東日本大震災直後、多くの地震学者は「想定外の地震が起きた」と繰り返した。しかし、津波で運ばれた土砂や石の痕跡を探る研究者にとって、三陸沿岸を中心に襲った巨大津波は決して「想定外」ではなかった。再来する巨大災害にいかに備えるか--。過去に列島各地を襲った津波の規模や年代、周期を知る手がかりとなる津波堆積(たいせき)物の研究が強化される一方、国や自治体でも被害想定や避難方法などの根本的な見直しが進められている。
「これからの数十年は我々の知らない日本列島になる可能性がある」。東日本大震災から1年を迎えるに当たり、松沢暢(とおる)・東北大教授(地震学)はそう考えている。大震災をもたらしたマグニチュード(M)9・0の超巨大地震は、東日本の地下にかかる力に大きな変化を起こしたためだ。今後いつ、どこで巨大地震が起きても不思議ではない。
防災科学技術研究所と国土地理院は昨年10月、千葉県の房総半島沖で、地下のプレート(岩板)の境がゆっくり滑る「スロースリップ」を観測した。過去30年間、約6年ごとに確認された現象だが、今回は4年2カ月ぶりの発生だった。房総沖や関東周辺を震源とするM8級の巨大地震との関連性を指摘する研究者もいる。
これとは別に、大震災の震源域の地下の断層周辺では、揺れを伴わずにゆっくり動く「余効変動」という現象が継続する。松沢教授によれば、余効変動は今後30年以上続く可能性がある。この影響で、内陸にある双葉断層(宮城・福島県)▽立川断層帯(埼玉県・東京都)▽三浦半島断層群(神奈川県)▽牛伏寺(ごふくじ)断層(長野県)▽萩原断層(岐阜県)で地震を発生させる力が加わったとして、気象庁などは警戒を呼びかける。
東北大の趙大鵬教授(地震学)は今年2月、別の観点から双葉断層の活動を懸念する研究成果をまとめた。福島県いわき市周辺で02年6月~11年10月に起きた約6500回の地震の観測データから地下構造を画像化。地下の岩板から上昇した水が断層に入り込み、摩擦力が低減して地震が起きやすくなっていると突き止めた。昨年4月に同市で起きたM7・0の余震も同様の理由と考えられるという。双葉断層は福島第1原発の西側数キロを通ることから、趙教授は「原発直下の地震に警戒し、耐震強化する必要がある」と指摘する。
首都圏の地下を震源とする地震も大震災後に増えている。震災後半年でM3以上の地震が以前の6倍以上に増えたことを基に、東京大地震研究所のチームは、M7級の首都直下型地震の発生確率を「今後30年以内に98%」と試算した。別の研究者による確率も出たが、前提が違う試算のどちらが正しいかは本質ではない。首都圏では事態が切迫している恐れがある点に変わりはない。
平安時代や江戸時代には首都直下に相当する地震と南海トラフの巨大地震が比較的近接して起きた。火山活動への波及を懸念する声もある。大震災の教訓を踏まえ、最悪の事態を想定した対策が求められている。
「壊滅した三陸の街を見ると、何もできなかったことが、ただただ無念です」
東北大の箕浦幸治教授(堆積学)は悔しそうに声を震わせた。箕浦教授らの調査研究チームは、史書「日本三代実録」に平安時代の869年に起きたと記録される貞観(じょうがん)津波を解明するため、90年ごろから仙台平野で堆積物の掘削調査を実施。広い範囲で津波で運ばれた砂の層が見つかり、震災前から、仙台平野が海岸から3~4キロまで水没する大津波がいつ再来してもおかしくないと指摘していた。
堆積物はさらに古い地層にも見つかり、約1000年おきに貞観に匹敵する津波が押し寄せていた可能性も分かっていたからだ。
しかし、「学術的な評価が定まっていない」として、自治体や東京電力福島第1原発の防災対策に反映されないまま、昨年の3月11日を迎えた。調査に関わった産業技術総合研究所の宍倉正展・海溝型地震履歴研究チーム長(古地震学)は、大津波の再来を地元自治体の防災担当者に説明すると「市民の不安をあおらないでほしい」と迷惑がられたという。震災前、財政難にあえぐ自治体に1000年に1度の大災害に備える発想は乏しかった。
東日本大震災は、仙台平野で貞観津波と堆積物の分布や厚さがほとんど一致し、津波堆積物研究の信頼性の高さを裏付ける形となった。昨年12月、政府は西日本太平洋沿岸の堆積物調査の研究成果を反映し、駿河湾から九州沖に延びる浅い海溝「南海トラフ」沿いで繰り返す巨大地震の想定規模をマグニチュード(M)8・7から約3倍の大きさのM9・0に変更した。
一方、千葉工業大惑星探査研究センターの後藤和久上席研究員(堆積学)は「津波堆積物研究への期待が高まっている今だからこそ、技術的限界や課題も同時に示さないといけない」と強調する。
津波堆積物が残っているかは地形に大きく左右される。仙台平野のように海岸から数キロ内陸まで低地が広がっている地形は残りやすいが、太平洋沿岸の大半は低地が少ない。さらに、残ったとしても台風などの高波が運ぶ土砂と区別するのは難しい。1回の波が運ぶ土砂の量は津波が圧倒的に多いが、高波は何十回も押し寄せてくるうちに次第に津波と同じ量の堆積物を残す可能性があるという。
年代測定も現在の技術では数十年程度の誤差がつきまとう。連動型地震の場合、複数の震源域が同時に揺れたのか、ある程度の時間差があったのかを知ることは非常に難しい。南海トラフ沿いで隣同士の震源域が2年空けて動いた東南海地震(1944年)と南海地震(46年)を津波堆積物から区別するのはほぼ不可能だ。
人材不足という問題も指摘されている。震災後、沿岸各地の自治体などから堆積物調査や過去の巨大地震の解明を求める声が高まっているが、国内の津波堆積物の研究者は10人ほどしかいない。学問分野として発展したのはここ20年程度と歴史が浅いうえに、調査研究は長期間に及び、科学的な成果はすぐには出ない。後藤上席研究員は「防災のニーズ(需要)に応えるために、研究を進める専門家と行政側を橋渡しする人材の育成が重要だ」と訴える。
東京大の古村孝志教授(地震学)は「堆積物研究、考古学、地震学など複数の研究分野がそれぞれの弱点を補うように、これまで以上に相互検証を進めなければならない」と話した。
海岸沿いでは波で打ち上げられた砂が数十センチから数メートルの高さに堆積した「浜堤(ひんてい)」と呼ばれる地形が多く見られる。津波堆積物は津波とともに砂や石、巨岩がその浜堤を越えて内陸に進み、平野部や湖沼に残ったものだ。波打ち際まで山や崖が迫っているような地形では残りにくい。
平野部は枯死した植物などが泥となってゆっくり堆積する。津波が来たらその上に砂や石がたまり、層ができる。通常は田畑になることが多く、所有者の許可を取って調査することになる。仙台平野のように貞観津波の堆積物の上に915年に噴火した十和田火山の灰が降り積もり、年代測定が容易になった例もある。湖沼も同じように水生植物などが泥となって湖底にたまり、津波堆積物と層を成す。
東京大の研究チームは、世界最速の計算速度を誇るスーパーコンピューター(スパコン)「京(けい)」を使って、東日本大震災をコンピューター上で再現してシミュレーションの精度を高め、巨大地震の動きや津波の高さを予測する研究を進めている。研究チームの前田拓人特任助教は「将来的には津波が到達する前にどこまで浸水するか詳細な予報ができるようにしたい」と語る。シミュレーションでは、スパコンで描いた三次元の日本列島に架空の地震や津波を起こし、いつどこでどのくらいの揺れや津波に襲われるかを見ることができる。
ただし、スパコン上の日本列島は近くから見るとブロックを積み上げたような形で描かれているため、ブロック一片が大きいほど現実の地形や地盤構造との違いも大きくなり、観測値との誤差も大きくなる。
京は先代のスパコンの100倍の計算能力があり、描く地形は「現実の姿に近づいている」(前田特任助教)という。研究チームは現在、京でシミュレーションした東日本大震災と実際の観測データを比べ、精度向上を図っている。
東北大や富士通では、京で個々の建物を三次元で再現した街並みに津波が押し寄せるシミュレーションを行い、避難行動や津波避難ビルの設計に役立てる研究も進められている。
東日本大震災後、各地の自治体は大きな被害を生んだ津波などの減災へ向けた取り組みを進めている。
神奈川県は、沿岸市町村や県民からの要望を受け、有識者検討会を設置し、いち早く津波高と浸水予測の再検証に着手した。従来は予測の対象としていなかった慶長地震(1605年)を想定してシミュレーションし、昨年12月に新たな浸水予測図の素案を公表した。
新しい予測によると、沿岸部の津波の高さは鎌倉市で14・4メートル、横浜港で4・2メートルとなり、それまで最大だった元禄地震(1703年)を基にした想定を大幅に上回る結果となった。横浜市内の浸水面積は従来の約5倍に広がり、横浜駅東口周辺の予想浸水深は7メートル超にも達した。
県は3月中に浸水予測図を完成させ、沿岸市町村にハザードマップ改定など、避難対策の抜本的見直しを求める。国も、東海から西日本太平洋沖を震源域とする巨大地震による予想津波高を今月中にも公表する予定だが、県の担当者は「不安の声を受け、県にとって最大の津波を早めに想定した」と説明する。
一方、和歌山県は大震災後、津波の緊急避難先ごとに安全レベルを設定した。「レベル1」は想定浸水区域内の津波避難ビルなど、「レベル2」は想定浸水区域外だが高さが不十分な学校など、「レベル3」は十分に安全な高台や裏山などだ。
昨年8月末現在で、県内の緊急避難先は1337カ所あり、レベル1が286カ所(21・4%)、レベル2が484カ所(36・2%)、レベル3が567カ所(42・4%)となっている。
例えば、津波到達まで時間があれば、最も近いレベル1の避難先ではなく、少し離れたレベル2の避難先に向かってもらうなど、できる限り安全な避難先を目指してもらうための指標にする。
一方で、指定された避難先が100%安全ではない、ということも認識してもらう。
県は昨夏から全世帯に「避難カード」を配布。普段から状況に応じた避難を意識してもらうため、複数の避難先をカードに書いてもらう取り組みも始めている。
気象庁は東日本大震災を教訓に、津波警報の抜本的な見直しを進めている。大震災時の第一報では、津波の高さ予想を宮城6メートル、岩手と福島で3メートルと実際より低く発表し、避難の遅れを招いた。マグニチュード(M)8を超えると、迅速な地震規模の推定が困難になるため、M7・9と実際の45分の1程度に過小評価したことが原因だった。
このため気象庁は、M8超の巨大地震が発生して正確にMを推定することができない場合は、発生から3分以内に出す第一報では高さを「巨大」「高い」と表現し、数値を使わないことにした。警報発表文では「東日本大震災クラス」など過去の事例を示すほか、想定される被害を明記して避難を促す。
これまで8段階だった予想高も、1、3、5、10、10メートル超の5段階に簡素化する。予想高が含まれる範囲で最も高い数値を発表し、1~3メートルは「3メートル」、3~5メートルは「5メートル」などとする。
大震災時、到達した津波観測結果を「第1波0・2メートル」と発表したことも避難の中断につながったとの指摘が出た。このため、観測結果が予想より低かった場合は数値を出さず、「観測中」などとして油断させないようにする。同庁はこうした新しい津波警報の運用を今年中に始めることを目指す。
大震災では、津波被害のほか、ゆっくりした揺れで遠く離れた高層ビルなどに被害をもたらす「長周期地震動」への対処という課題も浮上した。震源から約770キロ離れた大阪市内のビル内部が破損したほか、東京都内でも高層階で家具が転倒するなど、立っていられないほどの揺れが襲った。このため気象庁は、長周期地震動にも震度と同様に揺れの大きさを示す指標を作り、来年春ごろから地震発生の際に情報を発表する方針だ。M7クラス以上の地震が対象となる見込みという。
長周期地震動が到達する前にビル管理者に知らせ、エレベーターを止めるなどすることで被害を減らしてもらうため、緊急地震速報のような直前の情報発表も目指している。長周期地震動により石油タンクの液面が大きく揺れてタンクが壊れ、大規模火災につながる恐れもあることから、消防などの機関に対する迅速な情報提供も検討している。
2012年3月3日