残された人生の日々をどう生きるか!!…明確な使命を与えて欲しい。
私の人生もとっくに半分以上が過ぎ、残りの日々のほうが少なくなりました。
独りでの生活も20数年が経ちました。
これまで色々なことがありました。
希望に燃えた日々、喜んだ日々、楽しんだ日々、悩んだ日々、悲しんだ日々、落胆した日々、苦しんだ日々。
どれも過ぎてしまえば、懐かしさだけが残ります。
しかし、何か大きな忘れ物をしてきたように感じるのです。
決して仕事のことではないようです。
最近の私には大きな変化が顕著に見られます。
それは、これからの生きていくうえでの、目的です。
このまま年老いて、弱くなり、床に伏すようになって衰弱し、死んでいくのはいやなのです。
使命が与えられれば、たとえ志半ばであろうと、燃えながら死んでいきたいのです。
私にとって、死に方は最大のテーマです。
過労死してもいい。
神に「これをしなさい。」と言う明確な使命を与えて欲しいのです。
その喜びの中で死んでいきたいと願うのはいけないことなのでしょうか。 |
トラックバック
トラックバック先の記事
- トラックバック先の記事がありません。
おはようございます

尊敬します
今日は「死」と言うお話ですが、人間の尊厳についての深いお話ですね。
えりんも人として生まれた以上、人の為世の為になる生き方をしたいと思います。
あたしにはいつもさんやj兄やちーふ兄のような尊敬できる兄がいる。
えりんは馬鹿だから難しいことはわかんないけど、善悪の区別くらいはつくから、いつもさんたち兄貴が「よし」とすることや、「だめ」とすることは理解できるよ。
死ぬ前に、いつもさんや兄貴達に出会えた事は、今後生きて死んでく上においても幸せな出会いだったと思ってます。
偉業は成し得なくても、どう生きられたかを振り返っても恥ずかしくない幕を閉じれたらと思ってます
いつもさんは充分あたしら妹達に人間愛を教える伝道者の務めを果たしてますよ
2012/3/12(月) 午前 8:00 [ えりん ]
えりんさん。お早ようございます。
今朝は頭痛がします。
気にかかることが多いですから、そのせいかもしれませんね。
私は本来臆病な人間です。だから、使命を与えられることで強くなりたいのかもしれません。
私もえりんさんと出会えたことは、宝になっていますよ。
えりんさんの熱い思いが世の中に反映されればいいですね。
いやきっと、その思いは伝わるでしょう。
えりんさんは、自分では気がつかないうちに、神に愛され、導かれ、人としてどう生きるべきかを知らされているんです。
素晴らしいことです。
その熱い思いをずっと持ち続けてください。
そして、私にも分けてくださいね。
2012/3/12(月) 午前 8:22
おはようございます。
ありがとうございます。
残された人生
親族28人分
強く生きてみます。
2012/3/12(月) 午前 9:09 [ 乱ボ〜 ]
いつもさんは神様なの?

。
そんな人間のせいでバカにしていたけど、神様についてはいつもさんのおかげで見方がかわったよ
それも素晴らしいことだって思います
きっと
いつもさんは神様はたった1人っていうけど、あたしにとっては神様1人じゃないよ
神様って、雲の上の高い場所から人間界の善行や修羅を見てる感じがしてたけど、本当は人間界のすぐそばにいて、間違いと悪を行うものを正しく導き、傷ついた人に安らぎの言葉と心で癒やしてくれるほどそばにいてくれてる気がするよ。
あたしにはいつもさんとj兄は神様だよ。
いつもホッとするもの
宗教や信仰を一派ひとからげにバカにしていた。それは、あたしの身近にいる人間の「信仰してる宗教の幹部の話しは聞くけど、あんたらの話しは聞かない」という体制の人間のせい。誰が見ても間違ったことを間違ってると指摘しても幹部から言われるまで、自我を押し通し誤りを知っても謝らない
えりんは神様に出会ったんだよ
2012/3/12(月) 午前 9:33 [ えりん ]
乱ボ〜さん。おはようございます。
乱ボ〜さんのように修羅場、地獄を見てきた人には、とても失礼な記事を書いてしまったかもしれません。
昨日以来の私の心の変化は震災の影響もあるのかもしれません。
東京でも頻発する地震に、みんな不安を感じています。
ここ私の住んでいるところは臨海に近く、直下型の地震がくれば、ひとたまりもありません。
被災地の方の災難は対岸の火事ではなく、私たちの間でも深刻な問題になっています。
それでも、多くの人が「もう覚悟するしかない。」と言っています。
2012/3/12(月) 午前 11:20
えりんさん。私は悩めるひとりの人間です。
でも確かに「宗教」は恐い、信じられない。と言う人たちの気持ちはよく分かります。
人の心をもてあそぶ人が多いのも事実ですから。
信仰があると言っても、権威、権力を得ると人は変わりやすいものです。
もしそうなるのなら、信仰など無いと言う人のほうに神は恵みを与えられるでしょう。
そして信仰があるとうそぶく人たちに罰が与えられます。
神は常に「心のありかた」を見ているからです。
2012/3/12(月) 午前 11:29
ほら

その人は生きてる人で、いつもそばにいてくれるんだよ
いつもさんは本物のクリスチャンだよ
やっぱり神様だよ
なんでいつもさんみたいな解釈みんなできないの?
神は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずだよ。
信徒だからって正しくないものを許す神様なんて神様じゃないよ。信徒じゃなくても正しいことはできるもの。
良かった。あたしのそばにはいつも神様がいるんだ
「善い行いをしなさい」
生身の人神に言われる言葉ほど重いものはありません
2012/3/12(月) 午前 11:40 [ えりん ]
「神は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずだよ。」
全くもって、確かに、ほんとに、間違いなく、その通りです。
2012/3/12(月) 午後 4:58
私も良く考えます。
でも自分が悔いなく生きてきたと思えるから、孤独死しても
いいかなと思ってます。
子供たちにも延命治療はしないでと言っています。
葬式も最低でいいからと。。。
まだ早いかな(笑)
2012/3/13(火) 午前 7:08
安寿さん。おはようございます。私は悔いなく生きてきたと言えるかどうか。
独り暮らしだから考えてしまうこともあるのかも。
希望、達成感が欲しいのでしょうね。
2012/3/13(火) 午前 10:24