日本屈指のラテタウン、軽井沢の小学校に通ってみて

311の原発事故後東京から軽井沢に引っ越してきた家族四人の父親の日記。公立軽井沢小学校の話題を中心に、私立小学校お受験情報、中学・高校・大学受験関連情報、育児、性教育、早期教育、英才教育、原発事故、それらをテーマにした、お笑い、ギャグ、ジョーク、ついでに、軽井沢の裏観光案内や当地に在住、もしくは別荘を構えるセレブネタ、はたまた、オリジナルの国語・英語・算数の自宅学習用テキストなども随時掲載します。

その31 いま、「学校」から子どもを守るために親ができること 1

前のほうの項でもふれましたが、わたしは軽井沢に越してきてから、戸田忠雄先生の一連の著作を集中して読み耽りました。

そこにも書きましたが、軽井沢小の校長先生と教頭先生は、戸田忠雄先生の名前すら知りませんでした。「教師の不勉強」を絵に描いたようなエピソードではありますが。

http://todatadao.seesaa.net/category/6281551-1.html
戸田忠雄先生プロフィール

戸田先生の経歴からもわかりますが、戸田先生は、教育にかんしては他府県とかなり異なる事情のある長野県のことを熟知されています。

ですから、わたしですら、戸田先生の著作を最初に読んだときは驚きました。「ここまで過激なことを言っていいのですか!」という感じです。

しかし、もともとは温厚な戸田先生が、こと、教育にかんして、なぜ、かくも「過激派」となられたのか。それは、教育県として名高い、長野県のまさにその事情のなせる技なのです。

以下、先生のご主著のひとつ、「いま、『学校』から子どもを守るために親ができること」(講談社)から、いくつか、抜粋させていただきます。



「学校は何事も教師本位になっています。教師の都合と利害が優先する世界です。そして何かことが起きればたがいにかばいあう閉鎖的な性質をもっています」(16ページ)



「学校や教師に関するほんとうの情報は、何か大きな事件や事故でも起きないかぎり外には出てきません」(16ページ)



「あらゆる企業は、なんらかの形でお客や利用者によって評価されます。よい仕事をすれば評価され儲かります。悪い仕事をすればだめだと評価され、社員はリストラされ、最悪の場合は潰れます。こうした世間のルールがほとんど通用しないのが学校という社会です」(17ページ)



「(文句を親からいわれて)どうして教師が腹を立てるのかわかりますか? 教育は貴い仕事、そして、その貴い仕事にたずさわっている教師は(自分は)聖職者だと思っているのです」(27ページ)



「教育はサービス業です」(28ページ)



「学校・教師の理屈はもうたくさんです」(49ページ)



「父母の要求はエゴでしょうか?」(52ページ)



「批判した子どもや父母のほうが悪い、という人格的な非難を子どもや父母にあびせかえすのです」(57ページ)



「そして教員組合が教師の身分保障という名目をふりかざして、しばしば、この仲間意識のつながりの役目をはたしています。この点では立場の違いやイデオロギーに関係なく、校長も教師もグルだといってよいかもしれません。(中略)校長は屁理屈をつけてでも不適格教師をかばうケースが多いのです。あるいはかばうようなポーズをとります」(57ページ)



「(校長は)それなら、かれらをかばって教師集団の点数を稼ぎ学校運営をスムーズにしたほうがよい、と考えてしまうのです。さもないと、たちまち教師集団からつめたい眼でみられシカトされます。それだけではありません。つるし上げられることさえあります。(中略) こんな雰囲気ですから(校長と教師集団が)たがいに批判しあうということなどあるはずがないのです」(57ページ)



「親をクレーマ(苦情屋)扱いは教師の思いあがりです」(58ページ)



「まだ、二十三、四の若造が『ほんとうにA子の母親はわがままだ。親があんなだからA子もダメなんだ』などと、職員室でいっぱしの口をきいている光景などかなり異様なものです。職員室に秘密のテープでもしかけておいてその内容を聞けば、父母のみなさんは驚愕してしまわれることでしょう」(60ページ)



「『授業を見にいこう』、これこそ究極の情報公開です」(78ページ)



「というのはかならず教師が反対します。先生たちにとって教室は自分たちの王国であり聖域なのですから。役人と同じでノーという理由を見つけることにかけては、先生たちもうまいのです」(80ページ)



「たいていは自分たちの都合で反対するのですが、『教育的配慮』というあいまいな理由をつけます」(80ページ)



※この項、は 2 として次項に続きます。
  1. 2012/03/15(木) 13:44:53|
  2. 軽井沢小学校

その32  606さんからのメール全文

※以下、改行等も含め全く原文のママです。じっくりと考えて回答したいので、しばらく時間をください。取り急ぎ全文を掲載します。




606です。
あなたのブログへのコメントとしての本メールは、全文転載いただけます様、
お願い致します。

争点が広がらない様、予め私の思いをお伝えします。
なお、子供達を印籠にした、あなたが作られた「イシダシ主義」という主義に触れない様、、
敢えて子供は登場させません。


私の思いは次の三つです。
 ●願いとして、あなたに問題発信の方法を再検討していただきたいと言う事
  →既に世に広めてしまった分の収拾までは求めません
 ●疑問として、あなたが対象の学校名が特定可能な形で問題を発信している事
 ●願いとして、あなたが発信した事へのフォローを必ずしていただきたいという事


「学校の情報公開」「学校内の出来事の徹底的な可視化」、には全く同感です。
しかし、そこには「学校名」を含める必要は感じません。
デメリット以上のメリットが有るのでしょうか?

話が拡がらない様、一般論でなく、今回あなたが発信した"軽井沢小学校"の件に
限らせていただきます。
特段、社会に知ってもらう必要が有る様な事件・事故もなく、また、あなたも、 
「軽井沢小が特別酷い学校、という認識ではまるでない」
と書かれている現状にも関わらず、「学校名を特定出来る形で情報発信する」事を優先した
趣旨・メリットとは、一体なんですか?。
そして、今回学校名を開示した事に対しての、あなたが考えた妥当性はどんな事ですか?
ぜひ、お教え下さい。


鎌田慧さんと言う方の、学校名をマスコミが出す事への正当性を引用いただきましたが、
それは、ニュースとして大人の興味を引く他、どんなプラス効果があるんでしょうか?
私的には、当事者への戒めとしての効果は理解しますが、それ以上に、付随する悪影響の
大きさを心配します。

鎌田さんという方は、"軽井沢小学校"同様、自分が出す校名に、いじめに関わっていない
多くの関係者までも含まれ、その方々にまで影響を与えている事に気付けている方なの
でしょうか?
また、事後、影響を与えた"当事者以外の関係者”への配慮・フォローが出来ている方なの
でしょうか?
ここは非常に気になる部分であり、問題としたい部分です。

結果も残さず、騒ぐだけ騒ぎ、散らかすだけ散らかして帰って行く…。
今の世の中、マスコミも含め、こういう問題発信者が多い気がしています。
そして、そんな問題発信者が学校や教育の事を論じているとしたら、非常に悲しく思います。
風呂敷を広げたなら、しっかり畳んでから立ち去って貰いたいと強く願います。

同じ事は、あなたにも強くお願いしたいと思います。
学校名が容易に特定出来る形で発信したのなら、ブログを閉鎖
する際には、当事者以外の関係者へのフォローをきっちりして下さい。
また、提起した問題(あなたが"有る"とする軽井沢小学校のいじめ)に対して、しっかりと
結果を残して下さい。
ここまで情報を発信した限り、「難しい問題です」等と誤魔化さないで下さい。
決して、かき混ぜたまま逃げ出さないで下さい。
お子さんが"軽井沢小学校"に入学されないとしても、上記が完了するまでは、ブログを
閉鎖せず、責任を持って、自分が発信した問題と向き合って下さい。
もし、それが出来ないなら、即、問題の発信方法を考え直して下さい。

また、あなたと校長先生間の問題に関しては、ネットで発信するなんて安易な方法をとらず、
先ずは、あらゆる方法を模索し、直接でないにしても、あなたと校長先生との間で行っては
いかがですか?
あなたもお解りの様ですが、一方的にネットで意見を述べても解決しない様な気がします。
機会を作る努力を十分にせず、「会って貰えないから」だなんて、ネットで発信する理由にも
なりません。
そして、上に同じく、あなたと校長先生の間の、個人的な意見衝突が発端の問題に、
"軽井沢小学校"を登場させる必要性が、全く理解出来ません。

どうしても、校長先生との問題をネットで広めたいのなら、別ブログを立ち上げてはいかがですか?
また、校長先生はもうすぐ退職されるとの事なので、尚更その方が妥当と思いますが、
いかがでしょうか?


今は、ネットを使う事により、ただの一個人でも、簡単に大きなマスコミ並のニュースソースと
なる事が出来てしまいます。
そして、その影響は小さくありません。

以降、事件・問題を発信するのであれば、先ず自分自身を客観的に見て、そして、その発信内容
に影響を受ける当事者以外の人々の事も考え、その上で発信していただけると幸いです。

  1. 2012/03/15(木) 13:51:51|
  2. 軽井沢小学校

その33  鎌田慧+灰谷健次郎 「危ない学校 希望の子育て」(光文社)なかの該当部分

606さんが「非常に気になる、問題としたい部分」といわれている、前傾の、灰谷健次郎さんと鎌田慧さんによる「危ない学校 希望の子育て」(光文社)の該当部分を、念のため、再掲しておきます。わたしの回答は、今後の生活のことを、家族全員で話し合ったうえで、掲載しますので、しばらくお待ち下さい。




・・・その61ページで鎌田慧さんが以下のように語っています。



・・・「学校がいじめで子どもが死んでマスコミが取材を始めると、PTAなんかがすぐに反応して『いつまでも騒がないで』と言い出す。ぼくもそんなことを言われます。この間もいじめの問題を取材していたら、鹿児島市のあるPTA会長から電話がかかってきました。『あれはもう終わった問題だから騒がないでくれ。いつまで経っても学校の名前がマスコミに出るのは迷惑だ。いまは受験期で子どもを動揺させちゃいけないから、そっとしておいてくれ』と言うんです。」

  1. 2012/03/15(木) 15:17:59|
  2. 軽井沢小学校

その34 軽井沢のセレブ4 直木賞作家 小池真理子

※ちょっと軽井沢在住のセレブネタで気分転換、失礼します。本当は100人くらいまでやりたかったのですが、たぶん、もうじき終わります・・・。



小池真理子先生、 第62回芸術選奨受賞おめでとうございます、由紀さおりさんと並んだ先生の写真がここしばらく、ずっとわたしの○○○○でした、という下世話な話はさておき、先生が、アラン・ドロンとならび、春をひさぐような色気ある男として絶賛されていた、ジュリーこと沢田研二さんですが、確かに、かつてのジュリーは、「ジュリ〜〜!」と日本人の誰もが叫びたくなるような、絶世の美男子でした。

が、先生はご覧になられましたか、そうです、先日の旧タイガースの復活メンバーによるライブで、岸部シローさんの横で、一瞬、・・ドラえもん・・・? と見間違うような、青い服のジュリーの姿を見たときのわたしのショックときたら、いったいその衝撃を、 何と比べらむ・・・、長年の芸能活動休止後に再デビューを果たした天地真理にスタジオで再会したきの小柳ルミ子の仰天ぶり、としか表現できないようなおののきでした、

http://www.sanspo.com/geino/images/120125/gnj1201250505013-p1.jpg
岸部シロー、ジュリーのコンサートに登場

小池先生、やはり、ジュリーといえども人の子、花の色はうつりにけりな、ではありませんが、この世で朽ちることなく後世にまで引き継がれるものは、実にわずか、指折り数えても、ただ、三島由紀夫の、冬の日の武家屋敷の玄関の式台のような端正な文体と、春に勢いよく下萌するかのような、小池先生の匂い立つ官能美の描写、ただ、これふたつと、わたくしには思えた次第でございます。
  1. 2012/03/15(木) 19:38:20|
  2. 軽井沢のセレブ

その35 神童はつらいよ

以下は、かなり以前、とある巨大掲示板に書かれていた「伝説の受験生」の経歴です。

中1 81年 灘中合格
中2 82年 東大模試や月刊大学への数学の成績優秀者に。
中3 83年 灘中学3年ですでに東大理三A判定
高1 84年 駿台東大実戦全国2位
高2 85年 駿台東大実戦全国1位
高3 86年 駿台全国模試で全科目1位達成
大学 87年 東大理三入学
現在 05年 東大医学部助手(分子細胞生物学)

この人物の名はO氏といいます。高三になると、受験勉強をやめ、人文系の本を読み耽ったり、SFマニアで、日本語だと1冊15分くらいで読み終わってしまうため、日本語で書かれたものは全て読み尽くしてしまい、原書も踏破していたとか。また、弟さんも東大医学部に現役合格しておられます。

いま、再び検索してみますと、現在まだ東大医学部の助手のようで、「ネイチャー」や「サイエンス」といった一流雑誌に論文を発表しているものの「ノーベル賞候補にもなっていないのだから伸び悩み」と酷評するひともいる模様。辛いですねえ・・・。

また、東京大学大学院数理科学研究科の河東泰之教授(専門は作用素環論、特に von Neumann 環の理論における subfactor 理論と代数的場の量子論、さらにこれらと他の分野との関連、たとえば、量子群、3次元トポロジー、共形場理論、可解格子模型、頂点作用素代数など・・・だそうです)も、小学校のころから東大図書館に通っては、数学の専門書を読みまくり、四谷大塚の模試ですでに全国一番、入学した麻布中学では、あたりまえですが、ずっと一番、中2で東大模試の30位に名前が掲載され、麻布でも100年に1度の「天才」と謳わたそうです。麻布で100年に1度の天才って・・・麻布は1895年創設ですから、「麻布開校以来」ということでもある。凄すぎます。

当然のごとく、共通一次はトップ、東大入試も首席合格で、数学は1時間余って全問正解だったとか。

入学後は東大数学科を首席で卒業、当然の如く、いまは、前述のように、東大数学科教授になられていますが、当時の麻布の同級生のあいだでは、先生、なんと言われているか。

「河東くんもまるで伸びなかったねえ・・・、麻布で一番だったのに、フィールズ賞も取れなかったなんて」

・・・だそうです。

順当に東大教授になってもまるで評価されないんですから、神童はまったくつらい、神童になんか生まれるものじゃありません・・・。


※ご存じのように、数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞は、ノーベル賞と異なり、40歳未満の人物が受賞の対象なので、1962年生まれの河東先生は残念ながらもう無理なのです。

  1. 2012/03/15(木) 21:39:15|
  2. 神童

その36  606さんからの追加メール全文

※以下、改行等も含め全く原文のママです。じっくりと考えて回答したいので、しばらく時間をください。取り急ぎ全文を掲載します。



606です。

度々申し訳ありません。
先程、ブログでコメントいただきましたが、訂正をお願い致します。

私が「非常に気になる部分であり、問題としたい部分」は、引用いただいた文章の内容、及び文章そのものでは有りません。
ですので、気になり、問題としたい部分として、文章を引用いただいた事は、私の思いと異なります。

気になり、問題としたい部分は、鎌田さんを含め、問題の関係者を特定する事を良しとする方が、
「多くの関係者までも含まれ、その方々にまで影響を与えている事に気付けている方なのか?」
「また、事後、影響を与えた"当事者以外の関係者”への配慮・フォローが出来ている方なのか?」
と言う点です。

私の文章が下手な面もあったかと思いますが、あなたの認識をご訂正の程、お願い致します。

併せて、以降、私のコメントメールは全て掲載していただけます様、お願い致します。
  1. 2012/03/15(木) 22:53:08|
  2. 軽井沢小学校

その37  606さんからの追加メール全文 その2

※以下、改行等も含め全く原文のママです。じっくりと考えて回答したいので、しばらく時間をください。取り急ぎ全文を掲載します。




私の文章が下手な為、うまくお伝えする事が出来ず、ブログ主さまにご迷惑をおか
けしております。
大変申し訳ございません。

文章下手のフォローの意味で、念のため、私が「気になり、問題としたい部分」の
補足をさせて頂く事をお許しください。


今まで書きませんでしたが「学校名を公表する事が問題ない」と私が考える条件を
お伝えする事で、私が「気になり、問題としたい部分」のご説明にもなると思うの
で、その様に致します。

先ず、繰り返しになりますが、前提としてこれはお伝えします。
「学校の情報公開」「学校内の出来事の徹底的な可視化」には、全く反論無く賛同
致します。
そして、問題を押さえ込む事があれば、その学校には強く意見します。


私が「問題発信者が学校名を公表しても良いと考える条件」は以下の2つです。
●公表する事により、その学校の環境が良い方向に、"必ず"進む場合
●当事者以外の関係者(端的に言えば悪く無い人達)にかけた迷惑・不安を、事後
 "一人も漏らさず"取り除く事が出来る場合
これを行える方が発信するのであれば、異論はありません。

現状のマスコミ・評論家等の問題発信者の中に、こう言った事に配慮しているとは
思えない方々が存在している限り、私としては、学校名まで公開する事は時期尚早
と考えます。

あなたが出したので例として使わせていただきますが、「いまは受験期で子どもを
動揺させちゃいけないから、そっとしておいてくれ」とお願いされているのに、
鎌田さんと言う方は、それでも子供に迷惑をかける事に逡巡されていない様子…。
まさに、これは私が問題に感じる事の具体例です。

二つ目の条件が守られないという事は「大人が子供に迷惑をかけている」事になり
ませんか?
大人が子供に迷惑をかけるなんて、どんな理由があれ、絶対に許されません。
その上、迷惑をかけたまま放ったらかしているのが、今の状況だと感じています。
大人の情報発信が原因で気持ちの置き場所に困った子供達のフォローをしている
発信者が、どれ程いてくれるのでしょうか…。

"必ず"とか"一人も漏らさず"などと書くと「理想論」とか「現実的にムリ」と言われる
かもしれませんが、それは大人の責任逃れに過ぎないと思います。
悪影響を与え、挙げ句に放っておかれる子供が、例えたった一人でも存在するなら、
情報発信者の行動は正当化されるべきではないと考えます。

大人は子供を守るべき存在ですよね。
なのに、校名報道をしている大人達は、結果として正反対の事をしてる事が多い気が
します。
本人達には大義があるのでしょうが、例えたった一人だとしても、子供を踏み台に
している「大人の大義」とは、一体なんでしょうか?


また、論旨とずれたお願いで恐縮ですが、今後、あなたの意見の正当性を支持する道具
として、本や他の方の意見等を引用する方法は、控えていただけませんでしょうか?
二次情報を身に纏った意見でなく、あなたが実際に経験したりお考えになった事を元に、
お話を聞かせていただけると幸いです。

  1. 2012/03/16(金) 15:45:28|
  2. 軽井沢小学校

その38 軽井沢のセレブ3 勝谷誠彦(ホモかっちゃん) PART3

今は昔。すっかり仲違いして犬猿の仲となり果てたものの、名門 灘高校 にともに通ってた70年代当時は、「あのふたり、実は、できているのでは?」と陰でウワサされていた、軽井沢在住の チンピラ、もとい、セレブのホモかっちゃんこと 勝谷誠彦 と、いまや わが国受験業界最大のカリスマで東大医学部卒の医師と成り上がった 和田秀樹 が三ノ宮の映画館で二人仲良く映画を観ていたときのこと。

浅田美代子がスクリーンにあらわれると、勝谷が和田秀樹に自慢げに言った。
「俺は浅田美代子と二回やったことがある」

三十分後に、今度は、石野真子がスクリーンにあらわれた。
「石野真子とも三回やった」

やがて、国生さゆりがスクリーンにあらわれた。和田秀樹がニヤニヤしながら勝谷に言った。「じゃ、勝谷、おまえ、当然、国生さゆりともやったことがあるんだろうな?」
 
すると、勝谷がサングラスを半分顔から落としながら和田に怒鳴り返した。
「静かにしろ! いまやってる最中だ」
  1. 2012/03/16(金) 16:31:26|
  2. 軽井沢のセレブ

その39   軽井沢小学校 教頭先生から事件後はじめての電話

3月16日(金曜日)夕方5時半ごろ。(以下、要旨)



娘:(下の子のオムツを変えているわたしのところにきて)パパ〜軽井沢小学校の教頭先生から電話だよ。「ちょっとお待ち下さい」っていってあるよ。

わたし:オーケ、はいはい。・・・・・もしもし・・・

教頭:あ、教頭です。心配されているご父兄から問い合わせがあったものですから、それで、電話させていただいたんですけれどもね、4月からお宅のお子さんどうされますか?

わたし:は? それはわたしのほうが聞きたい質問ですケド。当方、少なくとも3月中旬までは、軽井沢小校内に立ち入り禁止、それ以降も学校側の自由な判断で立ち入り禁止、違反したら即座に警察に通報される身分ですよね。父母を立ち入り禁止にされてるわけですから、当然、その子どもも通わせるな、って話だと理解してますが?

教頭:いや、それ(親は校内立ち入り禁止)とこれ(こどもは学校に)とは違います。

わたし:ははは。で、謝罪とかはされないんですか?

教頭:それはあり得ませんね。

わたし:じゃあ、これ以上、話はすすまないのでは? ブログに状況はアップしてますから、それを読んでいただければ(とサイト名を告げる)。

教頭:わたしが読むにはやぶさかではないですが、教育委員会や校長は・・・読んで回答しろといわれてもできませんけど。

わたし:それは別にいいですけど、目は通しておかれたほうがいいのでは? ところで、新しい校長先生は決まられたんですか?

教頭:○○○○です、あっ、しまった、告示は明日でした、こりゃ、先ばしってしまった、しまった、まずいな・・・。

わたし:ははは。いや、別にいいですよ。でも、教頭先生、そんな、官僚的にばかり対応していると問題はなにも解決しないと思いますけど。ブログを読まれてまた感想などをまた聞かせていただければ。

教頭:はいはい。



  1. 2012/03/16(金) 18:16:45|
  2. 軽井沢小学校

その40 いま、「学校」から子どもを守るために親ができること 2

戸田忠雄先生のご主著のひとつ、「いま、『学校』から子どもを守るために親ができること」(講談社)から続けていくつか、わたしが読んで感銘をうけた部分を抜粋させていただきます。




「こころある父母の方は、学校が教育の場というよりはお役所のようになっている現実を先刻ご承知ですが、人質を取られている身ですから黙っているだけのことです」(95ページ)



「すこしずつでも児童・生徒の自主性を伸ばし、同時に自治意識を養うようにみちびくことが大切な教育ではないでしょうか。それとも、子どもたちはいつまでたっても未熟な子どもたちなのだから、教師が一方的に指導するほかはないとでも思っているのでしょうか」(98ページ)



「情報開示は先生と生徒の関係をよくします」(127ページ)



「いじめは認識の甘さが深刻な事態をまねきます」(132ページ)



「いじめられる生徒は、まず、絶対といっていいほど先生には言いません」(135ページ)



「教師にすれば申し出がないのだから、目の届かないところでいじめが行われていても、現実として見えるようにならないかぎりわからないわけです」(135ページ)



「いじめについては、父母のみなさんはすこしの遠慮もすることなく、すこしの躊躇をもすることなく、全知全能をかたむけて子どもを守ってください」(137ページ)



「しかし、いじめの問題は親が連帯して協力して、ということにもむつかしい面があります。いじめるほうにも親はいるわけで、しかも、いじめるほうが多数であるのがふつうですから、親もいじめる側のほうが多いのです。そして、だれでもいざとなれば、わが子はどんなに愚かな子どもであろうとかわいいのが人情ですから、利害は真っ向から対立します。学校の先生が、いじめについて無力な理由はここにもあるのです。保身とだけみるのは気の毒でしょう」(138ページ)



「子どものケンカに親が出ましょう」(143ページ)



「お客を会社側の都合で呼びつけるサービス業はありません。こんなことをするのはお役所と学校くらいです。こういう学校の身勝手さを改めさせるためにも、また、父母にみなさんが先生と会いやすい時間帯ということからも、夜間や休日に面談を求めればよいと思います。税金や授業料をはらっているお客にあわせるのが礼儀というものです」(147ページ)



「校長の顔が子どもや父母より教師のほうに向いているということです」(150ページ)



「黒船方式でズドーンと大砲をぶっぱなすのです。学校内の太平の夢が破られます。これは効き目があります。学校の先生方は校長以下みんな、教育委員会や自治体議員やマスコミなど外からの外圧を嫌います」(150ページ)



「教育委員会事務局の課長以下指導主任などみな教師です。学校現場の管理職が事務教へ出たり入ったりするので、校長、教頭の仲間で同じ穴のムジナであることは確かです。さらに、お役所体質に毒されている人もいないではありません」(151ページ)



「センセイは学校に『社会的ひきこもり』です」(211ページ)



「進歩の足をひっぱっているのが学校です」(214ページ)



「学校の先生は意外に裸の王様で、教師嫌いの子どもや父母からの情報はほとんど入ってきません」(224ページ)



「困ったセンセイは再教育、ダメ教師は排除しかありません」(228ページ)



「困った校長はダメな校長です」(236ページ)



「小中高と、それぞれ一校あたり、みなさんの税金がどれだけつぎ込まれていると思いますか」
(237ページ)


「次にダメなのは、校長が知っていても父母が文句を言わなければ、臭いものにフタをするやり方です」(238ページ)



「学校は絶対に潰れないという前提があるから、リスクなどという観念がそもそもないのです。潰れないということは、どんなことがあってもお客はいなくならない。もっといえば、そもそも児童・生徒や父母をお客だと思っていない。自分たちがお客に選ばれているという意識がまったくないのです」(239ページ)


「よい校長というのは危機管理(リスク・マネジメント)に対する意識が鮮明で、たえず顧客である児童・生徒や父母の要望や要求や批判に、謙虚に対応しようという姿勢を持っています。教師と顧客が対立したら、当然顧客の方をもちます」(240ページ)



「よい校長というのは、顧客や利用者だけではなく納税者のためにも、学校の内部の透明性を高めて、児童・生徒のプライバシーを侵害しないよう配慮しながら、必要とあればつねに情報開示するともりでいます。また学校のすべてについて隠し立てすることなく、説明責任(アカウンタビリティ)をはたす用意があちます」(240ページ)







・・・どうでしょうか。長野県の公教育の裏事情(=教師の天下)を知り尽くした戸田先生だから、あえて、このように書いていると思います。石橋校長は、まったくもって、この逆、つまり「俺様主義」でした。だから、わたしには、戸田先生がここで書かれている意味が実によくわかります。


「4月から、万が一、あなたを怖がる生徒がいても、わたしが必ず説得しますよ」とほがらかにわたしに答えた石橋校長。

この3月でめでたく定年退職して年金生活に入る御身です。では、4月以降は、いちボランティアの身分としてかかわり、説得されるということなのかな?

仮にそうだとしても、なんとお気軽、責任回避、次の校長に全てのトラブルを押しつけて逃げようとする、身勝手な発言でしょうか。

わたしとふたりきりの密室空間での発言ではありません。教頭先生、軽井沢署の警部補さん(戸田先生の教え子さん)ら合計5人がその場に居合わせてました。

よくもまあ、恥ずかしくもなく! いままで、長年のあいだ、誰からも、こうした身勝手な態度を注意されたことがなかったとしか思えません。

石橋校長先生、たしかに、学校は絶対に潰れなんですよね、リスクなどという観念がそもそもないんですよね。潰れないということは、どんなことがあってもお客はいなくならない、そもそも児童・生徒や父母をお客だと思っていない。

だから、本当に長い間、誰から、文句一ついわれず、石橋流でやってこれたんですよね。実によくわかります。ああ・・・、わたしも長野県の教職公務員になっておけばよかった・・・。

でも、校長先生、引退直前に、ひとことだけ、本当にひとことだけ、いわせてください。




「この卑怯者!」




ああ、なんだか少しすっきりしました。このひと言を、長年の教師生活の総括として、晴れて引退された石橋校長先生に捧げ、次項では、石橋校長の「校内立ち入り禁止指示メモ」を掲載します。
  1. 2012/03/16(金) 18:31:58|
  2. 軽井沢小学校

その41 石橋メモ全文

○○○○様


 2月24日(金)に○○さんが授業参観をされた折、次のような事案があったことが私に報告されました。
 6年生の教室内にいる○○さんの姿をみた女子児童が、恐怖心を抱き教室に入ることができず廊下で激しく泣いていて、担任が教室に入るよう促しましたが教室に入ることはできず、その時間は保健室で休んでいました。担任が後でわけを聞いたところ、次のようなことが分かりました。

 この児童は、20日(月)に○○さんが本校を訪れた時、職員玄関から廊下に渡っての場所で○○さんと私の大声でのやり取りを目撃していました。そのため、この児童は○○さんを「恐い人」と認識してしまい、教室内に○○さんがいることが分かったとき、トラウマのように過日のことが思い出され怖くて、教室に入れなかったのです。
(23日に来校された際にも、何人かの児童の日記の中にあの光景が恐かったと書いてきている児童があったことを、私は○○さんにお伝えしてあります。)

 過日、○○さんが授業参観をすることについて名札をつけていただければいつでもどうぞと申し上げましたが、○○さんが校内に入ることによって恐怖心を抱く児童があるため、これからしばらくは○○さんが授業参観することを差し控えていただくようにお願いしたいと思います。

 私が不在の時は、この文章を○○さんにお渡しするよう本校の職員に申し伝えました。この件に関して納得していただけないようでしたら、後日私が在校の時にお話しできればと思います。

 この件につきましては、軽井沢町の教育委員会にも連絡し、このような対応をとることを伝えてあります。少なくとも、○○さんに対し恐怖心を抱く児童が卒業するまでは、校舎内への立ち入りはご遠慮願いたいと考えております。


                           軽井沢小学校校長 石橋和雄


  1. 2012/03/16(金) 18:42:58|
  2. 軽井沢小学校

その42  移動祝祭日(エピローグ・・・ヘミングウェイ風に)

・・・というわけで、娘と息子よ、当時幼かったきみたちはもう覚えていないだろうけれど、以上が、われわれが軽井沢に最初に滞在した年の事件の第一幕の終わりだった。軽井沢はいつも軽井沢なのだけれど、すべてのことがいつも昔通りという訳ではない。軽井沢が変わるにつれてこちらも変わるのだ。

軽井沢には決して終わりがなく、そこで暮らした人が抱く思い出は、それぞれに、他のだれとの思い出ともちがう。わたしたちがだれであろうと、軽井沢がどう変わろうと、碓氷峠をこえて軽井沢にたどり着くのがどんなに難しかろうと、もしくは容易になろうと、わたしたちはその後、定期的に軽井沢に戻った。

軽井沢は常にそれに値する場所だったし、こちらが何をそこにもたらそうとも、必ずその見返りを与えてくれた。

最初の夏の林道の松の匂いをわたしは覚えている。山小屋ではじめて薪ストーブにナラの木をくべた日のことや、野ウサギやキツネの足跡を追いかけて、初雪をきゅっきゅっと音を立てて踏みしめながら、山を登った真冬の日のこと、山頂付近でとうとう彼らのその姿をとらえたときのことも記憶に鮮やかだ。

わたしは覚えている、鱒の生息する谷川の流れを、その流れが石にぶつかって深く潜水するときの、あの魔術的な回転音を。あるいは、その日の風の醸し出す浅間山の七変化を、また、その変化がこころに与える日々のかすかでささやかな影響を。

それは、2011年8月初旬のよく晴れた昼下がり、広い芝生の中央で、軽井沢に引っ越してきたわたしたちを迎えてくれた、ホバークラフトのように上下左右にダンスを繰り広げていた10羽ほどのクロアゲハたちの物語、空中へいったん舞い上がり、今度は、我々をより一層歓迎するかのように、黒い羽を広げて、再度、地上めがけて舞い降りてきた、彼ら蝶たち演出による、幻想的で、非現実的な風景をはじまりとする物語だった。

その翌年の春、事態は思いがけない展開を見せて、われわれは軽井沢を離れることになる。そして、ふたたび、東京へと舞い戻ることになった。原子力発電事故の影響が、あとから振り返ってみれば、本当にまだ幻想を抱けるほど傷が浅く、その後の悲劇が、まだ非現実的に思われるような東京に。

が、ともかくも以上が、その昔、きみたち姉弟がまだごく幼く、そして家族全員がともかくも健康で幸せだった頃の、最初の年の、軽井沢の物語である。
  1. 2012/03/16(金) 22:15:07|
  2. 軽井沢小学校
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