上杉隆氏(撮影:野原誠治)
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大手メディアを中心とした「記者クラブ」だけが、税金で記者室を無償で供与され、官公庁などの会見や取材活動を独占し続ける「記者クラブ問題」。フリーランス・ネットメディアはもちもん、雑誌なども排除されている。この問題を指摘し続け、記者クラブ解体を目指し、戦い続ける元ジャーナリスト、上杉隆氏が40万件に及ぶ「懇談メモ」を所持していることを明かし、その一部を公開した本、新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか を出版した。このメモにより各メディアは「オフレコ情報」まで共有し、鉢呂経産相が辞任に追い込まれたのは記憶に新しい。自由報道協会代表・上杉隆氏に話を聞いた(取材・執筆:永田 正行・田野幸伸【BLOGOS編集部】)

ディベートができないから「デマ野郎」で片付ける

――まず、以前から気になっていたことを伺います。上杉さんが日ごろおっしゃっているのは、記者クラブで情報操作が日常的に行なわれており、そういうものは無い方がいいし、変えていくために今後戦っていくという事。それに対して、上杉さんには「デマを流すな」「嘘つき」と言う批判が飛んでくる。上杉さんの「記者クラブは不要だ、諸悪の根源だ」という主張に対して「上杉さんは嘘つきだ!」というのは、議論としてかみ合っていません。「記者クラブは有用だ、○○だから無くなったら困る」という反論なら良いと思います。ですが、実際のところは個人攻撃になっています。この、主張と批判が噛み合ってない現状をどうお考えでしょうか?

上杉: 日本のディベート文化の幼稚さに気づいて、随分経っています。議論の仕方が下手というか、知らないのでしょう。ディベートや議論、討論を習ってこなかったので知らないんです。

 例えばある発言に対しても、全否定をする。「デマ」と言っている人たちのみならず、日本社会全体に言えることです。ある時僕が「ジャーナリズム崩壊」と指摘しました。筑紫哲也さんの番組の作りや中身について異論があると、「あいつは敵」だとなってしまう。あの筑紫さんですらそうです。

 猪瀬直樹さんでも最初そうだった。道路公団についてもう10年以上前でしたかね、「違いますよね、私はこう思います」と言うだけで、正しいとは一言も言っていないんです。僕はいつも、「正しい」と言ったことはないです。これはみんな誤解しています。「私にも間違いはあります」と言っています。「こう思う」という価値観の違いをどんどん提供しています。

 「正しい/間違えている」という議論をしたことは無いのに、彼らがそういう議論しかしていないため、その二次元でしかモノを判断できないんです。三次元でモノを言っている人に対して、意味がわからないから、デマだとか嘘つきと言うんですね。デマ・嘘つきというのもどこがどうと具体的に言ってくる人はいません。

 「じゃあ、何の事(がデマ)ですか?」というと、最初のデマはまさにメルトダウンですよ。それから、「放射能は飛んでいない、危険でない」。あとなんだろう。ここ1年では、米軍情報。あれは合っていたでしょ? その辺りのことについて「デマ・嘘つき」と言われていました。

 でも、そういうレッテルを貼ることって、自分に対する恐怖なんです。脅威とか怖いものに対して対応できないので、レッテル貼りで逃げようとする。それが既存のメディア、日本社会に住んでいる人たちなんです。その象徴が、そういうことを言う人たちです。

 具体的にデマ・嘘を指摘してくださいというと、それを指摘することなく、「とにかく嘘つきなんだ!」と繰り返すんですね。だから相手にならないし、話にならない。僕も具体的に指摘されたら反論できるのに、町山智浩さんもそうでしたが、全然関係無いことを持ってくるんですよ。

 町山さんと揉めている議論についても全部説明しているんですよ、「官報を読んでみてくれ」と。それをなぜかこっちが逃げているって言うんですね。今回のやりとりを見ていた人はわかると思いますが、全然逃げていないし、普通に交渉しているのに、とにかくレッテル貼りから始まる。

 それはやはり既存メディアという、記者クラブシステムの中にいる人のみならず、日本全体の洗脳、ブレインウォッシュを受けている感じです。それに対して「違うんだよ」と言う人は異端で、とりあえずNOと言っておかないと、自分自身に対する否定になっちゃうんです。

 年配層で説明すればわかりやすいと思いますが、朝日新聞の天声人語は「試験に出る、大学受験に出る」と言われ、70年、80年代とそうでした。そして一流企業に入った、NHKに入った、という人たちからすると、NHKが基本的に正しいと思っている。そういう人たちが信じていたものが、今や崩壊してきているわけです。3.11以降。ライブドアもそうかな。BLOGOSも。それに対して「そうだ」と認めてしまうと、自分の人生を否定することになるんです。

 特に年配層ほどそうです。今の権力構造でパワーエリートの頂点に近い、上層部にいる人ほど反発が激しい。そういう意味で言論の自由を担保に、多様性をきちんと作ろうとしなくてはいけない。そういう人たちほど、ディベートができない、ものすごい社会になっています。それは私が変わるのではなくて、そっちの人たちが変わらないと無理なんですよ。

 正直言って相手にしていません。Twitterではいつも言っていますが、Twitterでは議論したことが無いです。Twitterは議論に向かないメディアです。議論のきっかけ、ヒントを与えることはいい。だけれども、そこから本当にディベートするなら別のメディアでやりましょう。僕も含めて、ずっとそう呼びかけています。

 端的にいうとみんな脅威・恐怖なんです。知らないものに対する恐れです。水中に泳ぐ生物が何千億年前かわからないけれども、陸上に上がる時には危険な酸素、紫外線があり、放射能もあったでしょう。上がってくる時には、知らないものだから怖いわけです。それに対しては攻撃するしかない。鎖国時代の日本がそうでしたよね、「外は危険だ危ない」と。今の北朝鮮もそうでしょう。実は、日本もそうだったというだけの話です。