2012年3月4日03時00分
東海道新幹線「のぞみ」が14日で20周年を迎える。誕生から今年登場予定の新型車両N700Aに至る変遷と逸話をたどる。
「のぞみ」の一番列車が、ゆっくりと名古屋駅の17番ホームに姿を見せた。だが、止まることなく、通り過ぎた。
1992年3月14日、午前7時40分。新時代の幕開けのはずだったが、東海地方では屈辱の「名古屋飛ばし」として記憶に刻まれた。64年の東海道新幹線開業以来、初めて通過駅となった瞬間だった。
今年1月のメ〜テレ報道特番では、視聴者が選ぶこの50年の「社会&政治経済」ニュースで、「名古屋飛ばし」は13位。戦後初の愛知県出身首相となった海部俊樹氏の就任(16位)より上位だった。
当時、のぞみは1日4本。始発以外は名古屋駅に停車した。なぜ1本だけが通過したのか。
JR東海によると、東海道新幹線は営業終了後、線路を支える砂利を1〜2キロごとに交換する。作業後はしばらく地盤が固まらず、早朝は減速が必要だった。
新生のぞみの売りは「東京―新大阪2時間30分」。始発は「東京を朝出て大阪の始業時間に間に合う」というスピードが魅力だったが、1駅停車すれば5分のロス。朝に名古屋から大阪へ向かう客は少なく、同じ時間帯に「ひかり」もある。JR東海は「影響はない」と判断した。
だが、地元の心情は読めなかった。「通過」が報じられると、各界から不快感の表明が相次いだ。愛知県出身で、元民社党委員長の塚本三郎氏や、当時公明党委員長の石田幸四郎氏ら国会議員も超党派で結束、撤回を迫った。
作家の諏訪哲史さん(42)は「名古屋は、中京を自称しつつも、東京・大阪ほどの求心力はないと悟っていた。それを時刻表ではっきり突きつけられ、焦りが出た」と20年前の空気を振り返る。
当時、バブル景気のまっただ中。マイケル・ジャクソンやマドンナら大物外国人タレントが相次ぎ来日したが、集客施設に乏しい名古屋では公演せず、東京や大阪、あるいは福岡などに限ることが多かった。
88年の五輪誘致でソウルに敗れ、堅実なものづくり気質からバブルの熱狂に乗れず、都市間競争に乗り遅れたという劣等感があった。「名古屋飛ばし」はその傷口に塩を塗り込んだ。
当時愛知県知事だった鈴木礼治さん(83)は「JR東海が『名古屋駅に止めさせてください』と言ってくるような地域に発展させると心中で誓った」と話す。
保線技術の進歩で減速が必要なくなり、のぞみ始発列車が名古屋駅にも止まるようになったのは5年後の97年。この年、4万人を収容するナゴヤドームが完成。05年の愛知万博開催が決まり、政府予算に中部空港の着工費が計上された。呪縛から解かれたように、不況風が吹く日本で「元気なナゴヤ」と呼ばれるまでになっていく。(神田大介)
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■東海道新幹線を巡る歴史
1964 東京―新大阪間開業
1975 博多まで開通
1987 国鉄民営化、JR東海発足
1988 JR東海、のぞみの計画まとめる
1992 のぞみ運行開始、300系デビュー
1993 のぞみが新大阪以西に乗り入れ、毎時1本に
1997 500系登場、山陽新幹線から乗り入れ開始
1999 700系デビュー、0系運転終了
2000 食堂車が営業終了
2003 品川駅開業、のぞみ毎時7本に
2007 N700系デビュー
2009 車内で無線LANが使用可に
2012 3月17日のダイヤ改定で、のぞみが1時間あたり最大10本に
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