富山市の神通川流域でイタイイタイ病を引き起こしたカドミウムに汚染された土壌の復元事業が、33年をかけて今年度で終了し、完工式が17日、同市婦中町砂子田で開かれた。石井隆一・富山県知事、患者や遺族などで作るイ病対策協議会の高木勲寛会長、原因企業の三井金属鉱業の吉田亮総務部長らが出席した。式典で石井知事は「昨年の東京電力福島第1原発事故で農地の放射能汚染が問題になり、改めて安全で安心な環境の大切さを実感した」と述べ、再発防止を誓った。
イ病は68年、国から公害病第1号に認定された。神通川上流の旧三井金属鉱業神岡鉱業所(現・神岡鉱業)から流出したカドミウムが、川や農業用水を通じて流域を汚染。住民は全身の骨がもろくなり、激しい痛みに襲われた。
土を入れ替える復元工事は、富山県が79年度、汚染田に指定した約1500ヘクタールを対象に始め、転用されなかった約863ヘクタールが農地として復元した。総事業費は407億円に上り、国内最大規模の土壌復元事業とされる。【岩嶋悟】
【ことば】 イタイイタイ病
腎臓の尿細管異常と骨粗鬆(そしょう)症を伴う骨軟化症がみられ、激しい痛みと骨折の多発が特徴。戦後まもなく富山市の神通川流域の住民に症例が相次ぎ、1950年代後半に集中的に発生した。国は68年、三井金属鉱業神岡鉱業所(現・神岡鉱業)が排出したカドミウムが原因とし、公害病に指定した。同年、被害住民が同社を提訴し、72年に全面勝訴が確定。住民は同社と結んだ公害防止協定に基づき鉱山へ毎年立ち入り調査し、会社側も環境対策に注力している。現在も認定を求める住民がおり、行政の認定基準の緩和を求める声がある。16日現在の認定患者は196人(うち生存者は4人)。
◇イタイイタイ病の経過
1911年 厚生省(当時)の推定による最初のイ病患者発生
61年6月 故・萩野昇医師らがカドミウム原因説を発表
63年 厚生、文部両省(同)が研究班発足
66年11月 被害住民がイ病対策協議会を結成
67年12月 富山県が73人の患者を初認定
68年3月 患者と遺族が損害賠償第1次提訴
5月 厚生省が公害病第1号に認定。富山県は公害病を否 定する見解を発表
71年6月 第1次訴訟で富山地裁が原告全面勝訴の判決
72年8月 控訴審で全面勝訴確定
住民と三井金属鉱業が公害防止協定締結
11月 住民が神岡鉱山への第1回立ち入り調査
79年4月 富山県が土壌復元事業開始
86年8月 神岡鉱業所が三井金属鉱業から分離、子会社化
2001年6月 神岡鉱山で亜鉛、鉛鉱石の採掘中止。閉山
11年6月 県が新たに1人をイ病と認定し、患者は196人に
毎日新聞 2012年3月17日 11時06分(最終更新 3月17日 12時36分)