単純な子どもの喧嘩…複雑な大人の喧嘩。
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私には半世紀以上にわたって付き合っている、おさななじみの親友がいます。
彼とは10年以上会えない時もありますが、
会えば一瞬のうちに子どもの時代に戻ることができます。
付き合いが長ければ、親友と言えども喧嘩をすることもありました。
若い時、お酒を飲んでいる最中、お互いに「最近のお前は面白くない。」
一旦、けりをつけないか、となりました。
それで、お互いに一発ずつ殴ろうということにしたのです。
最初は私が彼の頬を殴りました。(加減したのですが)
友だちは手加減なしのこぶしで殴ってきました。
私は1メートルぐらい飛ばされて、倒れてしまいました。
これで、これまでの鬱憤はごわさんと言うことになったのですが、
彼の家に泊まった翌朝、彼は私の頬がパンパンに腫れているのを見て、
「お前、顔どうした?」と聞いてきたのです。
昨夜のことは全く覚えていないと言うのです。
家に帰ったら、父は私の顔を見て、ニヤリとしました。
喧嘩しても怒る父ではありませんでしたから。
私は「父ちゃん。歯が痛くて腫れちゃったよ。」とごまかしましたが、見抜かれていたのでしょう。
私たちの子どもの頃は、こんな風にして、喧嘩して仲直りしたものです。
これがいいとは言いませんが、大人になった現在は、理屈ばかりが先にたち、
ことばの応酬でやり込めることしか考えないようです。
最近はこのことに虚しさを感じています。
みんなが正義をかざして、主張し、対立しています。
語れば語るほど虚しく感じるのは私だけでしょうか。
しかし、一度振り上げたこぶしは降ろすわけにはいきません。
結論が出た時点で、元の自分に帰ります。
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8:35さん。おっしゃる通りですね。
どんな大義名分があろうと、虚しさは感じるものです。
むしろ感じないほうが危険かもしれません。
これからの自分の在りかたについて考える良い機会なのでしょう。
2012/3/17(土) 午前 8:49