シシ神の申子 もののけ姫

第3章

 水底よりも澄んだ森の色
 馨しい木々の香りが漂う



 濡れた髪が薄桃色の肩を湿らせる。

見られた。しかも男に。

襟元を寄せ、林の中を歩く。乾いた葉の音が心を落ち着かせる。
 あの場所に人がいるのにも驚いた。あそこは獣すら姿を見せることがないのに。
見たことのない顔。おそらくタタラの住人ではない。
タタラの住人は間違っても一人でこの森に踏みこむことはないはずだし、近付くことも厭う。
亡霊やもののけには見えなかったし・・・。
通りすがりの旅人なのかもしれない。

「もういいや。」

考えるのをやめ、あたしは根元に腰を下ろした。
空を仰ぐと、気味の悪いくらいキレイな青空が広がっていた。
静かな森。

 その静寂の中、突如何かが力強く背中を小突いた。

「わっ!?」

驚いて飛び退くと、白い毛並みと犬の鼻面が横目に映った。

「やっぱりお前か。」

尖った声のする方を見ると、山犬を随えた少女が立っていた。

「なんだ、野生児か。」

見知った顔に内心ほっとした。
擦り寄るように近付く兄弟とは対照的に、その子はじっとあたしを見据える。

「野生児、あんたはあいさつもしないの?」

寄ってきた鼻面を軽く撫で、あたしもその子を見つめる。

「うるさい、死人(しびと)」

嫌なあだ名をつけられたもんだ。思わず苦笑いが零れる。
でも、それは事実なわけで。

「一応、滝で清めてきたんだけど。やっぱりサンには分かるんだね。」

「身を清めても死人には変わりない。匂いは消えない。」

サンはゆっくりと歩み、あたしの隣へ座った。

「さすが野生児。死人の匂いって癇にさわる?」

自分では分からないが。

「死体が腐る臭いとは全く別の匂いだから幾分かはまし。
お前の減らず口の方が癇にさわる。」

「ははっ、あんたもね。」

 見上げた空は濁りのない青で、手をかざせば、あたしなんてすぐに溶かしてしまいそうだ。
この儚い幻のような体で、いつまでこの世に留まれるのだろう。
死にたくない。
その願いだけが、あたしの生命を繋いでいる。
まだ死にたくない。
あの時、純粋にただそれだけを思った。その思いを魅入られ、あたしは再び生を受けた。
そしていつか溶ける。

「##ツララ##、聞いてるのか?」

「あ・・・何?」

少し苛立ったようなサンの呼びかけに、空から視線を外した。
 
「・・・お前、いつまであそこにいるつもり?」

おそらくタタラ場のことを言っているのだろう。

「いつまで・・・・・・あたしには、タタラ場にしか居場所がないから。」

エボシ様や皆が、あたしを必要としてくれるうちは、離れるわけにはいかない。それが報いでもあるから。

「あの女の為か。」

低く、咎めるような声。

「お前が本当に報いらないといけないのは、シシ神様じゃないのか!?」

サンの言っていることは、すごくよく分かっている。
けれど・・・

「分かってるよ。でも・・・エボシ様は、その命を救ってくれたから。」

「救ったのはあの女でも、命を与えたのはシシ神様だ。」

鋭く睨みつけられ、あたしは押し黙ってしまった。
自分でもどうしていいか分からなくなる。
やらなくちゃいけない事は分かっている。でもそれが正しいかは・・・。
 大きな戦いに直面するのは時間の問題だ。
その時、あたしは一体―――――


 晴れやかな空とはかけ離れた心の中。
人間でも、もののけでもない自分。
細いため息と、重い足取りが心境を反映した。

「・・・・?」

タタラ場に戻ると、何やら村の中が騒々しく賑わっていた。多くの人が正面の門の方へ走っていく。
その流れにつられて、あたしも騒ぎの渦へむかった。

 漂うように流れ着いた小舟。聞き覚えのある声が一際よく聞こえる。

「他のやつはどうした。あと二人落ちたんだ。」

「助けられたのは俺達だけだ。」

人波を抜けて渦中に辿り着く。
傷だらけ、泥だらけのその人物を見て、あたしは目を疑った。

「甲六さん!?」

トキさんの夫、甲六さんだった。
米運びの最中、谷に落ちたと聞いていたのに。

「##ツララ##ちゃん!」

ケガの具合は酷そうだが、本人は元気そうだ。

「よかった、生きてたんだね!」

ぎゅっと手を握ると、甲六さんの目がうるうると潤んでいく。

「開けろ。」

遥か背後で濁声が聞こえた。
群衆を縫ってゴンザが歩み出てくる。

「ゴンザ様、あの頭巾の者、何者でしょう。」

ゴンザの付き人が用心深げに囁く。
その発言で、静かに佇む人物にあたしは初めて気がついた。
口元まですっぽりと頭巾で覆い、厚い蓑を纏った姿。
ゴンザが声を荒げてその旅人を呼び止める。よそ者には容赦がなく尋問が始まる。
内心ハラハラしながら成り行きを見ていると、大声が響き渡った。
 風のようにトキさんが駆け込んでくる。
甲六さんの生きている姿を見て心底安心したのか、いつもの調子で甲六さんに喝を入れる。

「心配ばかりかけやがって、いっそ山犬にでも食われちまえばよかったんだ!」

これもきっと愛情なのだろう。
甲六さんは情けなさそうにたじろいでいたが、皆は吹き出していた。

「トキ、夫婦喧嘩はよそでやらんかい。」

「何さエラそうに、ケガ人を捨ててきやがって。」

形相を変え、ネチネチとトキさんに詰め寄られ、さすがのゴンザも押されている。
そんなやり取りをよそに、あたしは旅人に歩み寄った。
事の成り行きを黙って見ている。

「あの、ありがとうございました。」

ぺこっと頭を下げお礼を言うと、それに気付いたトキさんもこちらに向き直る。

「えぇ、本当にありがとう。あんな亭主でも助けてくれて嬉しいよ。」

「よかった。連れてきてはいけなかったのかと心配してしまった。」

ほっとしたように、頭巾の下で微笑が広がった。
その優しい目元に、あたしは一瞬言葉を失う。
トキさんはきょとんと目を丸くしたあと、豪快に笑い声を上げた。

「へぇ、イイ男じゃない。ちょっと顔見せとくれよ。」

亭主の前で堂々とそんな事を言うもんだから、あたしは思わず甲六さんへと目を走らせてしまった。案の定泣き出しそうな顔をしている。
やれやれとため息をつくと、凛とした声が響いた。

「ゴンザ。あとで礼を言いたい、客人を案内しなさい。」

群衆から離れた小高い場所に、エボシ様が立っていた。

「甲六。よく帰ってきたくれた、すまなかったな。」

淡々とした口調の中にも、優しさと温かみが感じられる。
泣きっ面で返事をする甲六さんを見て、あたしの胸もじんと打たれた。

「旅の方、ゆるりと休まれよ。##ツララ##殿、お願いしても良いか?」

「はい、お任せ下さい。」

そう答えたあたしに、エボシ様は小さく微笑み、颯爽と去って行った。
 客人の世話はずいぶん手馴れている。ゴンザのように荒々しい男より、あたしの方が適任にきまっている。エボシ様もそれを見越して世話役を頼んだのだろう。

 旅人の男が頭巾を引き下げ、その後ろ姿に会釈した。

「!!??」

記憶に新しい顔。

「あらぁ、やっぱりイイ男じゃない。」

乙女のように声を弾ませるトキさんとは逆に、あたしは大きく口を開けて驚愕した。

「お・・・・お前、さっきの!」

急に声を上げたあたしを見て、そいつの顔も面白いくらい驚いた表情が形造られていった。
 滝での出来事が頭に過ぎり、一気に顔が熱くなる。

「貴女は・・・・」

先程まで寡黙だった男が、ひどく動揺している。
そんなあたし達を、トキさんもゴンザも素っ頓狂な顔で見ていた。
 世話役を引き受けたことを悔いても、もうすでに遅かった。
3/1

プロフィール

名前
雪島氷柱
性別
きっと女
血液型
典型的なO型
職業
大学生
妄想力は並外れていますが、表現力に問題あり;;笑 拙い文章表現で大変見苦しいかと思いますが、楽しんでいただけたら光栄です。 更新はわりかし早めで。

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