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第三部  導なき世界の中で…… (C.E.72年-C.E.75年)
89  一つの終焉 -アマハラ首長国独立


 ……うーむ、どう表現したら良いものか。

 ……。

 うん、気が付いたら云々は自重して、ここは簡単にしておこうか。


 ……なんというか、目が覚ましたら、オーブとの戦争が終わっていた。

 もう一度重ねるが、戦闘ではなくオーブとの戦争が終わっていたのだ。


 少し前の状況……意識が覚醒した時からの状況を詳しく説明するならば、柔らかな光や規則正しく続く小さな機械音、顔に掛かる吐息、頬に感じた弾性のある感触に導かれて意識を取り戻し、ゆっくりと目を覚ましたら、ぼやけた視界一杯に、狸のように目の下に隈と作ったミーアの顔があった。いや、好いた女を狸のようにと例えるのは如何なものかって話になるが、ふいんき、じゃない、雰囲気でそう感じてしまったのだから仕方がない。

 で、俺が目を覚ました事に気付いたミーアが最初にしたことは……、俺の頬を思いっきり抓ることだった。


 ……痛かった。

 それ以上に、抓っているミーアの泣き顔が心に痛かった。


 ……と、しんみりとしたのはそこまで、直に泣き笑いへと表情を変じさせたミーアが各所に連絡しに走り、入れ替わりに入って来た馴染みの顔……エヴァ先生による非情な診察を受ける事になってしまった。

 その悪魔の如き所業もとい懇切丁寧な触診に脂汗を流しながら耐えていると、エヴァ先生が簡単な現状……L3宙域での戦闘から既に二週間以上は経過しており、ここがアメノミハシラの国防軍病院であるという事を説明してくれた。その話と自らの状態から先の戦闘が引き分けないし勝利で終わったと判断していると、エヴァ先生の話は俺の身体の状態へとシフトしていった。

 エヴァ先生特有の尊大な口調での丁寧な説明によると、例のジャスティスとの戦闘で俺が負った怪我は、大衝撃を受けた事によるむち打ちとシートベルトによる胸部圧迫で発生した肋骨骨折だったそうだ。
 特に肋骨骨折が厄介だったそうで、肋骨が折れたことで身体への凶悪な圧力は減じたものの、一部の臓器が機能不全となったり、幾つかの骨の欠片も幾つかの臓器を傷つけていたとのこと。その為、それらの骨の欠片を摘出をしたり、損傷した臓器の再生治療を施したりと、結構な時間を要したらしい。付け加えれば、臓器の治療に使用されたのは、親父と我が母が自らの身体の事情を鑑み、いざという時の為にと、月のコペルニクスにある再生医療バンクで保存していた幹細胞だったそうだ。

 うぅ、こんな所で両親の愛を実感する事になるとは……、身体が治ったら、絶対にプラントに、母の墓参りに行こう。

 そんな風に考えていると、締めくくるように、エヴァ先生はこう言った。

「ふむ、どうやら肋骨もしっかりと繋がり始めているし、治療を施した内臓の状態も良好のようだ。……だがな、ラインブルグ、日常生活ならばともかく、戦場ではまず間違いなく死んでいる怪我だった。お前を救う為に尽力した者達と親の威光、それと自らの幸運に感謝しておけよ」

 まったくもってエヴァ先生の言う通りだと思うと同時に、俺を助ける為に尽力してくれたであろうエヴァ先生に感謝の念をこめ、喉がひりついて声が出せなかったので、そのアイスブルーの瞳をしかと見つめて、首が固定されている為に動かしにくい頭を下げた。

「ふ、ふん、また後で診察に来るから、ちゃんと大人しくしておけ。……ああ、それとな、伝え忘れていたが、オーブとの戦争は終わったからな」

 照れたように頬を染めるだなんて、とても貴重なエヴァ先生の姿に心を癒されつつも、首を捻ろうとして無理だったので、頭ごと傾げた。

「先のL3での戦闘でオーブの宇宙戦力が壊滅し、プラントでも……いや、詳しい話はこれから見舞いに来るラヴィネンやラバッツにでも聞け」

 そう話を打ち切るように宣すると、エヴァ先生は俺の上半身を馬鹿丁寧に扱いながらコルセットの着脱をしてくれた男性看護士を引き連れて出て行った。


 そして、一人、病室に横たわっている現在に至るわけなのだが……、オーブとは戦争が終わったのかぁ。

 もちろん喜ばしい事なんだが……、その、実感が湧かないわ。


 まぁ、これも記憶が戦場で……ジャスティスにやられて、ビームライフルの引き金を引いた所で途切れているからだろうが……、そういえば、レナやマユラ達は無事だろうかって、エヴァ先生が見舞いに来るって言ってたし、ミーアも普通だったし、大丈夫だったみたいだな。

 ……。

 いや、この目で見るまでは、とりあえずは保留にしておこうか。


 ……。


 むぅ、ミーアが帰ってこない。


 ……。


 ここは大人しく寝ておくか。


 ……。


 …………ぐぅ。


 ………………。


 …………。


 ……。


 ざわめきが耳に入ってきたので目を覚ましてみると、見知った顔……親父やおっさん連中の顔があった。

「む、アイン、起きたようだな。……どうだ、気分が悪かったりはしないか?」

 親父の呼びかけに対して大丈夫と応えようとするが、喉はひりついたままであり、とても声が出せる状態ではなかった。なので、一つ頷いておく。

「そうか、なら、いい。……しかし、今回ばかりは肝を冷やしたぞ」

 すんませんと目を伏せておく。

「本当に……、いや、小言は全快してからにするか。……とにかく、よく、生きて戻ってきた。今は、ゆっくりと休め」

 それだけ言うと親父は背を向けて病室から出て行った。少し細く感じる後姿に、心底から心配をかけさせてしまった事に申し訳なさを感じていたら、厳しい顔をしたおっさん連中が視界に入ってきた。

「まったく、これ以上、親父に心配かせさせるんじゃないぞ、アー坊」
「アー坊のことだから仕方なく無理をしたんだろうが……、お前がラインブルグ・グループの後継者であることも忘れてくれるなよ?」
「弱い男が好かれんのは確かだが、死んだ男はもっと好かれんことを忘れるな」
「可愛い嫁さん達を遺して逝くような奴じゃないとは信じてはいたが……、以後は自重するように」
「ったく、俺達をこれ以上心配させるな……、寿命が縮む」
「助かった命だ、これから先、絶対に粗末にするんじゃないぞ」

 なんて風に、かなり心配させてしまっていたのだろう、おっさん連中も口々に一声掛けながら退出していったっと、ベティか?

「……アイン、あんたが全快したら、全力で殴ってやるから、そのつもりでね」

 うぅ、ベティの全力パンチは勘弁願いたいと思っていたら、その横にアルスターも顔を出した。

「あんた、あんまり会長を心配させたら駄目よ? 一時は食事もされていなかったんだから」

 反省してます……が、アルスターの所の旦那(ヒビキ)は大丈夫なのか。そんな疑問が顔に浮かんだのか、アルスターは軽く微笑み、こう返してきた。

「うちのキラもちゃんと無事に帰ってきたから、心配しなくても大丈夫よ」

 ヒビキを再び戦場に引き込んだ責の一端を担うだけに、その言葉を聞いて、ほっと、息を吐いた。するとアルスターは、今まで見たことがない程に柔らかい笑みを浮かべて口を開く。

「それよりも、あんたは自分の身体をしっかりと治しなさい」
「そうね、ふふふ、全力で殴れる日と楽しみにしているわ」

 いや、ベティ、そんなことをされたら、即座に病院に戻されるから、本当にやめて頂戴。


 その後、ベティやアルスターと入れ替わる形で、シゲさんやパーシィ、アーガイルといった第五研の皆や以前のプロジェクトで世話になった元メンバー達が次々に訪れてくれたのだが、あまりにも次々に人が入ってくるから、ちょっとばかり人に酔ってしまった。その事に気付いたらしいエヴァ先生……何気に患者の機微には敏感な人なのだ……が、あまり大勢での入室を禁止してくれたから助かった。

 もっとも、そんな混雑は長くは続かず、一時もすると再び一人の状態に戻る事になる。そうなると、人酔いして疲れたこともあってか、自然と眠たくなるわけで……ぐぅ。


 ……。


 …………。


 ………………んっ?


 ……なんだ? 足音が?


 少し重めの足音が聞こえたので、目を開けて見る。

「よっ、意識を取り戻したって聞いたから見舞いに来てやったぞ、ラインブルグ。しかし、随分とまぁ、一週間前にガラス越しで見た機器に囲まれていた姿に比べると、かなりマシになったみたいじゃないの」

 フラガっ! ヒビキと違って、援軍にも来やがらなかったフラガじゃないかっ!

「なんだか、妙に不穏な気配を感じるが……、何にしろ、あれだけの怪我を負っておいて、無事に生還できたんだ。……良かったな」

 ……あ、ありがとうなんて、お、思ってなんかいないんだからな、勘違いするなよっ!

「うぉっ、鳥肌がっ! ……あっ、そういえば、ここは危険地帯だったな」

 んっ、危険地帯?

「いや、なんでもない。それよりも、死に掛けたことで心配を掛けた上に色々と面倒を見てもらった嬢ちゃん達には、しっかりと、謝罪と感謝をしておけよ?」

 もちろんだ。つか、兆が一の奇跡が起きて、両手に花どころか両腕一杯の花束を抱えている以上、そう簡単に死ねるわけがない、的な意味合いを込めて、ニヤリと笑みを浮かべて見せる。

「お前、今、世の男を敵に回すような事を考えているだろう。ったく、そんな事してると、いつか嬢ちゃん達に横恋慕した男に刺されるぞ」

 ……。

 確率的に考えると、交通事故に遭遇するのと同じ位にありえそうだ。折角、永らえる事が出来た生命を守る為にも、今後の生活では今まで以上に自重することにしよう。そう内心で決意を固めていると、軽い笑み或いは呆れた笑みを見せていたフラガが顔を引き締め、改めた口調で話し出した。

「ラインブルグ、もう誰かから聞いているかも知れんが、オーブとの戦争は終わった」

 それは聞いているんだが、できれば、もう少し詳しくお願いしたい。そんな意思を伝える為に頭を縦に振った後、上手く動かない上半身も何とか連動させて横に傾げる。

「……お前が倒れた後の事を聞きたいのか?」

 ヤー、お願いする、と頭を縦に……、むぅ、やっぱり動かしにくい。

「了解了解、わかったから、無理すんな。こんなことで入院が延びたら、俺が嬢ちゃん達に刺される」

 大丈夫、そんな事をする子達じゃない……はず。

「なら、詳細については端折らせてもらって、大体で話すぞ」

 ウィ、よろしく。


 と、こんな感じで始まった俺が意識を失った後の話だが、何だかんだと長くなったので自分の中で更にまとめることにする。


 俺がジャスティスに撃破された後、アマハラ艦隊への突入を図っていたアークエンジェルは両舷艦首にある主砲を両方とも破壊……俺が撃った最後の一撃は物の見事に左舷艦首の主砲塔へと命中し、丁度、発射寸前だった影響もあってか大爆発を起こしたらしい……された事で戦闘力を大幅に減じさせ、また、大爆発が影響したのかはわからないが、動揺するように動きが鈍くなったそうだ。それに加えて、アークエンジェルの近くで展開された、ジャスティスとヒビキが駆るカルマとの壮絶な一騎打ちで、これまで無敵を誇っていたジャスティスが徐々にカルマに押され始めたとのこと。
 艦首が大爆発したアークエンジェルやたった一機のMS相手に苦戦するジャスティスの姿に、前線でMS戦を行ったり、アマハラ艦隊への突入を図っていたザフト及びオーブのMS隊も動揺し始めた所に、アマハラの可変MS隊がザフト及びオーブの艦隊へと対艦攻撃を仕掛けたり、逆に対艦攻撃中だったオーブ可変MS隊がトツカ級二隻を撃沈しただけでフラガと対応に当たった即応MS隊によって壊滅させられたり、イワト要塞からパッツ履きの防衛MS隊が増援に到着したり、後方に留まっていた第二艦隊がザフト・オーブ艦隊の側面を取るべく動き始めたこともあってか、極一部のMSを除いて、突入を諦めたそうだ。

 もっとも、この時、ザフト及びオーブのMS隊に形振りかまわぬ突入をされていたら、艦隊はかなり不味い状態に陥っていたと、戦闘終了後のシミュレーションで弾き出されているいるとのこと。

 それが現実にならなかったのは、机上演習やシミュレーションではまず感じられない、戦場や前線に満ちているその場その場の空気……実際に戦っている将兵の士気が醸し出す雰囲気……云わば、戦いの流れというものがアマハラ側に傾いていたということだろう。更に駄目押しすれば、その流れを引き戻せるだけの要素をザフトやオーブが持ち合わせておらず、また、それが無くても引き戻す為に、様々に手を打つべき所を何もしなかったオーブやザフトの指揮官が宇宙戦の指揮に慣れていなかった、あるいは、単純に無能だったって所かな。

 まぁ、こういったことがあった事に加えて、迎撃に出てきたMSを突破し、艦隊への突入を敢行したアマハラの可変MS隊が所属機の半数近くを失ったのと引き換える形で、ザフト艦艇……主にローラシア級を十一隻と、オーブ軍艦艇……旗艦クサナギを含む四隻を撃沈したり、オーブ可変MS隊を蹴散らしたフラガや即応MS隊、増援のイワト防衛MS隊が、第一艦隊への突入にして、トツカ級一隻を沈め、クロガネ級二隻に損傷を与えていた十機程のザフトMSを一機残らず殲滅したり、前線を支えていたアークエンジェルが後方より前に出た即応部隊戦闘艦艇による逆撃を、艦砲射撃や対艦ミサイルの飽和攻撃を受けて大破……撃沈ではなく大破というあたり、不沈艦の名は伊達ではない……し、フラガに拿捕されたり、無傷な所が見当たらない位に激しい一騎打ちをしていたジャスティスがカルマと相打つ形で撃墜されたりした為、ザフト及びオーブ軍は前線どころか後方の艦隊までもが総崩れになったそうだ。

 まさに算を乱すように逃げ出すという言葉が当てはまりそうな状況だけに、本来ならば、とことん付け込む形で追撃をするのが普通なのだが……、相手がザフトだけならばともかく、流石に半年前まで同じ釜の飯を食っていたオーブ軍が含まれている状況で殲滅に動くというのも後味が悪いし、総合的な戦果評価でオーブが保有していた宇宙戦力が実質的に壊滅したとも判断された事もあって、警戒線を引くだけで、敵味方を問わずに、救難者の救助に当たったそうだ。

 これらが先のL3での戦闘が終わるまでの流れになるのだが……、うん、最後に追撃をしなかったのは甘い判断だと言われるかもしれないが、調子に乗りすぎた結果、大きな恨みを買ってしまうと大変なのは四月馬鹿の一件で経験済みなだけに、必要以上に血を流さなかった作戦司令部の判断を俺は支持する。

 とはいえ、ザフトに戦力が残っている以上は、この一戦だけで戦争が終わる、ということはならない。

 では、何故、戦争が終わる方向に流れたかというと……、俺達がL3でドンパチしている間に、ヤキン・ドゥーエ要塞管制宙域でもプラント国防軍艦隊とザフト艦隊とが激突し、国防軍側の勝利で終わったからだ。

 この一戦で、向こうは気付いてないだろうがさり気に縁があったりするシン・アスカが仲間達の支援の下、クライン政権側の切り札たる新型フリーダムを撃墜したり、前線を突破したプラント国防軍MS隊がザフト艦隊を撃破したりして、ザフトが保有していた宇宙機動戦力が底をついたのだ。
 となれば、当然、勢いに乗ったL1側がL5の制圧に動いてもおかしくは無いのだが……、例の新型フリーダムがシン・アスカ達の手で落とされるまでに、補助強襲兵装ミーティアや新たに装着されていたというドラグーン・システムを使って大暴れしたそうで、国防軍側も甚大なダメージを受けたとのこと。なので、ヤキン・ドゥーエ要塞や本国を守る防衛隊を抜くことは不可能だったらしい。

 ……いやはや、こっちがジャスティスオンリーで良かったわぁ。

 で、この戦闘の顛末もあって、L5クライン政権からこれ以上の支援を得ることができないと判断したオーブ側がアマハラ首長国に停戦を提案し、三日程の協議……どんな内容を話したのかはわからないが、サハク首長のことだから、地上への直接侵攻と経済封鎖の解除を組み合わせた剛柔一体の提案をしたはずだ……を経て、アマハラ首長国側がオーブに対して、宇宙植民地の独立と施設譲渡に係る代価請求権の放棄を認めさせ、また、アスハ代表を実権を持たない代表に退く事を飲ませたそうだ。

 ……ううむ。

 前者はともかくとして後者に関しては、なんとなく、サハク首長の意向というか……、これ以上、アスハ代表を政治に関わらせない為の思いやりのような気がしないでもないなぁ。いや、もちろん、実際はどうなのかはわからないが……、うん、そう思っておく事にしよう。


「まっ、こんな感じだ」

 おう、長い話をしてくれて、ありがとうよ、フラガ、と顔と頭の動きで感謝を示す。

「何、気にするな、後でお前さんの世話になりたいことがあるからな、先行投資という奴だ」

 んんっ? 世話になりたい?

 ……むぅ、なんだろう、バジルールさんとの事かな、と内心で不思議に思っていると、フラガが背を向けた。

「それはお前さんが話せる位に直ってからするよ。じゃ、今日はこれで帰るわ、っと、そうそう、ラインブルグ、一つだけ忠告しおくが…………、いや、下手に伝えると、かえって不安を煽るか」

 えっ、ちょっ、その切り方の方がって、てめぇ、そのニヤニヤ笑いはっ、わざとだなっ!

「いや~、とりあえず、この病院ではな、〝後ろに気をつけろ〟とだけ、伝えておこう」

 う、しろ?

 うしろ、うしろ、バック、バックに気をつけろ……、んんっ?

 ……。

 ッ!

 ま、まさかっ!

「じゃ、また来るぜ」

 いや、ちょっとっ!

 俺が抱いた懸念があっているかどうかを教えるかっ、ちゃんと脅威の元を教えてから帰れぇーーーーーっ!


 と、そんな俺の魂の叫びは届かなかったようで……、軍服姿のフラガはさっと踵を返すとヒラヒラと手を振りつつ、女性看護士から向けられる色気のある視線の中を、イケメンらしく颯爽と去っていった。


 お、おのれぃ、フラガっ、覚えてやがれっ!


 ……。


 うぅ、無駄に恐怖を煽ってくれたお陰で、尻の辺りが、こう、きゅっとなってるわぁ。


 ……い、いや、今はともかく、恐怖を忘れる為、もとい、情報を頭に染み込ませる為にも、ねよう、うん。


 ……。


 …………。


 ………………ァッー。


 …………はっ!


 い、今の悪夢はって? んんっ、この髪の色は……、レナにマユラか? でも、なんで、足元に?

「あっ、先輩、起きたんですね」
「すぐに換えてあげるから、我慢してね」

 換える?

 何を?

 ……えっ、まさか。

「はい、先輩、今から取り替えますから、暴れないでくださいね」
「今日で最後だと思うと、感慨深いね」
「ふふっ、いいじゃない、後で先輩を弄るネタが出来たし、これからの予行練習にもなったんだし」
「あっ、なるほど、そう言えばそうよねぇ」

 なん……だと……。

 そ、そんな羞恥ぷれいを、俺が意識を失っている間に、何度も、なんども、ナンドモ……。

「はーい、じっとしていて下さいねぇ」
「んふふー、今日の調子はどうかなぁ」

 えっ、やめっ、なにっ、ちょ、ほんとにやめっ、まさか、このとしで、そんなっ!



 ――しばらくお待ちください――



 ……うっうぅ、レナ達に穢されてしまった、というのは冗談だが、いや、二人というか、ミーアを含めた三人の、排泄物の始末をしてくれるという献身振りには、本当に足を向けて寝られないというか、頭を上げられなくなりそうだ。

 羞恥心を克服……別名で賢者モードとも呼ぶ……して、そんな感慨を抱いていると、レナとマユラは手馴れた様子で枕元に椅子を運んできたかと思うと、並んで座った。そして、まず、レナが口を開く。

「先輩」

 はい。

「今回のこと、軍務に就いている以上、仕方がないことだとはわかっていますが……、絶対に、後でっ、全力でっ、引っ叩きますっ! ……私はそれで自分を納得させますので、そのつもりで覚悟していて下さいね」

 ……はい。

 温厚なレナが全力で引っ叩くと言う程に心配を掛けさせたのだと、ショボーンとしていると、今度はマユラが話し出した。

「あ、私は引っ叩いたりしないから、安心してね、アインさん」

 ……あい。

「でも、これからは、そう簡単に危険に飛び込まないように、心を縛り付けるつもりだから覚悟しておいてね?」

 え、えと……、呪いの類は勘弁したいんですが、等と考えるが、マユラはそれ以上語ることは無く、隣のレナが首を傾げる位に、ニヤニヤとした笑みを浮かべて見せた。

 その笑みを見ているうちに、なんとなく、人生の墓場に吸い込まれていくような錯覚を覚えていたら、廊下に繋がっているのとは別の扉が開き、寝ぼけ眼のミーアが入ってきた。

「ん~、レナさんにマユラさん、来てたの?」
「ええ、さっき来たところよ、ミーアちゃん。それよりも、大丈夫? まだ、寝てた方がいいんじゃない?」
「ん、もう大丈夫。兄さんが起きて、ちょっと気が抜けたみたい」
「前からずっと言ってるけど、無理しちゃ駄目よ、ミーアちゃん」
「ん、わかった。兄さんもちゃんと起きたし、今日から無理しないで大人しく寝る」

 ……なんというか、下手な姉妹より姉妹みたいだよなぁ、この三人ってっ、ミーア、手を掴んで?

「さっき言うのを忘れてたけど……、おかえり、兄さん」

 ……。

 結局、声は出せないかったが、口の動きで何とか〝ただいま〟と応え、ミーアの柔らかく暖かな手をしっかりと握り返した。


 …………気のせいか、自分の目元からあついものが流れた気がした。


 生きて帰ってこれて……、良かった。


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