一っ風呂浴びに帰宅していた班目春樹・原子力安全委員長と突然の東京電力爆破予告/ スクープ公開! 『海江田ノート』原発事故との闘い

2012年03月16日(金) フライデー

フライデー経済の死角

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 だが、この決定に重要な点が抜け落ちていたと、海江田氏が振り返った。

「私の頭の中からは、周辺諸国への事前通知が抜け落ちていました。海洋への影響を正確に把握できるよう、モニタリングポストを増やすことは考えていたのですが・・・・・・。責任者として、周辺諸国に対する配慮が十分でなかったという批判は受け止めます。周辺諸国へのブリーフィングは外務省が行いました。後になって分かったことですが、『海洋への放水を本日夕刻に開始する』との外務省から全外交団へ向けたFAXとメールの発信時間は、実際に福島第一原発で集中ラドの汚染水を海へ流し始めた時間に比べて、2分ほど時差がありました。私のノートの記述では『1903(19時03分) 放水スタート 集中ラド』となっています。一方、全外交団向けのFAX・メールの発信は午後7時05分でした」

 刻一刻と事態が変化し、一つの判断ミスで後世が変わるという緊迫感の中、原発に立ち向かうスタッフの食事情も、海江田ノートには記されていた。

「特に事故直後は、霞が関のコンビニも棚が空っぽで、秘書官は弁当探しに苦労したようです。私は子供の頃から、食欲がない時でもいなり寿司だけには手が伸びる。秘書官は分かっていて、いなり寿司の弁当は私の定番メニューになっていました。それでも、事故発生から1ヵ月近く経つとマンネリ化する。そんな時に食べたペヤングソースやきそばが意外に美味しく、何度かリクエストしたものです。こんな昼食事情ですから、鳩山由紀夫前首相が豪華なにぎり寿司を差し入れてくれた時は、破格の昼食でした」

 ノートを見ながら語る海江田氏の手が止まったのは、4月7日のページだった。

「前日の6日から、1号機の原子炉へ窒素の封入が始まりました。しかし、午後10時54分に配管にひび割れが見つかり作業が一時中断してしまい、家に帰っても眠れぬ夜を過ごしたんです。7日は、朝8時20分に東電本店へ入り、窒素封入の経過を聞いていました。『格納容器内の空間が思ったより小さく、封入する窒素の量も減ります』などと、東京電力フェローの武黒一郎氏から報告を受けていたんですが、突然、SPに腕を引っ張られたのです。SPは、『ここを移動して下さい』と囁くと、半ば強引に私を地下の駐車場まで連れて行き、車に乗せ、そのまま東電本店を後にしました。困惑して『何か起きたのか』と尋ねると、彼はこう答えたのです。『先程、東京電力に爆破予告の電話が入ったのです』。結局はイタズラ電話でしたが、経産省に1時間ほど缶詰にされ、おかげで、その日の朝の全体会議に参加できませんでした」

 ここに紹介したエピソードは、海江田ノートのごく一部にすぎない。ノートの全容を克明にすることが、再び同じ道を辿らないための礎になる---。海江田氏は「原子力政策の総責任者だった者の運命だ」と言い、その覚悟を決めている。

「フライデー」2012年3月23日号より

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