試験は1968年1月1日、ジョセフ氏が2カ月間の任務のためにエッジウッドに到着したとほぼ同時に開始された。「注射の時もあれば、錠剤の時もあった」とジョセフ氏は語る。ジョセフ氏は当時、自分が何の薬を飲んでいるのか分からなかったという。ジョセフ氏が職員に危険はないか尋ねると、彼らは「ここには有害なものは何もない」と言ってジョゼフ氏を安心させたという。
しかし、ジョセフ氏はエッジウッドでの2カ月間に摂取した化学物質は有害だったと確信しており、それらによって引き起こされた健康被害でジョセフ氏は40年経過した今も苦しみ続けている。
1968年2月、エッジウッドでの任務が終了する数日前、ジョセフ氏はパーキンソン病に似た震えが起こり、数日間入院した。その症状は成人後も断続的に発症しているという。ジョセフ氏は50代半ばに進行性神経疾患のパーキンソン病と診断され、早期退職を余儀なくされた。月2000ドルの医療費は自腹を切った。
ジョセフ氏はエッジウッドでの勤務中に化学物質にさらされたことを理由に退役軍人手当の受給を申請したが、退役軍人省は40%の障害と認定し、手当の一部しか支給しなかった。ジョセフ氏の元に届いた支給通知にはエッジウッドについて一切書かれていなかった。
ジョセフ氏は今も、震えや関節のしびれ、食べ物をうまく飲み込めないなどの症状があるという。ジョセフ氏は、これらの症状はすべてエッジウッドでの任務が原因と考え、エッジウッドで勤務していた退役軍人らが退役軍人省に対して医療手当の支給を求めて起こした集団訴訟に参加している。
同訴訟の弁護団長を務めるゴードン・エルスパマー氏は、ジョセフ氏が入手したエッジウッドでの診療記録を見直した。その診療記録には、1968年2月1日にジョセフ氏は「有機リン中毒」の治療のためフェニルアセトン(P2P)を投与されたと書かれている。そのためエルスパマー氏は、ジョセフ氏は恐らく、サリンなどの神経ガスを注射されたのではないかと見ている。