2012年03月16日 (金)

シンディー・ローパー記者会見 at日本外国特派員協会:全文掲載です

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東日本大震災から1年に合わせて来日した世界的なポップスターのシンディ・ローパーさんが、12日に日本外国特派員協会で開いた記者会見の全文を掲載します。

無名時代に日本料理店で働いていたこともあるというシンディさん、会見では日本のファンや被災地への思いを語り、「福島のお酒を買って!」と呼びかけたほか、大ヒット曲「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハブ・ファン」の邦題名にまつわるエピソードも披露しました。

 

 

シンディ・ローパーさん記者会見 
3月12日13時から日本外国特派員協会にて

 

~ニホンを忘れないで~

シンディ:

 こういう場は初めてなのでどんな感じになるのか分からないのですが、依頼があったのでどんな風になるかな?と思いながら依頼を受けることにしました。・・みなさん、元気ですか?

 昨年私達は、地震のあと残りました。というのもこの国には1983年以来、長い関わりがありますし。日本にいる仲間たちと一緒に密接に働いてきました。長い時間、実際、14時間、16時間、時には18時間も一緒に。「いつも華やかな体験ばかりではないでしょう?」と言われますが。そして私のすぐ横には、スポットライトを浴びることはないものの、私と同じくらい懸命に働いている人たちがいるのです。彼らと知り合いになり、そして彼らを愛するようになりました。

 「True Colors」を最初に歌ったのは日本で、観客が一緒に歌ってくれて嬉しかった。観客が歌い返してくれたのも初めてでした。今でもその時の日本語訛りの歌を覚えています。その訛りがすっごくステキだったの。まぁ私の英語も訛ってますけど(笑)。どんな国でもそれぞれに訛りがありますよね。

 で、早い話が私には政治的な意図はありません。でも世界の皆さんに、日本のことを忘れないで、と伝えたいのです。
 本当に心を痛める出来事でした。福島に友達がいるのですが、震災の時、彼女は10分間揺れを感じ続けたそうです。「よく皆から『頑張って』と言われるけど、それは分かるけれど、頑張ることなんてとてもできない。人間だし。まだ仕事もないままだし」と語ってくれました。多くの人が仕事がないままです。避難して土地を離れればよいと言われても、仕事がなければ荷物をまとめて新天地に向かうのは難しい。
 アメリカでもニューオーリンズで同じようなことがありました。堤防が決壊するから避難せよと言われても行く場所がなかったのです。貧しかったから。福島や仙台地域では、遅れをとらずに避難するのが難しかったのではないかと想像します。

 大変悲しい出来事でした。でもみんな前へ進もうとしています。でも「日本のことを忘れないで」と皆にいいたいのです。私が思うに日本の人たちは80年代、90年代に危機が起こったとき、いつも支えてくれました。今はその日本が危機に面しているのです。世界中あらゆるところで危機が起こっています。でも皆、前を向いて歩み出そうとしています。
 でも、彼らのことを忘れて欲しくないのです。彼らに愛を送ることを忘れて欲しくないのです。被災地に友だちがいたら連絡してあげてください。そうすると「忘れていないよ」ということが伝わるのです。支えてくれているという気持ちが伝わるのです。

 私は(震災直後の日本に)留まりました。なぜなら私がいることがいい意味で気晴らしになると思ったからです。70分か80分でしかないですけど皆で集まって、一緒に歌うことができるわけですから。私は音楽には癒しの力があると思っています。もしかしたら、その(震災の)ことを少し忘れられるかも知れない。ほんの少しの時間だけれど。そして気分が少し晴れるかも知れない。そしてまた現実に戻るわけですが、以前ほど辛くないかもしれない。私はいつも音楽に助けられてきました。なので単に私はそれを他の人にも伝えていきたいだけなのかも知れません。念のため申し上げますが、本当にひどかったです。大量のがれきが私の国に向けて流れていますから、いずれ、どれほど甚大な被害だったか、理解するかも知れないと思っています。

 以上です。私は大統領選に出馬するわけでもないですし(笑)単なるロックンローラーですから。私はロックンロールが世界を救うとずっと信じています。ロックが世界を救う、今でもそれが私の原点となっています。そのように私は育ったのです。ライブエイドの精神や活動。音楽がやってきたこと全て。ビートルズとか、彼らが我々に伝えてくれたこととか。ジョンとヨーコとか。・・Hey、こうした伝えること、理解することをすべきだと思うの。そして友だちを忘れないこと。友達がいるのだから電話をかけたり、家に招いたり、一緒にいてあげたりして下さい。大切なことですよ。(隣にいる)れい子さん、何か発言して下さいよ。何といっても、日本のロック音楽のグル(権威)なのだから。れい子さんが私に日本のロックンロールのことを詳しく教えてくれました。

 

~被災地を訪れて~

湯川れい子さん:
 まずは、なぜ私がこの場にいるのかをまずご説明したいと思います。でも、私の英語は、えーと、何といえばよいのか、「充分でない」ですから(笑)

シンディ:awesome!(スゴイ!)

湯川さん:
 私がなぜここに居るかですが、オブザーバーとして、シンディが今回どこを訪れていたかを説明するためです。宮城県に行ってきました。とくに小学校とかいくつかの場所を訪れました。たとえばこの小学校ですが、犠牲者は多くなかったのです。でも子供達は3階に行って、3日間、屋上にいることを余儀なくされました。SOSのメッセージを屋上に準備したことで知られるようになった学校です。それから楽器店に行きました。津波で多くの楽器が浸水した店舗です。今やよく知られるようになりましたが、一台のピアノが「ピア子」と名付けられまして。昨日、(シンディは)私に、これらの津波で浸水したピアノを何台か購入したいと言ってきました。「再び生まれ変わる」ように調整されているピアノを。そのようなピアノを寄付したいとのことです、現地の学校に。それから、西光寺にも行きました。西光寺の檀家さん、英語で何て言うのかしら。

シンディ:
 仏教のある宗派のお寺で、ダライ・ラマも来訪したことがあるお寺です。ひどい被害にあって荒涼とした場所を訪れると、自分の気持ちも荒涼としますよね。正直なところ、そうですよね。私たちがお寺を訪問したとき、たくさんのテーブルがあって、袋が並んでいました。袋の中には、これほどの大きさのものもありました。これらの袋は、誰からも引き取られていないままなのです。なぜならば、引き取るべき人たちもいないからです。これらの袋は、すべて、誰かに引き取ってもらうことを待っている火葬された遺骨だったのです。お坊さんは「あのご家族の息子さんは知っていました。息子さんは私の息子と同い年でした」と言っていました。
 悲劇は誰をも襲います。けれども今回は規模が甚大でした。街が全て・・全てですよ。ある学校の前を通ったのですが、その学校では一階に保護者が、最上階に子供達が避難していたのですが、全員、溺死または流されて亡くなってしまいました。本当に衝撃的でした。そんな時に小さなピアノ店を見つけたのです。オバアチャンと、おじいさんがやっているような。そこの年配の男性が、部品一つずつを修理・調整し、ピアノを修復しているのです。それがある日本の有名な歌手、ミュージシャンが買ったピアノなんです。

 これは私のアイデアなのですが、とはいいながらも私はその楽器店で小さなメロディカを買っただけですが、でもとにかく、ビジネスが必要なのです、復興には。材木屋さんが再開していました。あ、材木屋ではなく製紙工場です。製紙工場が再開していたのです。それが大切なのです。人が働くことを再開できるからです。陸地が今まで以上に低くなってしまいましたが、それにどう対応していくのか私には分かりません。山のほうに移住するにしても、そのためには山を切り崩して平地を作らないといけません。まだ人々は、というか、もし私が同じ立場だったら今でも情緒不安定だと思います。とにかくアイデアとして、ピアノを買って学校に寄付してはどうかと思ったのでした。そうしたらそのお店の経営の助けにもなるし、子供に音楽と触れる機会を、子供が音楽と共に育つことができるのではと思ったのです。
 それからレイコに、桜の木を植樹できないかとも聞いてみました。というのも桜の花は春に咲き、そして大きくなるからです。子供達が、桜の木と共に成長するのです。毎年桜を見られるのです。そうしたら少しでも厳しさが和らぐのではないかと。土壌は塩害を受けましたし、建物は跡形もなく流されました。がれきの山が自動車やゴミが、いまでもそのまま残っています。そういった厳しさが和らぐのではないかと思うのです。

 というようなことを、先週の月曜日に私たちはやりました。地図で見ると分かるように、入り江のようになっている地域ですよね?その僧侶は素晴らしい方でした。皮肉なことに、墓石はひっくり返されてしまいましたが水がちょうどお寺の入り口までしか上がって来なかったそうです。お寺が津波被害を免れたのは、家を失った人たちが避難できるようにと言う、皮肉なことでした。被災した方々にはその僧侶が必要でした。話を聞いてくれる人が。お寺に行って話を聞いてもらって、必要な物資の供給を受ける。お寺は提供していました。この僧侶のところでは寄付も受け付けているのです。

 そういう3か所を訪れました。子供達はすばらしかったです。小学生くらいの子供達。彼らは普通の子供達がやるようなことをやっているわけです。小さな男の子達は騒々しいし。生活は続いていくわけですから。でもかつてよりも、厳しい生活になっている。だから、忘れないで下さい。それから、ビジネスも。モノを買ってください。どうせ何かを買うのですから、被災地の製品を買ってください。おカネが回るようにしてください。人は復活し、自分の脚で立ち、歩くことができるようになりますから。
 

 福島の友達と話をしたんですが、彼女はまだ仕事がないんです。私に会えて嬉しいと言ってくれましたが、地震の話をしてくれて、まだ感情的につらそうな様子でした。話のあとに、もちをくれました。クルミ入りの。個人的にはアイスクリーム入りのモチをまだ探しているんですが(笑)。とにかく、そのおモチをくれてから彼女は「大丈夫、これは汚染されてないから」っていいました。私は驚きました。だから誰も東北に行かないんだ、と。私は新聞で見た程度しか知らないけど、新聞には黒っぽい同心円で表示されていたりしますよね。でも東北の人を隔離して孤立させてはいけない。もちろん地域によっては放射能が問題になるのはわかるけど、放射能は握手したり抱きあったりしてうつったりするものでもないと思うし。とにかく、東北の人を無視したり、隔離したりしないで。同じ日本人同士、孤立させないで。ブルース・スプリングスティーンが“We Take Care of Our Own”というシングルを出したけど、日本人はそういう傾向がありますよね。恐れないで。彼らを包み込む、開かれた社会が勝つのです。排他的な社会の基盤は弱いと思う。政治家みたいな話になっちゃったけど。ごめんなさい。

 地球科学の研究者は、地球と共生する方法があるかも知れないとも言っている。私たちは皆、地球と共生しなければいけないです。私の国は2隻の船を北極に送って穴を開けるようなことをするみたいだけど、万が一、漏れたら一巻の終わり。石油は過去のものといって、今度は原子力を制御しようとしたけど、それがだめなら、もっと環境に優しい方向に向かわなくてはいけない。すばらしい頭脳が日本にはあり、地球に関する研究をしてきた。その叡智を日本や世界から結集しなくては。地球は伸びたり動いたり、いろんなことをしているけど、私たちはその地球で生きなければならない。人間が地球をコントロールしていて、地球は私たちに手出しできない、と自分に言い聞かせてそう信じることもできるけれど。実際には私たちに地球はコントロール出来ない。地球が私たちをコントロールしていて、それに関して、私たちは何も手出しができない。私たちにできることは、今回のような心を痛める出来事を防ぐことだけ。
 私たちが人間として出来ることは、東北からモノを買うこと。それで自分が被害を受けることはないですから。どうせモノを買うのだから、仙台から買いましょうよ。その他の東北地方から買いましょうよ。どうせお金を使うんだから。以上です。これでいいかしら?


湯川さん:
 シンディが訪ねたのは、石巻市です。また、訪ねた小学校は、石巻市立大街道小学校。楽器店の名前はサルコヤ楽器です。それから、これはとても微妙な問題なので、私が日本語で説明して、通訳してもらいたいと思います。
(以下日本語で湯川さんが説明)
 がれきで新しい防潮林をつくるとか、それからそこの土地をかさ上げしてそこにまた新しい土を持ってくると言う話をちょっと彼女は触れましたが、それはとてもデリケートな問題で、そこの土地の人たちは、石巻もそうですが、1日も早くがれきを処理してよそに持って行って欲しいと思っています。
 でもがれきの受け入れがなかなか日本はうまくいっていません、なぜならそこには放射能だけでなくいろんなほかの、毒になる物があるんではないかというケアーがあって、それを受け入れないところがたくさんあるし、また言葉をとられるところがたくさんあります。それで、そういうものをそこで作ったらいいじゃないと言うことに対してすごく反発もあるんですけど、全部国が基準値を決めていないし、県もきちっと測っていない、両方とも信頼できる数値を出していないために、そこが非常にうまくいっていないので、できることであれば全部を業者任せでそういったがれきをよその県に受け入れてもらうということの前に、そこの場所でそれをちゃんと毒性を測って、そこでそういうその防潮林を彼女も言ったようにつくって、もっと頑丈なものをがれきによって底の上に土を重ねて、植林をすることでできるのではないか、かさ上げをすることで土地の雇用も増えるのではないかというアイデアもあるということです。
 私たちが国民として一番欲しいと思っているのは、どれほどの放射能値があるのか、どれほどの毒性があるのか、どうしてそういう土地でそれを活用することができないのか、ちょっとオブザーバーとして補足させていただきました。


~被災地に経済支援を、仕事を~

質問:
今日はお越しいただきありがとうございます。報道のために。復興のためにモノを買いましょうという話しですが。老若男女、みな一生懸命働いています。彼らを経済的に支えないといけません。シンディさんの言葉には、影響力があります。It's not enough「これでは充分ではない」と仰っていますが、1年経った今、どのような変化を望んでいますか?どうすればもっと良くなると思いますか?


シンディ:
 人々は自分たちの足で立ち上がろうとしています。それには時間がかかります。「一年経ったのだから動き始めなければ」と言われる、というような新聞報道も読みますが「いったいどこに向かって動けばよいのか?」と聞きたいです。仕事はあるんだろうか?と思うのです。2つのことが大切だと思います。ビジネスがないと。それから、がれき処理。埋め立てには莫大な費用がかかります。
 オランダを見てみると、あそこはほとんど海の下だったんだから。あれは全部埋立地だったんですよ。がれきは埋め立てに使えるんじゃないかと思う。埋めて、それで少しでも土地をかさ上げすればいいと思うんだけど。堤防も効果があると思っていたのですが、日本は4つの島から成っているから、どの方向から波が来るかわからないから。新聞で読んだけど、800年代に似たような津波が起こったみたいですね。残念なことに、気付くのが遅すぎましたが。だからこそ科学者にも一緒に取り組んでもらう必要がある。多くの人は福岡で何が起きているかわからないから、心配になるわけです。あ、福島です失礼しました。間違えました。福岡にもツアーで行ったことがあるもので・・。でも多くの人が知らないのです。新聞で丸印がついたスポットを読むだけで、分かっているのは、明確なことが分かっていないと言うことだけ。実際、一体全体何が起こっているのか、誰も明確なことを言っていない。れい子の意見に賛成です。だって私も彼女と一緒に見たから。れい子とガレキをみていておもったんだけど、私の住んでいるマサチューセッツの小さな島、私のモノじゃなくて、私の夫の両親が育ったところだけど、彼らは堤防を作らなくてはならなかったけど、島の上に強固な堤防を作るために物資を購入するのはとってもお金がかかった。れい子から聞いたのは、堤防の上に木を植えることで強くすることができると有名な科学者がいるといっているらしいですね。樹木には(土壌を)保持する力があるから。そこに桜を植えるのはいいアイディアじゃないかと思う。桜はそこで亡くなった人のために、毎年花開く。桜の色や桜の命が、傷ついた人の心を癒すと思う。

 でも私はここに住んでいるわけではないから、日本の人たちがどうするのか、埋めるのか、しかも、わかっていないのに。それとも、どうせここにあるのだからこの場所で土地のかさ上げに使うのか、堤防に使うのか、どうせごみとして捨てるなら、役に立つように使うべきだと思うけど、と思うのですが、私は単なる訪問者ですから・・。


質問:
またいらしてくださってありがとうございます。福島原発の状況が悪化する中で、何故去年残ったのか?去年は、観光客が激減しただけでなく、多くの国際的なアーティスト、ミュージシャンが日本を離れましたし、さらに最近聞いたことですが、絵画も汚染を懸念して福島への貸し出しを拒否しているようです。それについてどう思いますか?また、日本の政府は懸念を払拭するために何をすればいいと思いますか?


シンディ:
 先ほども申しましたが私は日本人ではないです(笑い)ですので私がとやかく申し上げる立場ではないのですが、部外者という立場で何かを申し上げるのであれば、そして私は実際に部外者ですし、政府が何をすべきかというと包み隠さずに伝えることです。とにかく問題を明確にして、何が起きているかを包み隠さず知らせること。人々が何が実際に起きているかを知ることができるようにすることです。知らないと恐怖を抱きます。知らないと自分には力がないと感じてしまいます。情報は力です。

 ちょっと失礼して、れい子に堤防の件に関してコメントしてもらいたいと思います。提唱している学者の名前を失念してしまいましたので。

 

湯川さん:
 私もこのがれきの処理については受け売りでして、宮脇昭とおっしゃる横浜国立大学の名誉教授、83歳になられる方がいらっしゃいます。その方が何冊かそういう本を出していらして、日本に一番木を植えた専門家で、その彼がおっしゃっているのは、松の木が全部津波で倒れてしまって、そしてたった一本残った松を奇跡の松といってとっても喜びましたが、やはりそれは津波は押してくる力も大きいけど何より引くときの力が大きい。その時にあらゆる物を海にまた戻してしまわない、それでそういうアイデアがあって、それはとてもいいなと私も思っていて、そういう発信を私自身もしてますし、今回、彼女はマサチューセッツのそういう景観からもそういうことを言い出したので、そうよね、という話、でも私たち本当に科学者ではないので、だからデリケートな問題だと申し上げました。

 

~震災後も日本に残った~

質問:
「なぜ滞在を継続したのか、という質問ですが」

シンディ:
 ごめんなさい。すでに答えたと思っていました。
 私はニュースを見ていました。また、アメリカにいるマネージャーとも、密に連絡を取っていました。それから、私のツアーマネジャーは、とても責任感がありプロ意識が高いのですが、彼がアメリカ国務省とも連絡を取って、何が危険なのか、正確なところを確認していました。その結果、自分達は危険ではないことが分かりました。私たちがいたのは、仙台でも福島でもないところ、東京に数日滞在し、それから大阪に移動することになっていましたから。だから私たちが危険な状況にあるとは私は思いませんでした。
 なぜ日本に残ったか?たくさん理由がありますが大きな理由が2つあります。一つ目はTrue Colorsを1983年に初めて来た時に歌ってくれたこと。良くあることなのだけれども、当時私はレコード会社やメディアには怖い人に見えたみたい。多くの人にそう見えるみたいだけど。(聴衆笑い)。私は女性の置かれた状況を変えたいと心を決めていました。それをかなり意識していました。Girls just wanna have funをリリースしたときにはビデオの中で、ありとあらゆる国籍の女性が女性の権利を歌ってくれるよう自分の力の限り腐心しました。 曲には女性の置かれている立場を変えたい、支援という気持ちを込めていたのですが、日本に来たら「ハイスクールはダンステリア」にタイトルが変わっていました。そうすることで、曲の力を奪おうとしたのか、それとも、変えないと聴衆が曲を怖がると思っていたのか、それは分かりませんが、そのことについては不満を伝えました。True Colorsの時に「この曲は、素晴らしい癒しの曲なんだけれど、今度はこれをどう変えるつもりなの?」って。当時のA&Rというか、実際にはプロダクトマネージャーだった素晴らしい人物、Mr. テリー堤さんが責任者だったのです。そして「この曲が意味することを皆が分かるようにしますよ」と言ってくれたのです。京都に来たとき皮肉なことに京都に連れてきてくれたのはMr. Arashidaなのですが・・私はマイケルよりも先に日本に来たのよ!・・東京で歌ったときに日本のみんなの前で一番最後にTrue Colorsを歌った時に、さっきもお話ししましたが、みんなが一緒に歌ってくれて、そして、日本語訛りで歌ってくれたのです。

 それからもうひとつの理由は、日本にようやく到着した時に、KYODOさんのスタッフの方々、れい子の息子さんのコウジ、コウジ・ユカワが、ノー?名前を間違えた?ごめんなさい。ユウキです。コウジは、ユウキのメンターのような人です。
 でともかくユウキがれい子の息子さんで、KYODOの社員でもあります。彼がとてもプロ意識高く状況を取り仕切ってくれたのです。最初、軍の基地にいたのだけど、その後ローカルの空港にまで連れて行ってくれた。そこでたくさんの人が寝袋で寝ていたのを見ました。お互いに気を使いながら寝ようとしていた。そして皆とても静かで、礼儀正しかったのです。お互いを気遣いながら。日本ではお互いに他人の空間を尊重しますよね。そこに礼儀正しさや気品を感じました。ホテルに着いて自分のスイートへと行ったわけですが、その時に家に帰れなかった人たちが寝袋で床に寝ていたりする光景を見ました。東京は全ての交通機関がストップしていましたから。下におりていって、おばあちゃんに私のベッドを使ってと言おうかとすら思ったのですけれど、おばあちゃんが怖がるから、私と一つの部屋に泊まってもらうことはできないと思い直しました。そこで上の階に戻ってTVのニュースでオバマ大統領が話しているのを見ました。正直なところ彼のことは何となく信頼しています。彼はアメリカの歴代大統領の中でも数少ない、二枚舌に聞こえない人物です。とてもクリアですし。他の大統領と違い、少なくともクリアですから。
 で、クルーやその他の全員に「残りたい」と伝えたのです。始めにも言いましたが気晴らしも必要だと思ったし、音楽に本当に癒しの力があるのだというのであれば、試してみようと思ったのです。もし私が帰ったとしたら、True Colorsで歌っていることと矛盾してしまうとも思った。True Colorsが癒しの歌だったといっても、もし、私がちょっとでも「コワイ」と感じた段階で、すぐにしっぽを巻いて逃げるようであったら、そんなのはウソだと思ったの。ほかのバンドに事情があることも分かります。ただ私の場合は日本との関係はとても長いものでした。他のバンドだったらメンバーが学校を卒業していないくらいの時期から私は日本と関係がありました。だから残ったの。

 

~日本語で歌うこと~

質問:
NYCで日本食レストランで働いていたそうですが、、、

シンディー:はい。1982年に。

質問:現在どうやら日本の外務省が、日本食や文化、シェフを世界に発信するソフトパワー政策をとろうと計画しているようですが、、、


シンディ:
 NOBUっていうレストラン、ご存じですか?美味しくてオシャレですごく人気があってしかも色々な場所に展開しています。高いですけど(笑)。マグロのタルタルのキャビアは食べ過ぎないように(笑)
 まぁともかく、日本食はとても美味しいと思います。昨日もライブ後にれい子と小さい和食屋にいって、れい子が「お酒は肌に良いから、頼みましょうよ」っていうから、「本当かどうか、試してみよう!美肌コースを受けよう」って言って(大爆笑)

湯川さん:ふぐのひれ酒を飲みました。


質問:日本に来てくれて、ありがとう。私たちとの約束を守ってくれて、ありがとう。昨日は日本語の歌で歌いましたが他にも日本語のレパートリーはありますか?

シンディ:
ええ。昨日もそのように頑張りました。「ワスレナイワ」、あの曲は、ミホとよく歌っていた曲なの。私は「シンディ&おしぼりえっつ」というグループを作っていたのよ。

質問:日本語の歌のレパートリーは?リリース予定はありますか?

シンディ:
 そうですね。実際。あの歌のことを考えるようになったのです。少しモダンにしたほうが良いと思って。というのも歌詞がちょっと、あ、歌詞を私がちゃんと分かっていればの話だけれども、かなりセンチメンタルな歌詞だと思うので、音楽はセンチメンタルな感じにしたくなかった。例えば、True Colorsを歌うときに、ボン、ボンボン、トゥルー・カラーズ!みたいに、やりすぎになっちゃいますよね。
 だから、(歌詞と音楽の色合いが)逆になるように心がけています。実際、あるプロデューサーとお会いしました。私はダンスミュージックが好きですから、こちらの日本人のプロデューサーと、コンビネーションをやれればよいと思っています。私たちは皆よく旅をします。私自身日本によく来ますから、私は日本語はまったくヘタですけれども、日本語で歌えればよい、というか(日本語と英語の)コンビネーションだったら、私でも歌えると思います。

 

~フクシマへの思い~

質問:
 福島の放射能汚染についてですが、食品とか。東北産の物品を購入するよう呼びかけていらっしゃいましたが、福島産の物品を購入することについて、実際には食品汚染は一部で懸念されているほど深刻ではないという説もありますが、どう思いますか?

シンディ:
 実は(福島産の)お酒を飲みましたが、素晴らしかったですよ。肌にもよかったですしね(笑)。「クッチさん」という男性とインタビューしました。私はブッチという名前の兄弟がいますから、クッチさんに親しみを覚えました。あ、そうそう。グッチ裕三さんでした。失礼いたしました。私にはブッチという兄弟がいますので。まぁ、それはともかく、インタビューの途中で、グッチさんからHIRO?というお酒をいただきました。福島の有名なお酒だそうです。もちろん、メルトダウンの前に製造されたお酒でした。とてもおいしかったです。このお酒のように、消費しても大丈夫な食品もあります。政府がもう少し率直に、本当のところを、状況を説明してくれたら良いと思いますが。そうすれば、これなら買っても大丈夫、これは大丈夫でない、という情報が皆に伝わりますから。私だって、分かりませんし。
 私が分かっていることは、友人が「これは汚染されていないから」と気を遣いながら私に食べ物をくれる様子が、その彼女の様子を見て、何ということかと。「そのお菓子、ちょうだい!私が甘いもの好きだって知っているでしょ?」って伝えて(お菓子を)食べました。そして、彼女をハグしました。
 今、福島はとても孤立しています。何であれこの問題の根本を解決しなければいけません。福島はかなりの人口がいます。福島は大きく、パワフルな都市でした。ビジネスも盛んでしたし。今のように機能不全な都市ではなく。つまり、申し上げたいことは伝わるかと思いますが、アメリカでも多くの問題があります。問題はどこにでもあります。ニューオーリンズもそうです。ニューオーリンズの様子を見ていたときも、信じられない思いでした。「冗談じゃないの?(責任者は)どこへ行ったのか?」と思いました。大統領はどこ?どうして大統領が今、テレビに出ていないの?なぜ大統領がちゃんと陣頭指揮をとっていないのか?と。それが、ジャクソンスクエアに出てきて「楽しい時間を過ごしました」だって。なんだそれは?と思いました。教育は本当に大切です。ジョージ・W・ブッシュ元大統領は私に教育の大切さを心底感じさせてくれました。彼は学校の成績がCでしたから。オバマは学校の成績がAでした。成績がよくなければコロンビア大学には入れませんよ。教育は大切なのです。大切なのは、教育によって、福島で何が起こっているのかを知ることができることです。それでこそ、福島の人々が孤立するようなことがなくなるのです。情報は力です。情報が必要です。正しい情報が必要なのです。


司会男性:
 シンディー・ローパーさん。あなたの率直さも力です。あなたのような女性がいらっしゃることが素晴らしいです。政治についてオープンに語り、日本のことをとても気にかけている。今日はいらしていただき、本当にありがとうございました。

シンディ:
(すかさず)そうそう、電車に遅れないようにしないと!(笑)

司会男性:
(外国特派員協会の)名誉会員カードを1枚進呈いたします。また我々のクラブにいらしてください。

シンディ:
 うわ~、ありがとうございます。私たちも協会のメンバーに!それじゃぁ、今後は私たちもそっちの記者席に座って、他の人に質問をする側になれるのね?

男性:
YES、もちろん。

シンディ:
 じゃぁ、次に来る時はそうさせてもらうわ。
 それはともかく、今日はお集まりいただきありがとうございました。ぜひ、ぜひ、ぜひみなさん、体に気をつけてくださいね。ジョージ、ありがとう。ありがとう。

 ここまで率直に語るつもりではなかったのですが。最後に一言。
皆から「なぜ留まったのですか?」と聞かれますけれど、根っこにあるのは、次のような考えです。
歩いていて、前の人が転んで倒れたとき、どうするか?ということです。
立ち止まって、立ち上がるのを手を貸すか、

それともその人を踏んで歩くか、ということです。

私は、転んだ人に手をさしのべるような人間になるように育てられました。

では、よい一日を。


男性:シンディーローパーさん、本当にありがとうございました。

シンディ:
お酒を飲んでね!福島の。とっても美味しいから!

 

投稿者:かぶん |  投稿時間:07:15  | カテゴリ:会見&インタビュー
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