず。
 議会事務局に行ったところ、事務局長より飯塚寿之議員が飲食費を支払いたいと三井田を探しており、所属会派長の佐藤敏彦議員もその旨で三井田への連絡をとったことが判明。

 17時ごろ、三井田が不在となっているなか、飯塚寿之議員と佐藤敏彦議員が三井田宅を訪れ、三井田の母親に飯塚寿之議員が飲食費9000円を入れた封筒を玄関にて手渡す(佐藤敏彦議員は玄関外で待機)。 (三井田母親視認:首のコルセットなし)。当日、酩酊して支払わず、9日後、しかもこれまでの3回の直接訪問があったにも関わらず、いまになっての支払いに別の意味があると思い、所属会派の会派長・丸山敏彦議員に預ける。

8.マスコミ報道
 平成24年3月17日(土)、『新潟日報』紙をはじめ、新聞各紙が報道。リーク元は不明であるが、対等な喧嘩があったかのように報道された。直後より、三井田が相手を殴った等の話が伝わる。なかには先方から同様の被害にあった方からの激励もあった。

9.非公開会派代表者会議2回目
 
平成24年3月19日(月)、非公開で柏崎市議会会派代表者会議が開催。これまでの謝罪も社会通念上のこと、「治療費はお互いが自ら治療することで当人同士が合意」(三井田自身が相手の診断書を見ていないうえ、話し合ってもいない。相手は議会事務局を通じ、こちらが全治2か月と知った模様)と飯塚寿之議員の所属会派長である佐藤敏彦議員から主張された。
 また、社会クラブの社民党議員より、「両方悪いから両方を処罰」という提案が出される。
 議論は紛糾し、当初の予定時刻では終了せず、
総務常任委員会の午前の審査を待ったのち、再開。
 結果、平成24年3月21日(水)10時から当事者2名を除く、公開の全員協議会開催が決定した。


|

« 新潟市議会:外国資本の土地取得制限と視察 | トップページ

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/114726/54270991

この記事へのトラックバック一覧です: 柏崎市議会暴行事件:当日以降のこと:

« 新潟市議会:外国資本の土地取得制限と視察 | トップページ