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死の瞬間とは  

2012年 03月 15日

◇看護師のネットともだちからのメール。

私たちは、最後、必ず死を迎えます。
人の死の瞬間とは、どのようなものでしょうか。
看護師の友人からのメールを以下にご紹介いたします。
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患者さんから死ぬ瞬間のことを聞きました。
もう定年を過ぎた方で、3年ぐらい前に病院の近くで心筋梗塞で倒れて運ばれたんですが、話を聞いてびっくりしました。
病院近くで急に胸が苦しくなり、その苦しさは心臓を手で掴まれたような苦しさで、冷や汗がダラダラと出て、顔は真っ青だったそうです。若い頃に鍛えた体のおかげなんだと思いますが、休み休み歩きながらなんとか病院に辿りついて中に入りました。
事情がわかったスタッフと医師は、ただちに、処置室に運びました。
心臓は苦しく、手で口をふさがれたようで、息も出来ず、辛く苦しい状態が、やがて一瞬、パァ~~~と楽になったそうです。(息も出来て胸も苦しくなくなった)
楽になって心電図を見たら、フラット(テレビで見るように波形が真っすぐになる状態)になっていた。「このままでいい」と思った瞬間、医師が電気ショックをかけ、心電図が動いたかと思うと、また心臓が苦しくなったそうです。
私の勤務先の病院は心臓関係は治療ができないので、すぐに他の病院に搬送されました。
人間って心臓が止まれば意識がなくなるのだと思っていましたが、意識があるんですね。
「死ぬ時にもお題目をあげなくてはいけないよ」と聞いたことがありますが、死ぬ瞬間にも題目をあげる時間はあるんだと思いました。
最近、私はお題目があげれない時がありますが、「持続が大事だ」と患者さんの話を聞いて思いました。 最後の最後まで頑張らなければ。
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私は、このメールとよく似た内容を本で読んだことがあります。
それは、将棋の元名人の升田幸三氏の自伝です。
子供の頃、高熱でものすごく苦しくなり、やがて呼吸停止(死んだ状態)になって、その後、全身の痛みや苦しみがなくなったという内容でした。
そのとき、親が升田氏を揺り動かし、やがて息を吹き返しましたが、升田氏は自伝の中で「死は恐いものではない」と述べていました。
生から死への転換の瞬間とは、そのようなものなのかも知れませんね。
この内容から、過去の聖教新聞の「おくりびと」記事を思い出しました。
そこには、「人は生きてきたようにしか死ねない」、「死を目前にしたとき、問われることは、何のために生きたか、どのように生きたかである」と書かれています。
その「おくりびと」の記事は、→ここをクリック!

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by sokanomori | 2012-03-15 00:03 | Trackback | Comments(2)

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Commented by jamshin0021 at 2012-03-15 04:15
SHInです。去年1月飼っているワンちゃんの上の子が心不全で亡くなったのですが鎮痛剤打つまではもの凄く苦しんでたのが鎮痛剤打ってもらったら寝たらもの凄く穏やかな表情になったので安心して見てたらそのまま旅立ちました。ペットとはいえ同じ感じだったのかなとま思いました。下の子は16年経ちますが元気なので上の子の追善供養と共に上の子の分も元気で長生きするよう祈っています。母親も16年前交通事故で亡くしているので今回の記事大変為になりました。ありがとうございます。
Commented by sokanomori at 2012-03-15 06:22
SHInさん、おはようございます。
避けては通れない死ですけれど、納得できる、荘厳な死を迎えたいですネ。
その納得とは、とどのつまりどう生きたかに尽きると思います。
今の生活を、悔いなく、揺るぎない1日1日として、私はしっかりと歩んで行きたいと思っています。
★菊川広幸
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