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【吉本隆明氏死去】 戦後思想に圧倒的な影響 時代と格闘したカリスマ 若者を引きつけた吉本思想 


■2010年、東京都文京区の自宅でインタビューに答える吉本隆明氏
 文学、思想、宗教を深く掘り下げ、戦後の思想に大きな影響を与え続けた評論家で詩人の吉本隆明(よしもと・たかあき)氏が16日午前2時13分、肺炎のため東京都文京区の日本医科大付属病院で死去した。87歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。 喪主は長女多子(さわこ、漫画家ハルノ宵子=よいこ)さん。

 今年1月に肺炎で入院し、闘病していた。 次女は作家よしもとばななさん。  1947年東京工大卒。中小企業に勤めるが組合活動で失職。詩作を重ね、「固有時との対話」「転位のための十篇」などで時代を捉える骨太の思想と文体が注目された。戦中戦後の文学者らの戦争責任を追及し、共産党員らがそれまでの主張を変えた転向の問題で評論家花田清輝(はなだ・きよてる)氏と論争した。

 既成の左翼運動を徹底して批判。「自立の思想」「大衆の原像」という理念は60年安保闘争や全共闘運動で若者たちの理論的な支柱となった。詩人の谷川雁(たにがわ・がん)氏らと雑誌「試行」を刊行し「言語にとって美とはなにか」を連載。国家や家族を本質的に探究した「共同幻想論」や「心的現象論序説」で独自の領域を切り開き、「戦後思想の巨人」と呼ばれた。

 80年代はロック音楽や漫画、ファッションに時代の感性を探り、サブカルチャーの意味を積極的に掘り起こした「マス・イメージ論」や「ハイ・イメージ論」を刊行。時代状況への発言は容赦なく、反核運動の考え方も批判した。

 宗教への関心は深く、「マチウ書試論」「最後の親鸞」で信仰の在り方を問い、オウム真理教事件も宗教の「臨界点」として積極的に論じた。

 激烈な言論と謙虚な人柄で、教祖的存在とされるほどの影響力を持った。晩年、藤村記念歴程賞、小林秀雄賞、宮沢賢治賞を受けた。

 96年に遊泳中におぼれて以降、体調を崩し、病に苦しみながら著作を続けた。東日本大震災後も科学技術の進歩を肯定する立場から原発を容認する発言をしていた。


◎時代と格闘したカリスマ 若者を引きつけた吉本思想 

 16日亡くなった評論家 吉本隆明 さんは、常に時代と真正面から向き合い、格闘を続け、鋭い言論で若者たちに大きな影響を与えた「カリスマ」だった。


 既成の左翼運動を徹底批判して新左翼の理論的支柱になった吉本さん。1968年に刊行した「共同幻想論」は難解な思想書でありながら、全共闘世代の若者に熱狂的に支持され、同書を抱えて大学のキャンパスを歩くのが流行した。


 高度消費社会を積極的に評価した80年代には、女性誌「アンアン」にコム・デ・ギャルソンの服を着て登場。その姿勢を批判した作家埴谷雄高さんと資本主義や消費社会をめぐって激しく論争した。


 若者を引きつけた吉本思想の根底には、一般の人々の生活を立脚点とする「大衆の原像」と呼ばれる理念があった。「大衆の存在様式の原像をたえず自己の中に繰り込んでいくこと」。自らも含めた知識人の思想的課題をこう定めた吉本さんは、60~70年代の新左翼運動でも、消費社会化という時代の転換点でも、常に「大衆」と共にあった。


 戦後知識人の転向問題からアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」に至るまで、批評の対象は驚くほど多岐にわたり、文学も思想もサブカルも同列に論じた。残された数々の著作は、一貫して時代と格闘し、「大衆」と共に歩んだ「知のカリスマ」の足跡でもある。(多比良孝司)

◎大衆の側に立った巨人 言葉発し続けた吉本さん 

 初めて 吉本隆明 さんのお宅に伺ったときのことを、鮮明に覚えている。雑然と置かれた本に囲まれた書斎で「戦後最大の思想家」と評された人は、伏し目がちにとつとつと話し、時折はにかんだような笑顔を見せた。1982年のことだ。


 難解な思想、論敵を批判する激しさ…。文章から受ける印象と、あまりに違うので驚いた。こちらの質問に「僕ならこう考えますけどね」と言ってから、実に丁寧に答えてくれた。徹底して大衆の側に立ったその思想同様に、権威的な振る舞いがみじんもなかった。


 詩人として出発したが、「大衆の原像」「自立」「共同幻想」などの概念で、社会に異議を唱える若者を引きつけ、60年安保闘争や全共闘世代のカリスマ的存在と言われた。しかし自らは「人を過剰に引きつけるのは、文体に問題があるのではないか。いけないところだ」と気にしていた。


 評論家としての原点は自らが軍国少年だったことの内省にあった。「敗戦で混迷していたとき、意見を聞いて、生きる支えにしたかった文学者たちが口を閉ざした。僕は求められればでき得る限り発言しようと決めた」。言語や共同体への原理的な考察を進める傍ら、その姿勢は亡くなる直前まで変わらなかった。


 吉本さんの考えは、時として世の「常識」や「正義」と対立した。反核運動が盛り上がったときは「誰も反対できない正義」を掲げた運動のうさんくささを批判し、オウム事件では「宗教の問題として考えるべきだ」とした。


 こうした発言は激しい反発も引き起こした。孤立感があったようで「いつも吹きさらしの中に立っているような気がする」と言っていた。しかし、吉本さんの「異論」がなければ、戦後日本の思想界は随分味気なかったと思う。


  96年の夏、西伊豆の海でおぼれて重体に陥ったことで、吉本さんの晩年はつらいものになった。若いころから患っていた糖尿病もあり、視力が極端に衰え、足腰も弱った。読むのも歩くのも驚くぐらい速い人だったから、急に襲った老いに戸惑っていた。「こんなことでは生きていても仕方がない」と弱気になっていたときもある。それでも晩年まで拡大鏡で活字を追い、精力的に発言を続けた。


 若いころ「ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる/もたれあうことをきらつた反抗がたおれる」と詩にした。徒党を組まず、戦後という時代に向き合いながら、幅広い分野に骨太な思想を組み立てた稀有(けう)な存在だった。だが、その人柄は「知の巨人」といったイメージとは遠い、優しく、一徹な下町の職人のようだった。(石森洋・共同通信元文化部長)

◎戦後が終わった 
 
 「吉本隆明1968」の著書がある鹿島茂・明治大教授の話 貧困を大義名分に「金権ブルジョア」を攻撃していた1950年代の世界の左翼陣営で、吉本さんはそうした手法が貧者の足の引っ張り合いを招くと厳しく批判した。知識の習得など個人的な努力や工夫で貧しさを抜け出すことを肯定する「自立」の考えは、後の思想的潮流を圧倒的に先取りしていた。吉本さんがいなければ、日本はまともな国にならなかった。亡くなられたことで名実ともに戦後が終わった。

吉本隆明氏の主な著作 
 
  吉本隆明氏の主な著作は次の通り。
 1952年 「固有時との対話」(私家版)
 53 「転位のための十篇」(私家版)
 57 「高村光太郎」
 59 「芸術的抵抗と挫折」
 62 「擬制の終焉」
 65 「言語にとって美とはなにか」
 68 「共同幻想論」
 71 「心的現象論序説」
 76 「最後の親鸞」
 84 「マス・イメージ論」
 89 「ハイ・イメージ論Ⅰ」
 95 「わが『転向』」
 98 「アフリカ的段階について」
 2002 「夏目漱石を読む」
 03 「吉本隆明全詩集」
 08 「貧困と思想」

 (共同通信)
 

2012/03/16 10:29

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コメント

そう遠くない日にこういう日が来ると思っていましたが・・・・。娘さんによる最期の様子を聞くとこちらもしんみりしてきます。あの率直さには感銘を受けました。

投稿者 反骨のフォークシンガー強力ばか本 : 2012年03月16日 19:47

60年安保闘争の世代は,吉本隆明氏の思想的営為がなかったら,生きる事それ自体に挫折しただろう。「大衆の原像」「関係の絶対性」という言葉は,社会科学的概念ではなくて,詩人としての吉本隆明氏の<詩的表現>のように思われる。中原中也の「狐の皮裘」と同等の詩的言語である。吉本隆明氏の原発発言は科学の致し方のない原罪性についての指摘であり,原発による被害の容認ではない。政治体制や経済体制の欠陥による原発問題と科学それ自体が持つ原発の問題性とを,ごた混ぜにして論じるべきではない。吉本隆明氏を失った今,世界は何処に光明を見出したらいいのだろうか。合掌。

投稿者 良心派 : 2012年03月16日 16:25

戦後の日本思想に大きな足跡を残した『思想の巨人』吉本氏の死去の知らせに衝撃を受けました。私の見解では吉本死の思想の原点は『甦るシモーヌー・ヴェイユ』にある。デカルトのコギトを自由に発展させて、指導教員の顰蹙を買った学位論文から、自ら未熟労働者として働き悲惨な労働環境や人間の尊厳を問うた『労働の条件』、さらにはサンスクリットを含む多言語の知識に伴った古今東大の文明思想論、さらに戦争に抗議してのハンストによる死。こうした社会正義をひたすらに追及したヴェイユの高潔さと柔軟性が吉本氏の膨大な作品、評論に反映されているように思われます。
広松渉氏、今村仁氏と共に私の少年、青春期にも大きな影響を与えた思想家でした。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

投稿者 LilyKitty : 2012年03月16日 14:39

戦後の日本思想に大きな足跡を残した『思想の巨人』吉本氏の死去の知らせに衝撃を受けました。私の見解では吉本死の思想の原点は『甦るシモーヌー・ヴェイユ』にある。デカルトのコギトを自由に発展させて、指導教員の顰蹙を買った学位論文から、自ら未熟労働者として働き悲惨な労働環境や人間の尊厳を問うた『労働の条件』、さらにはサンスクリットを含む多言語の知識に伴った古今東大の文明思想論、さらに戦争に抗議してのハンストによる死。こうした社会正義をひたすらに追及したヴェイユの高潔さと柔軟性が吉本氏の膨大な作品、評論に反映されているように思われます。
広松渉氏、今村仁氏と共に私の少年、青春期にも大きな影響を与えた思想家でした。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

投稿者 LilyKitty : 2012年03月16日 14:38

「知識の習得など個人的な努力や工夫で貧しさを抜け出すことを肯定する「自立」の考えは、後の思想的潮流を圧倒的に先取りしていた。吉本さんがいなければ、日本はまともな国にならなかった。亡くなられたことで名実ともに戦後が終わった」という山下憲一氏のコメントは、戦後思想の巨人に対する見事な弔辞だと思う。
私たちが60-70年に吉本思想に絆走しながら考えたことは決して間違いでなかったことが現在の政治・社会状況をみればよくわかる。
「お疲れ様でした、安らかにお眠りください」と心からお祈りします。

投稿者 Ricky : 2012年03月16日 13:14


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