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発信箱:海上の壁=伊藤智永(ジュネーブ支局)

 古事記を初めて英訳した明治のお雇い外国人、王堂(バジル・ホールの和風自称)チェンバレンは、東京帝国大学教師を退いた後、ジュネーブで余生を送った。

 柳田国男は、あこがれの大学者に一目会いたくて家の前を何度もうろうろし、ついに会えなかった(「海南小記」自序)。

 まるで恋わずらいだが、のぼせ上がったのには訳がある。ジュネーブに来る前年、役所勤めを辞して日本各地を旅した柳田は、初めて訪れた琉球の文化に驚嘆し、「沖縄を発見した」と思いつめていたのだ。

 そしてチェンバレンこそは、アイヌ・琉球の言語・民俗研究の先駆者であった。その祖父も、英船艦長として「大琉球島探検記」をのこしているから、因縁めく。

 国際連盟の時代、日本は南洋群島の委任統治を任された。柳田は新渡戸稲造に請われ、初代の日本代表委員として連盟本部のあったジュネーブで2年近く暮らした。

 その経験から「島の文化史上の意義」に気づき、日本を省みて「本国の周辺に大小数百の孤立生活体のあることを考えない者だけが政治をしている。我々は公平を談ずる資格がない」と考えるに至る。

 帰国した柳田は、独自の民俗学を旺盛に展開しながら、終生この時のこだわりを温めて40年後、日本文化は沖縄から南の島々を伝って来たと説く「海上の道」を著し、世を去った。本土返還の10年前である。

 民俗ロマンから軍事・国際政治まで。沖縄イメージは、永遠に異界であり続ける。引退した芸能人や文化人が移り住むのも、本土からの「逃亡の地」だからだろう。

 同じ国でも違うくに。日本は沖縄を差別しながら、思いやりとすり替えて自覚がない。沖縄は自ら被差別を主張しない。米軍基地問題が堂々巡りなのは、嫌な事実から皆で目を背けているからだ。

毎日新聞 2012年3月14日 2時23分

 

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