三日目を越すあたりにヤマ場が来ると、把瑠都が自分から言っていたそうだ。不思議なことに、それがぴったり当たってしまった。ご本人はどこから四日目といったのかわからないが、まさかこの大関に予言の能力があるわけではなかろう。
考えてみれば、先場所の十五日間から、今場所の三日目まで、十八日間の間の相撲が、この大関の優れた点ばかりを並べたような相撲だったから、そろそろ反動が来て、反対に大ざっぱな戦い方を出さなければいいがと考えていたところだったのだ。
それはそれで、本人の力量が表に出た能力なのだから仕方のない話なのだが、負けるにこと欠いて、これほど把瑠都の相撲の悪いところを、こんなに並べて見せなくても良いのではないかと、なに分にも苦笑をこらえるのに困ったような具合だった。
戦い方が四つ相撲の方に傾くと、相撲の内容が全く無いようなものになってしまう。これは把瑠都が上位に上がって来てから、全く表れてないことなのだ。その相手の中でも、四つ相撲の巧者に立ち会った場合は、対戦成績が一気に悪化するものになる。四日目の対戦相手鶴竜はまさにその例だった。
こうして並べていってもきりがないから、まとめて書くことにしよう。四つ相撲の上手にかかった時に、差手争いに苦しむのは相撲の定石なのだが、四日目の対戦はなん度か差手の戦いに敗れ、その度に自分の態勢を悪くしていた。追い込まれると両脇の争いで敗れ、両手万歳になってしまうのは自然の流れなのだが、鶴竜戦は、なん度もその危機に追い込まれた。
四日目で一敗は、先場所に比べれば、少し早いように思えるが、先場所の十四勝で優勝が早すぎたのだと私は思う。この大関の力なら、一敗くらいの差はすぐに追いつける。だから、優勝争いを面白くするようなつもりで、一敗差で、先頭を追尾したらどうだろう。
繰り返しになるが、先場所の独走優勝はなんと考えてもでき過ぎだったのだ。それを毎場所狙うような実力はまだ把瑠都にはない。
でき過ぎた高のぞみになることは要注意である。 (作家)
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