東日本大震災1周年追悼式に出席した岩手県遺族代表・川口博美さんの「ことば」は次の通り。
◇
本日ここに、東日本大震災により、尊い命を天に召された御霊(みたま)の追悼式が執り行われるにあたり謹んで哀悼の言葉をささげます。
「翔也4歳になったね。お誕生日おめでとう」と、震災前の2月の18日、最愛の孫、翔也の誕生日のお祝いをして家族全員が満ち足りた、本当に幸せな時間を過ごしました。
翔也の笑顔に家族全員が癒やされ、元気付けられ、いつも家族の中心にいてくれました。あの日からわずか22日後、津波の犠牲になったのです。家族全員で慈しみ、育んできた、生まれてまだ4歳しかたっていない孫の命をあの津波が奪っていったのです。
震災のあの日、私は50キロ離れた大船渡市にいました。道路はがれきで埋まり、泥まみれになって歩いて自宅に向かい、たどり着いたのは翌日の昼過ぎ。自宅は流され、津波は私を生み育ててくれた母や、人生を共に歩むことを誓ったかけがえのない大切な妻の命までも奪っていきました。
私の住んでいる大槌は、津波のあと、火災が至るところで発生したため、焼け焦げたがれきや車や家の壁が、街全体が真っ黒に覆われた光景が目に焼き付いて離れません。
この震災によって、私の住んでいる集落でも90名を超える尊い生命が奪われ、いまだに42名が行方不明で、小さい頃から一緒に遊んだ仲間、よく面倒を見てくれた近所のおばちゃん、親戚の人たち、集落の1割もの方が犠牲となりました。
天災とは言うものの、この世には神も仏も存在しないものだと今もあの時を思い出すと涙があふれてしまいます。この震災で犠牲となられた皆様の悔しさと無念さ、残された家族の悲しみを思うと言葉になりません。
ただ、悲しんでばかりもいられません。私たち遺族の周りには、前を向いて、復興に向けて、協力してくれる仲間が居ます。町民の3倍以上となる5万人のボランティアが、私たちの街の復旧・復興のために駆け付けてくれたように。
私たちは、この震災の教訓を風化させることなく、後世に語り継ぎ、時間はかかるとは思いますが、一歩ずつふるさとの復興に向け、邁進(まいしん)することを御霊にお誓いいたします。
最後に、東日本大震災で犠牲になられた皆様の御霊のやすらかなご冥福をお祈りします。