東京電力福島第1原発から外部に放出される放射性物質は、毎時7000万ベクレルを超えている。今年1月の話である。仮に3・11前にこの数値だったら、日本中が大騒ぎだろう。
だが、いまの日本ではこのニュースが大きく取り上げられることはない。逆に、政府は「復興支援」ばかりをうたい、マスコミは原発事故による放射能の問題は存在しないような雰囲気作りに協力している。
とりわけ、それは福島県の2つの県紙「福島民報」「福島民友」などで顕著だ。
「除染元年 うつくしま、福島」
国と同様、福島県でも行政と報道による「官報複合体」が一体となって、こうしたキャッチフレーズを駆使し、「福島の真実」から県民の目を背けようとしている。
福島での環境への放射能汚染、とりわけ人体への被曝の危険性は減っていないにも関わらずだ。
「信じられない。とてもではないが、人が生活できるような数値ではない」
米ウォールストリート・ジャーナルのエリー・ウォーノック記者と、セーラ・ベルロー記者はあきれたようにこうつぶやいた。
先週、福島から東京に戻ったばかりの筆者が、2人の米国人記者に、原発から50キロ以上離れた福島市と郡山市の空間線量の値を伝えたときの反応がこうである。
また2月、筆者が、郡山市役所前で測った地上1メートルの空間線量の値は毎時1・8マイクロシーベルトを超えた。一方、同じ日「民報」「民友」では、同じ地点での線量が0・6マイクロシーベルトとなっている。
公の発表と私の測定値が、なぜこうも違うのか。ちなみに私の使っている測定器は日立アロカ製、政府や福島医大の使っているものと同種である。
「だって、あの発表の数値は、測定前に水で地面を洗って測っているんです。違うのは当然ですよ」
地元の放送記者が種明かしをする。もはやジョージ・オーウェルの「1984年」の世界だ。
「もう、そんなことを指摘する人もいません。いくら言っても放射能がなくなるわけではないですから」
事実を伝えなくてはならない記者ですら、こうである。現実を直視する者が奇異な目で見られる−。哀しいかな、それが「福島の現実」なのである。
■上杉隆(うえすぎ・たかし) メディアカンパニー「NO BORDER」代表、元ジャーナリスト。1968年、福岡県生まれ。テレビ局、衆院議員秘書、米紙東京支局記者などを経て、フリージャーナリストに。政治やメディア、震災・原発事故、ゴルフなどをテーマに活躍した。著書に「官邸崩壊」(新潮社)、共著に「報道災害【原発編】事実を伝えないメディアの大罪」(幻冬舎新書)など。社団法人自由報道協会代表。