高校野球

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いま託す:センバツ校OBから/中 脳梗塞で楽天戦力外、近江の元エース・木谷寿巳さん

98年センバツのマウンドで力投する近江・木谷寿巳投手=川田雅浩撮影
98年センバツのマウンドで力投する近江・木谷寿巳投手=川田雅浩撮影

 ◇頑張れば、光は見える

 昨年4月27日、埼玉・所沢でのプロ野球2軍・西武対楽天戦。楽天先発で近江(滋賀)OBの木谷寿巳(ひさし)さん(31)は強烈なめまいに襲われマウンドにうずくまった。「溺れているようだ」。脳梗塞(こうそく)の初期症状だった。入団6年目。通算成績は40試合に登板して2勝。「今後どうなるのか」。目の前が真っ暗になった。

 ひたすら歯を食いしばってきた。140キロ近い速球を武器にエースとして98年に甲子園春夏連続出場。春は「気持ちで相手に負けたらだめだ」と自分に言い聞かせ、内角に投げ続けたが、被安打8、3対6で日大藤沢(神奈川)に敗退。「気負いすぎて、チームの勝利という目的が見えていなかった」

 東北福祉大を経て社会人野球の王子製紙に進んだ04年の都市対抗野球決勝。チームはサヨナラ本塁打で優勝した。前夜、後輩に「優勝と準優勝では天と地ほど差がある」と説いた。大学で決勝で敗れた時、「4年間、何のために苦しい練習をしてきたのか」と、悔しさを募らせたからこその言葉だった。

 09年8月、プロ4年目で初勝利。スタンドで両親が観戦していた。入団当時、契約金で贈り物をしたら、「物ではなく、プレーで」と叱咤(しった)された。「ようやく親孝行ができた」と、肩の荷が下りた。

 脳梗塞で倒れたのは正念場の年だった。しかし、結果は戦力外通告。不思議と悔しさは感じていない。「マウンドだから周りが異変に気づいてくれた。野球に命を救われた」。今は球団職員として小・中学生向けの野球教室を指導し、東北各地を巡る。東日本大震災の津波で、大学時代の友人を失った。「自分は野球に携わりながら家族と暮らしている。幸せ者だ」

 プロ入り後、冬の帰省の度に母校のグラウンドで自主トレに励んだ。指導はできないが、脇で汗を流していた球児が同じ舞台を踏む。「健康で野球ができることがどれだけ貴いか。感謝の気持ちを忘れず、優勝を目指す意気込みで頑張れば、光は見える」【平野光芳、前本麻有】

毎日新聞 2012年3月14日 東京朝刊

 

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