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第1章 箱舟は何処
第1章(1)
第1章

 天空の光届かぬ暗黒の世界。その闇に溶け込んだ二つの機影は道を失った迷子のように頼りない。その身から吐き出され、やがて周囲の液体に取り込まれていく弱々しい泡沫が、運命すら暗示する不吉なものに思えた。

〔右腕上腕部被弾 稼動不可〕
〔索敵視野四十二%喪失〕
〔鏡面装甲六十七%欠損〕
……
 眼前の投影式スクリーンを眺めながら、機中の男はつまらなそうに舌打ちをした。力ない音が無機質な壁面に跳ね返り、ますます気が滅入ってくる。アドレナリンの分泌量が下がってきたのか、狭い操縦席が妙に癪に障るような気がした。見慣れたスクリーンは赤く点滅を繰り返し、その点滅すらも覚束無くなってきている。身に付けたパイロットスーツの調整作用のお陰で生理的な嫌悪感は低減されているが、それも限界に近付いていた。
「こっぴどくやられたもんだな……」
[稼動してるだけで儲け物さ]
 搭乗カプセル上部に設けられた通信回路から、聞きなれた同僚の声が流れた。単なる愚痴に律儀にレスポンスを返してくるあたり、いつもの偽善者振りには陰りがないようだ。苦笑とも苛立ちともつかぬ表情をやつれた顔に浮かべ、男は「そうですね」と気のない返事を返した。
[大丈夫、『暗黒領域(アンノウン エリア)』を利用した分で充分に巻けたと思う]
「本隊と離れちまいましたけど、大丈夫っすかね、少尉?」
 敬語はあまり得意な方ではない。士官学校の同期生とくれば尚更だ。先方も重々承知してくれているようで、同い年の上官に対しての無礼を非難されはしなかった。最も、「そんな状況ではない」というのもあるのだろうが。
[元々別働隊で行動していたんだ。この状況じゃ咎めようがないだろう]
 敗走。その厳然たる事実がまだ若い男の背中に圧し掛かった。
 非物質型操作盤(プロジェクション コンソール)を操作し、スクリーンの画像を切り替える。カプセルの前面一杯に海底の光景が映し出された。
 本来、海底は暗黒に支配された場所だ。だが、地上を放棄した人類は、海底において生きる術を見つけねばならなかった。スクリーンに映る明るい光に満たされた『海底』は、先人達が調査し、記録したものだ。各機体に搭載された『海図』は人類の誇りであり、機体の調査機能による修正を加味しながら人類の世界を創り出してくれる。最も、未だ未調査の海域は広大であって、それら『暗黒領域』を踏破することは人類の悲願の一つともなっていた。
 もはや自らの一部とも言える機体――『機甲兵(ドルフィン)』を巧みに操りながら、二人は明るい闇を疾駆する。掻き分けられた海水が小さな渦となって、辺りの岩盤を力なく叩いた。

***

 アラン・クーリッジ少尉は自らの『機甲兵(ドルフィン)』の状況を確認すると、安心とも諦めとも取れる複雑な吐息を漏らした。微かな音は、残り少ない動力源(エネルギー)を捻り出す機体の悲鳴に掻き消されていく。
 当初はカルテット(四機・最小の行動単位)で行動していたのに、今は上官とはぐれ、残った三機の内、一機は逃走中にローレンハイム軍の手に掛かった。初めてのことではないし、覚悟こそ出来ていたとはいえ、戦友の死はやはり割り切り難いものだ。いつか慣れる――そうカールゼン中佐(上官)は言っていたが、それはいつになるのだろうか?「お前は優しいから時間がかかるかもしれんが」と付け加えたのは、慰めだったのか皮肉だったのか。
 その頼れる上官は今この場にいない。二度と顔を見られないかもしれないという深刻な予想を捻じ伏せるように、アランは両手に強い力を込めた。今はただ、同い年の部下と共に、何としても母艦に帰還することを考えるべき時。
(いや――)
 投影型スクリーンの画像を視点型から地図――この呼び方はまだ残っている――型へと切り替えて、アランは考えを改めた。
「カリュー、聞こえるかい」
[何……ですか、少尉]
 微妙な空白は無視しても差し支え無いだろう。出世頭の一人であるアランにとっては想像の範疇でしかないが、同期から命令を受ける立場はあまり心地良いものではないはずだ。階級を付けず愛称で呼ぶのは、彼なりの気遣いでもあるつもりだった。
「母艦に帰還するつもりだったけど、位置がはっきりしないし、ここからなら直接『ドーム』に帰ったほうが良いかもしれない」
 しばし間が空いた。ノイズだけが耳朶を叩き、漏れ聞こえたかすかな呼吸音が生命の存在を主張する。あちらもスクリーンで確認しているのだろう。性格は乱暴だが、こういう時の判断はしっかり出来る男だ。その粗暴と隣り合わせの性格から評価を低められがちな同期のことを、アランは努めて公平に見ようと心掛けていた。予想通り、数秒後には返事が返ってくる。
[同感ですね。……まぁ、どちらにせよ上官の指示には従いますよ]
 彼らしい物言いに苦笑しそうになりながら、アランは経路と時間の割り出しを始めた。非物質型操作盤(プロジェクション コンソール)の上を、男性にしては華奢な十本の指が、楽を奏でるが如く動き始める。間もなく、投影式スクリーンの上を数字と文字が滑り出した。

 人類が地上を捨て、天上を失って、海底へとその住居を移してから百年余り。人は、未だ戦うことを止めていない。


標準暦二八三年七月十一日。日本海溝・深度三〇〇〇~三五〇〇メートル海域にてエンブローア共和国軍とローレンハイム連邦軍の大規模な軍事衝突が生じた。六時間の戦闘の後、エンブローア軍は戦力の三十%を失って退却した。ローレンハイム軍側の損傷は十%程度。この戦闘により、日本海溝周辺圏におけるローレンハイムの支配勢力は確固たるものとなった……〈MN・CISより配信〉


 その後、三時間余り。深海の闇の中をライト無しで抜けた二機の機甲兵(ドルフィン)は、前方に巨大な光を見出した。地図のデータではなく、本当の光。二人は、どちらともつかず安堵のため息を漏らしあった。
 底面半径三百二十キロメートル、高さ二百五十メートルのドームが、深度二五〇〇メートルの海底に鎮座している。白銀の障壁で覆われ、耐圧装置によって守られたその中には、かつての地上とほぼ変わりない世界が広がっているのだ。
 この巨大なドームこそが彼等の首都。彼等の家、「ウルズ・ドーム」であった。


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