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第一部  新しき生
11  殺人-覚悟=罪咎÷(犯罪-断罪)(C.E.66年)


 63年にテロの恐怖を体感してすぐに職場の配置換えがあった。
 行政局から保安局へ。
 何でこんなことにと思いながらも、日々の勤めを果たす。

「お前は近頃のガキにしては見所があったからな」

 できれば、チェンジ、お願いした……え、だめ?


 ……そうですか、だめですか。


 うぅ、悲しい宮仕えに加え、まだ少し借金が残る身である以上、上司の命令に逆らうことができず、泣く泣く移ってきた保安局で俺を待ち受けていたのは、テロの時に俺を説教した父と歳近い中年のおっさんだった。
 いや、俺も通算……いやな言い方だ……したら、精神的にはおっさんになっているが、身体に引っ張られているせいか、そんなに精神は老成していない。あのテロの時の、無謀な暴走こそがそれを証明している。

 何が言いたいかというと、……何が言いたいんだろう?

 ともかく、俺はあれから二年間、保安局での訓練を受けながら、時に青秋桜の土の手入れ、時に迷子の保護、時に他の花の成長を阻害しそうな青秋桜の葉の除去、時に交通事故の現場検証、時に地植えだった青秋桜の鉢植えへの植え替え、時に酒場での乱闘の仲裁、時に青秋桜の華の鑑賞、時にご近所の井戸端会議での情報収集、時に青秋桜の華が散った後の後始末、時に要人と呼ばれる偉い人の警護、時に青秋桜の種が飛ばないようにするための収集、時に地域の安全を守るための巡察、時に飛んできた青秋桜の種の回収、といった具合に頑張ってきたのだ。
 幸いなことにあのテロ以来、テロらしいテロはセプテンベル市では起きていない。

 ……いや、どちらかといえば、俺の所属している保安局が奮闘した成果なんだけどな。

 で、その奮闘に参加したがために、俺は、俺の人生を凄まじく揺るがす経験をすることとなった。







 俺は人を殺したのだ。







 職場のデスクに着いて、ぼんやりと当時のことを回想していると俺の直接の上司たる、俺を保安局に引き込んだあの時のおっさん、もとい、危機管理課長が声をかけてきた。

「おい、ラインベルグ」
「いや、課長、俺はラインブルグですよ」
「おお、すまんな、ラインベルグ」

 いや、もう、このおっさんさ、パワハラで訴えられないかな? 

「冗談だ、そんな人事に怒鳴り込みに行きそうな目で見るな」
「……はぁ」
「……それと上司に面と向かって、ため息をつくな」

 いいでしょうが、あんたも俺もどうせ確信犯だよっ!

「それで、なんか用ですか?」
「いや、なに……いや、何でもないさ」
「なんですか、それ、はっきり言ってくださいよ、気持ち悪い」
「そうか? ……ならば、前からお前に尋ねたいと思っていたことがある」

 口ではつまらない冗談を飛ばす我が上司たる課長は、残念ながら顔に愛嬌のないため、厳かな顔をするとしゃれ抜きで威圧感が凄まじいものになる。当然、俺も条件反射的に、思わず背筋が伸びる。同じオフィスにいた連中も不意に引き締まった空気に驚き、こちらに注視している。

 課長の言葉を待つうちに、ふと、初めて人を殺した後の事が思い浮かんだ。



 ……人として、禁忌を犯した俺は、しばらく、精神を病んだ。

 まぁ、簡単に言えば、心の均衡を崩してしまったのだ。

 俺が引金を引くことで放たれた銃弾に全身を貫かれて死んでいく相手が、夥しい血を撒き散らしつつ、憎悪と苦悶と断末が混じりあった聞くに堪えない絶叫をあげながら、突如として背中に冷水を浴びせられたような感覚を覚える程の、凄まじい形相と血走った眼光で俺を射抜きながら沈む。

 その光景が、何度も夢の中で繰り返された結果、睡眠障害を患った。それに加えて、拒食と過食を繰り返す摂食障害も併発した。

 その時のことは、絶対に思い返したくない程なのだが、醜態をさらした恥の意識があるためか、それが頭から抜けることがない。ましてや、その記憶には我が妹分であるミーアも関わっているのだ。

 いきなりその時のことが頭の中で過ぎったりした時は、もう、全身で身悶えして、死ね、とりあえず当時の俺は死んでしまえと、職務質問されて当然だろうと思わせる程に挙動不審な男を演じる羽目になる位に、悲惨である。

 ……なんて今は嘯いているが、本当にミーアには言い尽くせないほどに迷惑をかけた。不安定な精神状態に陥り、言葉の暴力である罵詈雑言をミーアに飛ばし、時には本当の暴力を振るいかけた俺に相対し、ミーアは真っ向からそれを受け止めた上で、塞ぎ込む俺の尻や背中を平手でひっぱたき、暴れ出したら俺の顎や鳩尾といった急所を拳骨で打ち抜き、涙を流しながら何者かに許しを請う俺の蒙を共に涙を流しながら啓き、虚脱状態に至れば、膨らみ始めた胸で俺の頭を掻き抱き、生の鼓動と人の温もりで、俺の心の傷を癒してくれた。

 そんなミーアの助けの元、自身の罪業と向き合い、受け入れ、新しい確固たる支柱を精神に再建し、ようやく症状が快方にむかった時には、もはやミーアに頭が上がらなくなっていた。


 いや、本当に、可愛い妹分に大いに助けてもらうなんて、情けない兄貴分だよ。





 視界に色が戻るのと同時に、課長の声が耳に響いた。

「以前、お前はテロリスト制圧の際、犯人を撃ち殺した。そして、その後、精神のバランスを崩したな?」
「……はい」
「克服できたのか?」
「……妹分の手を借りて、何とか、克服できたと思います」

 課長の何物をも見通しそうな峻厳たる眼差しに負けまいと俺は睨み返す。

「ならば、聞く。……お前は再び、人を殺すことができるか?」
「できます。それが法に則り、後ろに自分が守るべき者が、守るべき存在があるならば」
「……人殺しの罪咎を背負うことができるか?」
「できます。この身が朽ちるまで、人殺しの罪咎は私のみが背負います。ですが、その罪咎も場合によっては重荷になることもなく、感じることもないでしょう」
「……人を守るために人を殺す矛盾にどう答える?」
「元より人にとって人は等価値な存在ではなく、ましてや、自身の大事な者、存在に勝るものはないでしょう。そんな矛盾は人類皆平等を信じられる豊かで幸せな者の世迷い言とも言えます。私にとって、その矛盾は知らずに蹴飛ばしてしまう路傍の石の如く無意味です」
「……人の尊厳を踏み躙り、人を殺すことに喜悦を得て、その血に酔うことはないか?」
「……所詮、人は動物。自らのエゴに生き、エゴに死ぬ存在。人は理性や社会といった様々なもので本能を抑えますが、やはり抑えきれるものではないでしょう。そして、野蛮な本能を満たす。ならば、私は私にとって大事な者を守るために、本能が暴走したり激発して制御ができなくなる前に、自らの意思で、理性の箍を一部外して本能を制御し、目的を達成させます。本能ではなく理性によって人殺しや暴力を制御できれば、必要以上に尊厳を傷つけたり、殺しに喜悦を得ることも、血に酔うこともないでしょう」
「…………ふん、暴論だが、お前のその意気を認めよう。今、自分が言った言葉を忘れるんじゃないぞ」

 俺の答えに満足したのか、課長はニヤリと口元を歪めてみせる。俺達のやり取りを見ていた他の連中も、どことなくだが、呆れているように見える。


 そこに終業のベルが鳴った。


 ……今日はこれであがりだ。


「ラインブルグ。家で、お前を男にした少女が待ってるんだろう? とっとと帰って、機嫌でも伺え」

 非常に意味が紛らわしい課長の言葉に激しく反応するものがあったのか、何故かオフィス中から一斉に、リア充モゲロとか、とりあえず氏ねとか、本日の嫉妬団の会合の内容変更とか、淫行撲滅とか、YesロリータNoタッチとか、母ちゃんカムバックとか、シスター愛してるとか、色々と聞こえてくるが、俺は気にしない。

 いや、気にしたら負けだと思うんだよ。

 そもそも、ミーアとは男と女の関係ではないぞ? いやいや、それ以前に、コーディネイターの恋愛や結婚事情はいつの間にこんな無妻男や未恋男達を大量生産したのだろうか? それともこの職場が変なのだろうか?


 オフィス内の無妻男達や未恋男達と心温まる肉体言語での交流をこなしながら、帰り支度を済ませ、オフィスを出ようとしたら、また、課長が声をかけてきた。

「最後に一つ、聞きたい。……もしも、法が自分が守るべき者に牙を向けた時、どうする?」
「……法が狂ってるならば、法に牙を剥き、守るべき者が狂ってるならば、正気に戻して見せますよ」
「法の執行者が法に従わずに牙を剥くか? はぁ、まったく、正直な奴だ」

 俺は肩を竦めてそれに答え、ミーアがいつの間にか鍵を複製し、占拠し始めている自宅へと歩き出した。


 今日の晩飯は何だろうかと想像しながら……。
10/09/05 サブタイトル表記を変更及び加筆修正。
11/02/14 誤記修正。


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