初球、わざとスローカーブを投げた。31年前の甲子園のマウンド。今も後悔している。ど真ん中を狙ってストレートを投げ込み、勢いをつけるのが自分のスタイルだった。「完全に浮かれていた」
81年、高崎(群馬)がセンバツに初出場した時のエース、川端俊介さん(48)。エースのスローカーブを武器に関東大会で準優勝した弱小校の快進撃を、スポーツライターの故・山際淳司さんが描き、センバツ直前に発表したエッセー「スローカーブを、もう一球」の主人公だ。有名政治家も輩出した県内屈指の進学校。「文武両道」と脚光を浴び、センバツ出場で取材が殺到した。他校の女子生徒も練習を見に来た。ファンレターは段ボール4箱に達した。
山際さんの取材は高崎駅前の飲食店で受けた。有力選手でもない自分に注目してくれたのがうれしかった。「なぜ野球を続けているのかって聞かれれば惰性ですね、惰性」「東京学芸大で甲子園出場歴を生かすか、青山学院大にいって遊びたい」。格好をつけた言葉がそのまま活字になった。「あの本が出るまで、スローカーブなんて一度も意識したことはなかった。どこかで『見せてやろう』という気持ちがあった」
1回戦の対星稜(石川)戦。三回2死一塁、インコースの直球を投げた。打者を翻弄(ほんろう)しようと、一番練習した決め球だ。しかし、高く上がった打球は風に流されてホームラン。「これを持って行かれるのが甲子園なのか」。自信が音を立てて崩れた。
四回にも4点を失った。もう怖くてインコースもスローカーブも投げられなくなった。被安打13、1対11の大敗。その恥ずかしさから自信を取り戻せず、夏の県大会は2回戦で負けた。川端さんは大学で野球から離れ、小学校の教員になった。当時の作品や新聞を読み返すことも、OBで集まることもなかった。マスコミも避け続けた。
しかし、今回の母校のセンバツ出場に心が躍った。不完全燃焼でグラウンドを去った自分たち。後輩たちのはつらつとしたプレーが「やり直したい」との後悔を晴らしてくれる気がする。
甲子園で一つだけ誇りに思う場面がある。六回の攻撃、1死一、二塁、中堅手の境原(さかいはら)尚樹さん(48)の打球はつまりながら、右前適時打に。1点を返した。二回にスクイズのサインを見逃し、好機を潰した境原さんの執念だった。その境原さんが今回、母校の監督として甲子園に立つ。2月25日、激励しようと当時のナインが卒業以来初めて顔を合わせた。「境原のチームなら悪いはずがない」。期待が膨らむのを止められない。
勤務する小学校。日が落ちた教室で、今回出場する後輩に何を期待するか尋ねた。川端さんは、はにかみながら語った。
「変にいいとこみせようとせず、純粋に挑戦者として臨んでほしい。それだけです。私たちは『それだけ』ができなかった」【石戸諭、角田直哉】=つづく
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21日に開幕する第84回選抜高校野球大会。出場校のOBたちが、野球を通じて学んだ教訓から、後輩に託す思いを語った。
毎日新聞 2012年3月13日 大阪朝刊