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吉本隆明さん死去 戦後の思想界担う

3月16日 5時20分

吉本隆明さん死去 戦後の思想界担う
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戦後の思想界を代表する論客として1960年代の学生運動や多くの知識人に影響を与えた評論家で詩人の吉本隆明さんが、肺炎のため、16日午前2時すぎに東京都内の病院で亡くなりました。
87歳でした。

“思想界の巨人”逝く

吉本さんは大正13年に東京で生まれ、東京工業大学を卒業後、工場で勤務しながら詩集を発表し、後に評論活動を始めました。
昭和30年代に「文学者の戦争責任」や「転向論」などを発表し、左翼運動やプロレタリア文学の作家たちが戦後に主義や主張を変えた「転向」の問題を鋭く批判して注目を集めました。
その後、昭和36年に雑誌「試行」を創刊し、文学や国家を題材に「言語にとって美とは何か」や「共同幻想論」などの代表作を次々に発表しました。
あらゆる権力を否定して「大衆」として生きることを原点に、「大衆の原像」という理念に基づいた吉本さんの思想は、当時の新左翼運動の支持を受け活動の理論的な柱となり、1960年代の学生運動に大きな影響を与えました。
80年代以降は宗教や戦争、サブカルチャーなどにも評論の対象を広げて多数の著作を発表し、日本の思想界・文学界に影響を与え続けました。
作家のよしもとばななさんは次女に当たります。
吉本さんは80歳を超えても執筆や講演活動を続けてきましたが、ことし1月にかぜをこじらせて東京都内の病院に入院し、16日午前2時すぎに肺炎のため亡くなりました。
葬儀は近親者のみで執り行う予定だということです。

“先駆的な思想の持ち主”

批評家で、京都造形芸術大学教授の浅田彰さんは、「社会主義の影響が強かった1960年代に、大衆の欲望を肯定する独自の思想を構築した。その後も、80年代にかけて、マイナーだった漫画などのサブカルチャーを支持するなど、それまでにない見方を提示する先駆的な思想の持ち主だった。ただ、思想の広がりとともに、本人自身もその思想の中に埋没してしまったように思う」と話しています。