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 本論に入る前にaramasan氏の出鱈目を指摘しておく。



「次に

『街頭宣伝活動などを禁止させれば自動車の貸し借りなどの問題は無意味となり、わざわざ請求の趣旨として追加する必要がないのである』

と言うが、自動車の貸し借りについて被告側からは何の抗弁もされていない。原告被告双方、裁判所が問題としてない事柄を、一人だけで「無理筋の請求」と足掻いて恥の上塗りをしていると気がつかないのだろうか。

さらに言えば、この理屈は凪論が何の想像力もない事を者がっている。被告ら以外の在特会勢力が、この街宣車を乗り回し学校周辺で街宣活動を行う事態を想定できないのだろうか。3回に渡る一連の事件でいったい何人の在特会勢力が参加していたのか、当時の映像を見直せばいい。この裁判はそこから絞りに絞って悪質な被告らを特定していると読めないのは随分と貧弱な推察力だなと思わざる得ない。実際、この間も在特会関係者が学校近辺をうろついているというのはニコ動で明らかになっているではないか。」

 どうやらamrasan氏はまだ裁判や法律の勉強が足りないようである。Y氏の証人尋問を振り返ってみると、被告が原告の提訴そのものを不当であると主張していることは容易に推察することができるし、民事訴訟においては存在しない情状などという奇天烈な概念を持ち出しているのもよくわからない。aramasan氏がこのような概念を持ち出している原因を推察してみると、原告弁護団が用いているフレーズをそのまま用いていると考えるのが自然であると思う。

 また、証人尋問においては法的評価ではなく主に事実に関して証人に確認が行われる。なぜならば法的評価は裁判所が行うのであって、法律の専門家でもない証人を尋問して行うの証人尋問で最も重要なのは事実の積み重ねであるからである。

 更に言えば、被告として在日特権を許さない市民の会会長桜井誠氏が含まれていることの意味もamrasan氏は理解していないようである。これは桜井誠氏個人ではなく、団体としての在日特権を許さない市民の会が被告となっていることを意味する。仮に、街頭宣伝活動の差し止めがなされたとすれば、その差し止めの効果は在日特権を許さない市民の会全体に及ぶこととなる。つまり、自動車の使用差し止めは屋上屋を架すものなのである。

 もう一つ考えてみよう。Y氏の自動車は西村斉氏がほぼ自由に使用している。仮に、Y氏に対して自己所有の自動車が街宣目的での使用されることの差し止めがなされたとしよう。しかし、それは何の意味も持たない。なぜならばY氏が西村斉氏に自動車を譲れば何の効果もなく、自動車を使用することがなくなったY氏が自動車を西村斉氏に譲る可能性は非常に高いとも言える。そしてそれを防ぐ手段は法律上ないに等しい。自己所有の自動車を街頭目的に使用させるなとY氏に差し止め請求を行うことは、屋上屋を架すものであるとともに、その効果が皆無に等しいものなのである。aramasan氏が用いるフレーズのほとんどは原告弁護団のものであることが多いが、自動車が「武器」という大袈裟な表現を原告弁護団が用いていたとすれば、自動車の街宣目的使用差し止めという無意味そのものの請求を隠蔽しようとしているものであると批判されてもやむを得ないであろう。弁護士職務基本規程第29条第1項には、

「弁護士は、事件を受任するに当たり、依頼者から得た情報に基づき、事件の見通し、処理の方法並びに弁護士報酬及び費用について、適切な説明をしなければならない。」

とあるが、原告弁護団は原告の京都朝鮮学園に対してそのような見通しをはっきりと説明したのであろうか。

 さて、aramasan氏がほとんど触れなかった西村斉氏父親であるY氏の証人尋問では何が触れられていたのか。メモから再現してみることとする。例によって言った内容を重視して表現仕方やニュアンスを考慮しないメモの取り方をしていることをお断りしておく。

 まず、証人尋問の前にY氏とブレノ氏が一緒に宣誓を行った。

被告代理人「乙1号証の陳述書のサインはあなたのもので間違いないか。」
Y氏「はい。」
被告代理人「乙2号証の身体障害者手帳はあなたのもので間違いないか。」
Y氏「はい。」
被告代理人「生年月日は昭和6年何月何日(個人情報に配慮して伏せておく)で間違いないか。」
Y氏「はい。」
被告代理人「西村斉は次男で間違いないか。」
Y氏「はい。」
被告代理人「平成21年12月から3月までの斉の街宣が問題となっていることは知っているか。」
Y氏「はい。」
被告代理人「斉が朝鮮学校や朝鮮総連に関わっていたことは知っているか。」
Y氏「いいえ。」
被告代理人「日産セレナのシルバーの車はあなたのものか。」
Y氏「はい。」
被告代理人「それはどこに置いてあるのか。」
Y氏「自宅マンションの駐車場に置いてある。」
被告代理人「あなたはその車に乗っているか。」
Y氏「3〜4年前から乗っていない。」
被告代理人「その車にスピーカーが装備されているのは見たか。」
Y氏「斉の逮捕当時は知らない。」
被告代理人「斉の逮捕についてどう思ったか。」
Y氏「何が起こったかよくわからなかった。自分がなぜここにこなければならないかもわからない。」
被告代理人「斉、斉の家族と交流はあるか。」
Y氏「はい。」
被告代理人「斉の活動を知らなかったのは不自然ではないか。」
Y氏「斉は活動の話はあまりしなかった。」
被告代理人「斉の職業は。」
Y氏「私の所有するマンションの管理だ。」

原告代理人「心臓病の治療を始めて何年か。」
Y氏「平成22年の初め頃から。」
原告代理人「心臓病以外の病気は。」
Y氏「心臓病になるまでは病気をしたことがなかった。」
原告代理人「病院への通院はどうしているか。」
Y氏「歩いて行っている。」
原告代理人「日産セレナにはほとんど乗っていないのか。」
Y氏「免許失効のため全く乗っていない。」
原告代理人「人に貸して助手席に乗ることはあったか。」
Y氏「人には貸さないからない。」
原告代理人「斉に貸したのではないか。」
Y氏「斉は勝手に乗っているのだろう。」
原告代理人「最後の車検は。」
Y氏「覚えていない。」
原告代理人「斉は貸してくれと言ったのか。」
Y氏「鍵を持っていて勝手に乗っているのだろう。」
原告代理人「斉が自由に使えるということか。」
Y氏「はい。」
原告代理人「この車にスピーカーがついていることを知ったのはいつか。」
Y氏「覚えていない。」
原告代理人「例えば3年くらい前はどうか。」
Y氏「わからない。」
原告代理人「スピーカーは今付いているか。」
Y氏「付いている。」
原告代理人「スピーカーが誰が付けたのか。」
Y氏「知らない。」
原告代理人「スピーカーを外せといったことはあるか。」
Y氏「ない。」

被告代理人「斉が逮捕された時期を知らないのか。」
Y氏「時期は覚えていない。」
被告代理人「逮捕されたことは知っているのか。」
Y氏「はい。」
被告代理人「その時スピーカーは付いていたか。」
被告代理人「斉の逮捕はどうして知ったか。」
Y氏「テレビで見た。」

原告代理人「スピーカーが外されていたという記憶はあるか。」
Y氏「わからない。」

裁判官「入院の時期は。」
Y氏「平成22年2月に入院。10日程で退院。4月1日に入院。6月初め頃に退院。」
裁判官「免許の失効はいつか。」
Y氏「去年の誕生日。」

 Y氏の証人尋問からは、aramasanの主張する「抗弁していない」という主張がだいぶん怪しくなってくる。それは筋書きを定めて質問を行う被告代理人の尋問において、なぜ自分が法廷にこなければならないかわからないという証言がなされているからである。このような発言を行う理由としては、原告がY氏を提訴した事実そのものが不当であると主張しているからであると考えるのが自然である。そしてこの主張が行われているとすれば、それは事実を積み上げて法的評価を争うもので、間違いなく抗弁である。

 なお、その後休憩に入ったが、徳永弁護士がいる前で原告弁護団が聞こえるように次のような話をしていた。
「徳永って奴は、書面でも間違いが多くてあまり頭良さそうじゃない。三流の弁護士。あれじゃ勝てない。」
「弁護に窮するって言っちゃうし(笑)。」
報告集会や居酒屋ではなく、相手がいる前でこのような話を聞こえよがしにしていたのである。場をわきまえない人間というのはどこにでもいるものであるが、これまでの原告弁護団の法廷戦術を見ていればさもありなんと感じることも確かである。



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