弁護士バッヂはプレミアムなし
業務ができる入場券に過ぎない
――法曹界の人数は急増して来た。それに対する賛否両論がある。どのように考えているか。
弁護士になったら全員が確実に就職できて、全員が満足にご飯を食べられる、そういうものが弁護士の適正人数だというのであれば、今は多いということになるだろう。
しかし、他の業界はそうではない。例えばウェブの記者は、やるとご自身で決めたら、やるでしょう?しかし、やるのはいいが、本当にご飯が食べられるか、ダイヤモンド社に就職できるか、それは分からないわけです。弁護士に関して、特別に扱う必要はない。ご飯が食べられるかということは関係ない。
医者と同じだと考えれば、今のように司法試験合格者数を制限するのではなくて、一定の技術や知識量を基準にすればいい。報酬規定にしても広告にしても、弁護士界のなかには独禁法違反だというのがたくさんある。それだけ、弁護士界は守られて来た。
私のように民間からきた人間からすれば、非常に違和感がある。この弁護士数の議論で噛み合ないのは、弁護士になったら一生安泰であるべきだというのが前提で、その上で数をどうしたらいいかを話している。それは違う。「数字ありき」ではないはずだ。
――弁護士界には伝統的に「成仏理論」というものがある。つまり、弁護士としてカネを儲けてはならない、と。また、アメリカのように「企業やM&Aなどを専門にした法廷に立たない弁護士」がもっといるべきだという意見もある。日本の社会に合う弁護士とはどういうものだと考えるか。
突き詰めて行くと、弁護士は法律というサービスを提供しているが、他の業界の人たちと違うことはないということだ。弁護士だから、公的な役割があって手弁当で人権問題をやるから、だから競争するようなことがないようにしてほしい、というのは違う。基本的にわれわれは自営業者だ。他の多くの企業に勤める人たちと変わりはない。
そもそも、「競争制限しないと、ボランティアはやらない」というのがおかしい。ボランティアは強制されるものではない。任意でやるものだ。収入がない人でも、ボランティアやりたいという意思がある人は、やっているでしょう?
手弁当で報酬がもらえないような弁護もやるから、普通の会社に勤めている人たちよりは報酬を高めにしてね、というのが何十年も続いて来た弁護士界。弁護士バッヂにプレミアムをつけてね、だった。
私は、このバッヂは「入場券」でしかないと思っている。法律サービスを提供できる、参加証です。
繰り返すが、弁護士というと収入が一生保障されている人、という認識がある。若い人もそういう意識があるのだろう。だから、司法試験に合格したら安定している裁判官や検察官になりたいという人が増えているのだと思う。