今日はなんの日?08/01 /街 (11-08-01 02:20)
天正18(1590/8/30)年 徳川家康が江戸入場。
1894(明治27)年 日本が清国に宣戦布告、日清戦争開戦。
1931(昭和06)年 日本初の本格的トーキー映画「マダムと女房」封切り。
1964(昭和39)年 テレビ東京で「題名のない音楽会」放送開始。
1987(昭和62)年 ボクシング、21歳でWBA・WBC王者のマイク・タイソンが、IBF世界ヘビー級タイトルマッチでチャンピオンのトニー・タッカーを判定の末下し、王座を統一。31戦無敗。
1996(平成08)年 アトランタオリンピックの陸上200m決勝でアメリカのマイケル・ジョンソンが19秒32の世界新記録で優勝。400mでも優勝し、五輪史上初の200m・400m二冠獲得。
2004(平成16)年 プロ野球、阪神の金本知憲がプロ野球新記録となる701試合連続フルイニング出場を達成。
2007(平成19)年 夏巡業を休場してモンゴルでサッカーをしていた朝青龍に二場所連続出場停止処分。
2007(平成19)年 昭和歌謡界を代表する作詞家・阿久悠が死去。70歳。
▼今日は/水の日/麻雀(81=パイ)の日/肺の日/世界母乳の日
▼今日が誕生日の有名人
伊達宗城(文政元年《1818年9月1日》)/木下杢太郎/室生犀星/成田きん/蟹江ぎん/松方三郎/水谷八重子(初代)/宮本常一/中田喜直/E・H・エリック/ジャック・エリオット/金田正一/イブ・サンローラン/三ツ矢歌子/鎌田敏夫/小野武彦/田村正和/つのだ☆ひろ/森田順平/津田恒美/若田光一/サム・メンデス/長谷川滋利/森洋子/米倉涼子/尾上菊之助/冨永愛/黒川智花/Joe Elloott (DefLeppard)
▼今日生まれの人は…
星座:獅子座/誕生石:橄欖石/誕生月の花:紅団扇、向日葵
誕生日星:海蛇座のエプシロン・ヒュドラェ、星言葉「理想へ進む権力への意志」
誕生日花:けし(赤)、花言葉「慰め」
〔今日のミニ情報〕 80年前の今日(1931年8月1日)、歌手の若原一郎が生まれました。『NHKのど自慢』で入賞したことがきっかけに翌年19歳で歌手デビュー。歌唱力に定評はあったものの最初の数年は不遇の時期が続き、『風の吹きよで』でNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、さらに『おーい中村君』では50万枚以上のレコード売上げを記録しました。その後は懐メロ番組やバラエティ番組での活動が中心となり、またカツラの使用を告白して「アデランス」CMに娘の若原瞳と共演して話題にもなりました。 »情報源:ストローワラの情報交差点さん« |
Comments
ついに、息子もやっちゃったか・・・
先代アサド(ハーフェズ)が、昔ハマで戦車隊で完全包囲の上、殲滅作戦を行ったのは、前に私が言ったとおり。
名無しさんは「ムスリム同胞団は立派な政治政党だ」とおっしゃいましたが、それはエジプトの話。
シリアでは、ムスリム同胞団はテロリスト集団とはっきり定義されています。
また、私の居た時代では、「シリア国民が3人以上集まる場合、届出をしなければならない」と、はっきり法で定められておりました。
2代目アサドは情報統制を緩めましたが、見事に裏目に出ましたね。(11年08月01日 02時38分32秒)
「テロリストに譲歩してはならない」
これは国際常識です。基本的にどの国も、このルールを守ります。とある国を覗いては。
そう、この国「日本」です。
昔、赤軍がハイジャックを起こした際、当時の外務大臣は「人一人の命は地球より重い!」と、実にヒューマニズムあふれる世迷言をほざき、自分を始め数人の外務官僚と人質を交換しました。
ここまでなら、ヒューマニストな方々には美談に見えます。(11年08月01日 02時48分23秒)
大臣、秘書官を始め、数名のキャリア外務官僚が乗り込みました。
その大臣は、一番若い官僚にこう告げました。
「もし、テロリスト達が見せしめに人質を殺し始めたら、一番最初は君が死んでくれ」
「人一人の命は地球より重い」と言い切ったヒューマニストさんが、命に値段をつけ始めたのです。
無論、自分自身は一番最後です。
その若いエリート官僚は大変なショックを受け、生還はしましたが、その後、極度の人間不信者となりました。
順当に出世はしましたが、それ以降常に、海外に赴く際には護身用に銃を隠し持つようになりました。
因みにその方は、既に退官されています。
(まぁ、時間的に当然ですが)(11年08月01日 02時59分25秒)
一人者ですので。
合鍵を渡し、私の勤務中、週に二回来てもらい、掃除と洗濯をして帰る。
私がその方に出していた週給は、日本円にして約千円。
毎週週初めの日に、キッチンのテーブルにそのシリアポンドを置いておく。
また、心ばかりのお礼として、ターキッシュコーヒー(トルコ風コーヒー)の用具を一式揃え、豆も完備、仕事後、それを飲んで、ゆっくり休んでから帰ってくれる旨、彼女を紹介してくれた、現地職員(シリア人と結婚して帰化した日本人女性)に伝えました。
ある日、日本人会役員会議(司会は領事、私は書記担当。役員は各大手商社の現地駐在所長とJOCV所長)で、会議が終わり、雑談に入ったところ、ある役員の方に話かけられました。
「RNさん、貴方、掃除婦に週500シリアポンドも払ってるって本当ですか?」
「ええ、そうですが?」
「困るんだよなぁ、その半分以下でいいんですよ。その掃除婦が他に自分の報酬を教えたら、図に乗って賃上げ要求をしてくるんですから」
返答に困りました。
ま、結局妥協はしないで、私はその掃除婦のおばさんに今までどおり、500シリアポンドを払い続けたのですが。
ある日、おばさんが来なくなりました。
2回連続で来なかったので、紹介してくれた現地職員に尋ねました。
「彼女、風邪をこじらせ、肺炎を起こし、昨夜亡くなりました」
で、その現地職員は更に続けます。
「この国の人の命は安いんですよ。人の命が平等なんて言葉は、この国では通用しません」
これが、私自身体験した事です。(11年08月01日 12時09分37秒)
よ、一言
「お前は『ノルマントン号事件』の事件そのものと、その後国際的にどうなったのかをググッてろ」(11年08月02日 14時29分35秒)
公僕はパブリック・サーヴァントではあるが、選良wである所属組織の長の奴隷ではない。
理想論だが、一般国民に奉仕するのが、本来の役目。
実際は、「国家公務員の義務は国民に奉仕すること」と発言した方に対し、上にだけゴマを擦り、バイトから登用されてどんどん異例の出世をした、別名「藤吉郎」は、「省員の義務は省益を守る事だ」と、言い切った真性のカス。
約20年前、旅券(パスポート)が、MRP(OCR処理)に切り替わった際、その「藤吉郎」は自分の手柄にしたいが為に、冊子及び各種新様式の印刷が絶対的に間に合わないという大蔵省印刷局(当時)の報告を完全に無視し、強行しました。
更に、ラミネート処理機が間に合わないので、「テフロン加工のアイロンが手に入る国はそれを使う事」手に入らない国は、東芝の負担で国産品のアイロン入手し、送付担当者が外交公嚢で送るという無茶さ。
文書課(現在は統合され情報通信課)に、「アイロン、あんたふざけてんの?」と、旅券関係物品海外送付担当官は滅茶苦茶怒られました。(11年08月03日 03時26分52秒)
当然、各公館からはクレームが入ります。
「一番近い公館に掛け合い、必要数を借りてください」
「でも、冊子には管理番号があるだろ?」
「それは何番を借りたかを電信で報告してください。こちらで番号の管理変更を記録します。」
…ええ、在外公館向け旅券発給必要物品の担当は私です。
そして、更に最悪な事に、この時期に課長が異動となりました。
新課長は宮内庁に出向していて、東宮侍従をやっていた方です。
当然、事の経緯は知りません。
が、現状がかなり拙いのは理解されたようです。
そこに「藤吉郎」は、「苦情が多いのは、在外公館送付担当のRNが無能だからだ」と自分の功名心で独断専行し、甚大な被害をもたらした責任を全て私にひっ被せました。
新課長はそれを真に受け、人事課に私を海外に飛ばすことを依頼。
結果、私は強制的に海外赴任を命じられました。
しかも、当初の赴任予定はカタールの会計担当でした。
カタールの会計担当官(ベテラン)から、人事課へ直訴
「会計事務経験の無い上、若造に務まる仕事ではない」
当然です。
次は、イランの電信担当を打診されました。
当時、自主的にペルシャ語の勉強をしていた私は、その場でお願いをしました。
数日後、人事担当から「電信担当は結婚の予定が出来たので、あと一年はイランで稼ぎたいと異動を拒否してきた」(11年08月03日 04時00分31秒)
数日後、人事企画官(人事担当のお偉いさん)が突然、旅券課にやってきて、私に手招きします。行ってみると、
「君の赴任先はシリアかバングラデシュだ。どちらかを選べ。私自ら、職員の元へ行くことは前例がない。これは特別なケースだ。拒否権はない」
私は、一も二も無く
「シリアでお願いします!」
と即答しました。
シリアの担当課は中近東第一課です。
私は、旅券課の前は中近東第二課、部屋がつながった隣の課です。当然知り合いも結構いました。(11年08月03日 04時16分38秒)
外務省プロパーの方は2人を除き、皆知り合い。
残りの他省併任出向者や、やはり中近東第一課(現在名は中東第一課)及び第二課(同じく中東)に出入りしていた中東調査会会員の方だった専門調査員の方と知り合いで、和気藹々と、平穏に過ごしました。
しかし、まぁ、私は不健康地としては異例の長さ(約4年)在籍しており、二人目の次席がそれを心配し、私に
「次はどんな所に行きたいか」
と尋ねてくださいました。
私は
「小規模公館の雰囲気は、ここで充分しりましたので、次は中規模から大規模公館での仕事を経験したいと思います」
と率直な希望を述べました。
次席は人事課と様々な大〜中規模公館にオファーをしてくださいました。
そして、
「ジュネーブ代表部の総括公使が、君を引き取りたいといってくれている」
当時のジュネーブ代表部の総括公使は、旅券課で、東宮侍従から戻ってきた課長の前の課長です。
当然、私が悪者にされた件は、本当は藤吉郎の功名心によるゴリ押しだという事も知っておりました。
かくして、私は四年勤務したシリアから、ジュネーブに赴任する事になりました。
出発の日、出発時間がとんでもない時間(約午前3時)という事もあり、館員の方々には、仕事に差し障るので、見送りは結構ですと述べました。
しかし、次席はわざわざ付き合ってくださり、最後にアドバイスをくださいました。
「いいか、RN、お前が大変な読書家で、様々な方面の知識に詳しいのは良く知っている。だけどな、お前の発言はかなりの確率で毒を含んでいるんだ。みんな家族的な小規模公館と違い、大規模公館は人間関係が難しい。だから、お前が何か言いたくなっても我慢して喋るな。仕事に必要な事だけ発言すればいい」
非常にありがたいアドバイスでした。
以上、自分語り終了。(11年08月03日 04時53分31秒)
MRP旅券開発は、富士通と東芝の合同受注でした。
先の「藤吉郎」は、富士通の担当者に無理をいい、自分の机にFM-Twonsを持ってこさせました。
名目は「モニター」
しかし、「藤吉郎」がそのFM-Twonsでやっていた事はゲームだけ。
しかも、ほぼ自分専用とし、自分の班の班員だけが、やりたいときに許可を求めてきたら許可するという、心底腐った奴でした。(11年08月03日 05時02分31秒)
>RNさんはどうしろと?
つかノルマントン号事件とナニがどう関係するのかだけでもこたえてくれないカ?ムリだとわかってきいてるんだけどなw(11年08月03日 09時08分22秒)
あります。
私が入省した時の課長は、キャリア官僚であるのに、とてもユニークかつ人より動物が好きという個性的な方でした。
キャリア官僚は、「妻を持たなければ出世できない」という暗黙の了解があり、三十代で独り者には半ば強引にお見合いをさせられるのですが、その方はそのすべてを断り、独身を貫きました。
結果、その方は、行使のまま長いこと留まり、ようやっと大使になれましたが、その赴任先はご自身の専門語学を全く活かせない国でした。
次の任地もやはり、その専門語学は全く活かせない国でした。
キャリア官僚ですので、当然英語はペラペラですが、若い頃に取得した専門語学は殆ど活かせません。
入省一年目の時、私は早朝出勤し、課のPCのスキャナを借りて、自分の描いた線画をスキャンしていました。
偶々その時、その課長も早朝に出勤され、その場面をばっちり目撃されましたw
その方は
「RN君、こういう特技があるんなら、この特技を磨いて、そういった道に進んだ方が君の為になると思うよ」
と、アドバイスをくださいました。
今思えば、その時のその方の言葉は、ご自身の技能を活かせない経験から出た言葉だったのか・・・と解釈しております。
また、別の大使夫人にはこういうお言葉をいただきました。
「いい、外務省の人に『奥さんお元気ですか?』って、挨拶は絶対しちゃいけないんだよ。
何故かっていうと、その人がそのまま結婚生活を続けているとは限らないし、仮に奥さんがいても、君の知ってる奥さんとは限らないからね」
その時は笑い話でしたが、同僚と会話中にその話を出したら、ある人が固まってました。
「私、○○さんにここで、再会した時、その挨拶しちゃった…」
○○さんは、その時独り者に戻っていました。
実際、全省庁中で外務省は離婚、再婚率共にブッチギリの一位です。(11年08月03日 13時49分27秒)
行使は公使のマチガい.大使の次官が公使や全権公使(11年08月03日 14時38分42秒)
また、任国の情勢が余りにも不安定な場合(レバノン、イラク、アフガニスタン等)は、公使、参事官、一等書記官を臨時代理大使として据えておきます。
また、特命全権大使は、その国の国家元首に天皇陛下が署名された信任状を奉呈して、初めて特命全権大使となります。
独裁国家等の場合、その独裁者の都合や機嫌によって、信任状奉呈式が半年や一年以上行われない場合もザラにあります。
同様に、日本に駐在する各国大使も、天皇陛下に信任状奉呈を行わない限り、建前上「特命全権大使」を名乗れません。
幸いにして、日本の天皇陛下は御公務として、頻繁に奉呈式を行っておりますので、その事態は滅多にありません。(11年08月03日 16時49分05秒)
あれ?国連政府代表部ナら特命全権大使は2名じゃなかったけ?さっきもかいたけど何人いても特命全権大使は特命全権大使だよね?
名称大使(大使じゃないけどバカにされないようにとかで名前だけ大使な人)のことを大使っていってるにしてもハナシがヘンなんだけど?(11年08月03日 17時15分43秒)
もし、貴方が以前、私とイスラム教について討論しあった名無しさんならば、重箱の隅つつきではなく、中身のある討論をしませんか?(11年08月03日 20時40分53秒)
『ノルマントン号事件』とか討論したいなら、重箱の隅とかいわないで変換ミスみたいに認めてからハナシかえろよバカバカしい(11年08月03日 21時16分08秒)
その2人の絵を最初に見た時、圧倒的な絵の上手さを感じました。
自分もその2人に追いつきたい!
と、必死に絵の練習をしました。
しかし、やはり追いつけません。
せめてもの救いの言葉は、他の知り合いの
「○○君と○○君は最初から凄く上手かったけど、RNはずいぶん進歩したよね」
と、美術教師の
「RNはグラディーションは一流だ」
という評価と、仮面をデザインするという課題の時、
「これはRNが得意そうな課題だな」
と、課題発表の時につけ加えてくださった事です。
美術は選択科目ですので、最初から2名の親友とは同じ教室で受けています。
2名の親友の内、1名は美術大学を志望しました。
その彼でさえ、1回目は不合格でした。
私は、16bitカラーのドット絵にのめりこんでいました。
X-68000も所有していましたが、X-68kを所有していた方はご存知でしょうが、あの機種のドットは正方形ではありません。
美大に進んだ彼は、よく私の部屋に遊びに来ました。
そして・・・
なんと、彼はX-68kの長方形ドットをものともせず、更にはトラックボールでCGを仕上げたのです。
それも、たった一晩で!
私が代わりにアップロードした、彼のpic形式のCGは凄い評判でした。
転載依頼も凄い数でした。
完全な敗北感でした。
「ならば俺は16bitカラーのドット打ちを極めててやらぁ!」
再起した私は、兎に角、絵より1ドットの置き方にこだわり、色々なことをやりました。
一番自分でも、こんな事よくやったなぁと思ったのは、640×400が基本のmag形式で、縦4画面、横2画面を接続したCGです。
一方、地元札幌に残ったもう一人の親友は、大学卒業後とあるカメラチェーン店に就職しました。
更に一年後、彼は警察官試験に合格し、上京してきました。
そして私は、彼と入れ替わりのようにシリアに赴任しました。
私を驚かせたのは、ダマスカスでの生活を始めた彼が、警察学校卒業と同時に
「俺には向いてねぇ」
の一言で、警察官をあっさり辞めてしまった事です。
そして、美大に進んだ方の彼は、就職浪人を数回経験した末、私がシリアでの勤務中にスクウェアへの就職が決定しました。
まだ、エニックスとの合併前の事です。
彼ら2人のバイタリティは、心底驚かせられます。
警察官を辞めた彼は、趣味でCGを描いていました。
彼は頑固一徹な面があり、コンピュータ通信には全く興味を持たず、ついにコンピュータ通信に繋げる事はありませんでした。
驚くべき事に、彼は未だにインターネット接続回線すら持っていません。
それでも絵の腕は凄く、私が海外赴任中には、中学時代からの親友が時々彼の家を訪れ、彼の描いたCGをコピーし、パソコン通信で草の根ネットに代理アップしていました。
彼の評価もまた凄く高く、結構なネットから転載願いがあったそうです。
更に驚くべきは、彼はアングラな情報に全く無関心だったのに、その頃既に「男の娘」を描いていた事です。
恐るべき才能としかいいようがありません。
時代は変わり、私のドット打ち技能は、現在インターネットでのコンピュータアートには、全く通用しません。
それでもつい、1ドットに拘り、意味も無いのにドット単位での修正を行う為、とてつもなく時間がかかりますwww
・・・そういや、約1年絵描いてないな・・・ピクシブのアカウントは生きてるけど、ピクシブは絶賛炎上中だしなw(11年08月03日 22時01分58秒)
やはり自重します。(11年08月03日 23時26分01秒)
君は誰からも求められてなく、自分が来たいから来たんだよ。そして結果やっていることは、評価されて注目されている人の重箱の隅をつき批判すること。いつもと変わらず、まったく同じ。
何故なんだろう?どうして来るの?来てやることは何でそればっかりなの?
答えは君が持ってるから、回答は要らない。まわれ右して、もう帰ってこないでね☆(11年08月05日 01時18分38秒)