午前六時 東京都板橋区 某マンション
「マネージャー……マネージャー……!!」
日も昇りきらぬ早朝、部屋の電気もつけずにゴソゴソと部屋の片隅で携帯電話を弄る人物がいた。
「どうして……なんで……!?」
携帯電話から発せられるコール音に対し苛立ち混じりに呟いている彼女は一糸纏わぬ姿だった。ポッコリと膨らんだ腹に短い手足、大きな瞳にはうっすらと涙が滲み口元には生えかけた乳歯が何本か覗かせており呟くたびに涎が垂れる。地べたに座り込み、ふっくらとした紅葉のような手で携帯を弄る姿は玩具で遊んでいる赤ん坊にしか見えなかった。
彼女を「女」だと判別できるのは下腹部にある性器の有無だけでそれ以外では区別する事ができなかった。つまりその程度の成長しかしていない子供にしか見えなかった。
しかし彼女は歴とした二十五歳の成人した女性であり、豊満とした乳房にスポーツで養った肉体美を武器にしてグラビアアイドルとして活躍しており、さらに女性誌の表紙を飾ったこともあり、同年代の女性からは憧れの眼差しで見られる様な存在で、世間から見てもそこそこ名前の知れわたっている、花園アザミというアイドルだった。
正確に言うと憧れられる存在であったと過去形になるだろう。昨晩までボディチェックをしていつもと変わらぬ自分の体である事を確認し、丹念に保湿性の高いクリームを体に塗って床に着いたのだ。
いくら仕事が忙しくても就寝時間だけは削らなかったアザミはたっぷりと睡眠をとった後、毎朝決まった時間に起きる事を日課としていた。
しかしこの日はいつもよりか、目が覚める時間が早かった。奇妙な違和感が全身にあった。第六感がアザミに対して警報を鳴らしている。最初に気づいたのは下腹部を中心にジットリと気持ち悪く濡れていた事だった。始めは就寝中に何か飲み物でも零したのかと思ったが、意識がはっきりするにつれその感覚は何処か懐かしくもあり何かを出し切ったような開放感があった。手をそっと忍ばせ臭いを嗅いでみると独特の酸っぱい臭いが鼻を刺してくる。
それは間違えようも無くおねしょだった。何十年か振りの失敗してしまった羞恥を覚えたアザミだったが次第に次なる違和感を感じ出す。自分の下半身には何も身に着けていなかったのだ。
「あれ……?」
疑問を浮かべるのと同時に発した言葉にさらなる疑問が浮かぶ。
―……今のは一体誰の声?―
「……えっ……これ、わたしのこえ?」
自分の口から出た声は発声練習で培った通るような美声ではなく、まるで言葉を覚えたばかりのような舌足らずな子供の声だった。アザミの頭に次から次へと疑問が浮かぶ。声の異変に気づいたアザミは次に自分の口の中がいつもと違うことに気づく。矯正までして綺麗に整えた自分の歯がすっかり無くなっていた。背筋に嫌な汗を掻きながら舌先で口内を探るとところどころに小さく生えかけた歯があるのに気づく。アザミは自分に起きた異変を確かめるために急いで起き上がったのだがまるで全身に麻酔が打ってあるかのように体が重く、そして自分がブカブカの寝巻きに身を包んでいる事にも気づいた。まるで自分の身体では無くなってしまったみたいだ、胸元にあった重量感は消え失せ、くびれのあったおなか周りにはぶよぶよとした腹巻でも巻いてあるかのような脂肪の感触があった。体全体が重く感じ、口はまるで舌が麻痺でもしているかの様に喋り辛かった。
そして濡れている巨大な衣服を寝袋から抜け出す様にして脱ぎさったアザミは途轍もなく広くなったベッドの上で自分の身に起きた異変を自らの眼で確認する事となった。それは先に記述していた通りの肉体でその瞬間アザミは軽いパニック状態に陥いる事となった。
自分の身に起きた現実を受け入れる事が出来なくなったアザミは、より自分に起きた異変をしっかりと確かめるためにも姿見のある場所へと向かうために立ち上がろうとした。しかし。
「きゃぁっ!!」
立とうとしただけなのに、まるで立ち上がり方を忘れてしまったみたいに両足で立った瞬間にバランスを崩してその場に倒れこむように尻餅を着いてしまった。幸い倒れこんだ場所がベッドだったため痛みは感じなかったがグッショリと濡れたシーツの冷たさがお尻から伝わりアザミの頭を残酷なまでに現実へと覚まさせていく。
その後何度もゆっくりと立ち上がろうとしたのだが、自転車に乗り始めた子供の如く歩こうと踏み出す度にバランスを崩してコテンと尻餅を着くのだった。アザミ自信気づいていなかったが、今のアザミには脚にまだ立ち上がれるだけの筋力が備わっていなかった。
疲れ始めハァハァと荒い息遣いになってきたアザミは立ち上がるのを止めて寝返りを打つようにしてベッドから転がり落ちた。鈍い痛みが体中に走るがそんな事は気にしていられなかった。這い蹲りながら姿見の前まで辿り着き、そして胸から飛び出すのではないかと思えるほど高鳴る鼓動を抑えながらアザミは変わり果てた自分の姿を目にする事となった。
それから数十分間、この事態をどうすべきなのか、警察を呼ぶべきなのか救急車を呼ぶべきなのか、それとも親に連絡すべきなのか。焦る頭で一生懸命に考えた挙句、アイドルの自分が今すべき事はマネージャーに事の事態を伝えるのが一番先だという結論に辿り着いた。
そして話の冒頭へと戻る。
アザミにも自分の身体がどうなってしまったのかは大体予測が着いていた。
まず間違いなく自分の体が若返ってしまった。それもかなりの年数を……と。
どうしてこうなってしまったか等考えて分かるはずも無いのでその事について頭を絞ることはとっくに止めていた。まずはマネージャーと連絡を取る事、今の身体では1人で病院に行くことも出来ない。それどころか家から出ることさえ出来ないかもしれないのだ。一刻も早くアザミは自分を助け出す人物と連絡を取りたかった。
ガチャッ
ようやくマネージャーの携帯電話と繋がりアザミは安堵の余り涙を零しそうになった。
「あ、花園さんですか……!?」
「マネージャー!!とりあえず、いそいでいえまできてく……」
「大変なんです!!新人アイドルの大橋宇美が……!!」
やっとの思いで繋がった携帯電話の口からは花園アザミを、そして所属する芸能事務所を、さらには後に日本全国を大きく変える事件の開巻劈頭なる一言が発せられる事となった。
午後一時 東京都世田谷区 国立医療センター
川嵜雪乃はただひたすら後悔していた。それは今まで自分は特別な存在だと思っていた事も、醜い女性を密かに鼻先で笑っていた事も、自らに訪れる未来はきっと同姓から憧れの対象となり華やかな人生を桜花するのだという事に疑問すら抱いていなかった事も全てだった。
「はい、川嵜さーん次は服を着てみましょうねー」
静まり返っていた児童用リハビリルームから若い女性の声が響いてくる。薄いピンク色のナースウェアーを着た看護師の女性が笑顔で小さな幼児に指示を出していた。
きっと以前の雪乃なら、この背の低く胸の小さい、童顔の藤娘の様な女性を同情の目で見下していたことだろう。しかし今の彼女はどの女性を見ても決して笑う事など出来なかった。唯一、鏡で見る自分の姿を抜かして。
幼児は紙おむつだけを着用しており、目の前にはウエストがゴムになっているデニムのズボンとウサギの刺繍が施されているアンクレットソックス、キャミソールにジッパータイプのパーカーが床に置かれていた。
しかしこの服はついさっきこの幼児が脱いだばかりのモノだった。
着ていた服を1人で脱いで、それをまた1人で着る。それがこの一見幼児に見えるミス青山に輝いた事もある川嵜雪乃のリハビリだった。
リハビリの当初こそ同姓の目の前で自分の情けない肉体を晒す事にとても抵抗を示していた雪乃だったが事務所と親の説得により死ぬかリハビリかの苦渋の選択の結果リハビリする道を選んだ。
ミス青山に選ばれた後にスカウトされ芸能界に足を踏み入れたがアイドルデビューをする為の道は思っていた以上に険しかった。バストカップを維持したままウエストを細くするために胸に晒を巻いて苦しい思いをしながらジムのルームランナーを走ったり、今まで以上に過酷な食事制限やスキンケアをしたものだ。美容に掛ける時間は倍近くなり、校内のアイドルから日本のアイドルになる為死力を尽くして自らの肉体美を作り上げた。それが今やブラジャーが必要ないほど平らな胸には乳首がチョコンと付いているだけで、自慢だった長い手足は肉付きの良いふっくらとして短く柔らかいモノになっていた。歩く度に、息をする度に今の自分の姿を実感させられる。雪乃にとってリハビリは残酷な罰ゲームでしかなかった。
今の雪乃では立っている状態でズボンや靴下を履く事は出来ない。やったところでバランスを保てず倒れることは自明の理であり、一旦床に座り込む事から着替えは始まる。靴下を履くことはそう難しくなく、問題はズボンだ。長い筒状の穴に足を通すためには腰をくねらせ足先を動かさなくてはいけない。そして片足を通した後もう片足を通すのが困難だった。ズボンに片足半分通しているため動きが制限され、小さいお尻や太ももを左右に振りながらようやく履き終わる。そして最後にズボンのボタンを留めるのだが、小さくて丸い、まるでミニトマトの様な指は不器用で思った様に動いてはくれず金具で出来たボタンを穴に通すという簡単とも言える作業にもかなりの集中力を必要とした。
雪乃がこのリハビリをする時はいつも脱ぐときは上から、着るときは下から履くことにしていた。理由はこの惨めなおむつだけの姿を少しでも見られたくなかったからであった。実際、今の姿で紙おむつを履いているところを他人に見られても、このぐらいの子ならまだ仕方ないと思われて当然だが雪乃はこの履いているだけでまだ1人でトイレにも行くことが出来ないと思われることが絶えがたい屈辱だった。事実、見た目の通り雪乃はまだ1人でトイレに行くことすら出来ない。何せ尿意をコントロールすることが出来ないのだから。
自分自身の容姿にかなりの自信を持っていた雪乃にとって今の姿は耐え難い恥辱を伴いそれでも生きているのは将来の自分の姿を思い描き、いつか返り咲くという野望を抱いていたからだ。
フリルの着いたキャミソールを肩に通してパーカーに袖を通す。服というのは脱ぐ時よりも着る時の方が体に工夫と体力を用いられる。ところどころ左右のバランスが変だったりしているが何とか服を着た雪乃は最後の難関であるジッパーに手を掛ける。不器用な指先でジッパーの留め具を重ね合わせ小さなつまみを親指と人差し指で必死に掴もうとするのだが、その度に上手く掴めずに重ね合わせた留め具が外れたり滑ったりして雪乃を苛立たせた。
横でジッと見ている看護師の女性はリハビリ当初こそ雪乃が失敗する度に応援の言葉を掛たりアドバイスを送っていたのだが、それが雪乃に余計なストレスを与えている事を知り今では何をして次に何をするかという指示しかしない様にしていた。それも負けん気が強く、プライドの高い雪乃を信頼してでの判断だった。
四苦八苦した後、雪乃はようやく全て1人で服を着る事が出来た。靴下の向きがずれていたり、キャミソールが肩から落ちそうになっていたり、見られるのが嫌だった紙おむつもその生地の厚さからズボンの上からでも分かるぐらい強調はされていたが、結果的に1人で脱いで1人で着終わったのだ。一種の達成感を味わった雪乃に看護師が次の指示を与える。
「じゃあ次はトイレの練習ですねー」
1人ではまだトイレに行くことの出来ない雪乃には、毎回このトイレの練習というのが必要だった。数十メートル先のおまるまで歩き服を脱ぐ仕草をしておまるにしゃがみ込み、それが終わると服を着る仕草をして手を洗ってまた数十メートル歩き戻ってくるというものだった。
1人暮らしをしていた雪乃は自分の変化の際にまず警察に助けを求め救出をされた。そして数日間気を失うように眠った。目を覚めた後、雪乃が所属している事務所のマネージャー、社長、警察というメンバーで集まると現在起きている現状を知らされる事となった。
雪乃は自分の身に起きた事件はきっと何かの幻覚か病気の一種だと思っていた。しかし雪乃が若返った日と同じくして全国の女性、しかもある程度メディアに露出をしている二十代の女性が同じ変化を起こしていたのだ。
実にアイドル、歌手、若手女優、声優、雑誌モデル、有名コスプレイヤー、イメージガールなど多種多様な職業の女性だったが、どの女性にも一定のファンが着いているのとインターネットや雑誌、テレビで彼女達の個人情報や素顔が載っているという関連性があった。その対象者は雪乃と同じく年齢にして約一歳から五歳児程度まで若返っているという。
この事はメディアに一切報じられることなく、秘密裏に事件の真相を警察と政府は追っていた。警察側は個人情報の保護の為やらいろいろと説明をしていたが、事務所の社長は政府のお偉いさんが若返りの原因を他国に知られること無く突き止めたいだけだろうと話していた。雪乃もそう思っていたし、事実政府が極秘に海外で調査したところそういった事件は報道どころか存在していなかった。つまりこれは日本だけで起きた現象なのだ。
一斉に全国各地の若くして人気者となっていた女性がいなくなり、マスコミを中心とする報道機関は女性アイドルのストライキやらボイコットと騒ぎ立てていたが、政府から報道の自粛を求められ一部のサブカルチャー団体や女性達のファンクラブ会員などがネットを初めとして集まりテレビ局や事務所に暴動を起こしていたが政府は彼女達とその親族、そして仕事関係者の中でもそれなりの立場にある者にしか事実を話さず、変化した全ての女性を本人の意思と関係なく政府の監視下の元へと匿った。
ネット上では彼女達が若返ったという噂も広まってはいたが、他にも人体実験の為に美しい女性をさらっただとかアイドルを中心に狙ったテロ組織の犯行だとか結局のところ、若返りを含めたどの噂にも信憑性は無く結局はオカルトと思われ事の事実は一般層に知られる事はなかった。
国立研究所の研究員が雪乃の体に起きた変化を調べたところ、肉体年齢にして二歳児程度にまで若返っていることが分かったが原因は他の女性達同様解明されることはなかった。雪乃以外の女性では立ち上がる事も歩く事も出来ない年齢にまで若返ってしまった女性もいたので不幸中の幸いと言っていいのか不自由が多いとはいえ自らの体である程度移動できる年齢に若返った事に雪乃は少しだけ安堵していた。
歩けるとはいえ、今の体で数十メートル歩くというのは以前の体で百メートル以上を歩くようなものだった。入院してからリハビリを続けてはいるので若返った当初よりかは動けるが、それでも走ったり飛び跳ねたりすると度々転んだり足が上手く動かなかったりする事があった。
1歩1歩慎重に、それでも出来るだけ大人のような歩き方を意識して目の先にあるおまるにまで辿り着く。おまるはアニメキャラクターが描かれた可愛らしい造りになっており手を掴む部分にもそのキャラクターをモチーフにした人形がコミカルなポーズで装着されている。
雪乃が若返ってから気づいた事はこの世界にある全てのモノは大人の人間が使う事を前提として作られており、子供用は子供が好むデザインでしか作られていないという事だった。
このおまるも誰一人として若返った女性がトイレのリハビリをする為に使用する等とは考えてもみなかっただろう。履いている紙おむつもいかにも赤ちゃんや幼児が興味を抱くような可愛らしいデザインで描かれていたし、食器も洋服も歯ブラシも靴もリハビリ室も全て幼い子が好む形と柄ばかりでそれを使用する……正確にはそれしか使用出来ない雪乃は自らが本当の二歳児になってしまったかの様な錯覚を覚えその度に辱めを受けた様な気持ちになり心に戸惑いを感じざる得なかった。
ここでの練習は実際に服を脱がなくてもよかった。必要なのはトイレで用を足すという行為であって服の着脱ではなかったしその練習は先ほど既に終えていた。
ズボンを脱ぐという動作をしておまるに跨る。そして取っ手を掴むと看護師の女性が秒数を数え始めた。
「いーち、にー、さーん、しー」
実際の幼児がするトイレトレーニングならば秒数ではなく、チーッやチョーッなどと用を足す排出擬音を口にして出して行為を演出するのだが、今おまるに跨っているのは見掛けは幼児でも中身の年齢は二十代の女性だ。そんな子供じみた事はせずに看護師が十秒を数えた時点で終わりとしている。
「はーち、きゅーう」
「……ぅぁっ……!」
リハビリ中全く声を発していなかった雪乃が小さく擦れる様な悲鳴を上げた。声に気づいた看護師の女性は秒数を数えるのを止めて雪乃の様子を伺うと、小さく震えていた顔が次第に赤く染まっていく。
「……もしかして出ちゃった?」
恐る恐る看護師が尋ねると雪乃は下唇を噛み締めながら赤くなった顔でコクンと頷いた。
トイレで用を足すイメージをして踏ん張ったせいか、自らの意思とは関係なく本当に出てしまい、雪乃はおまるに跨ったままジッと肌越しに感じる濡れた不快感に耐えていた。
看護師は雪乃をヒョイと抱きかかえると、代えの紙おむつや着替えを用意してあるフロアータイプのおむつ交換台まで連れて行き、先ほどまで雪乃が苦労して履いたズボンをスルスルと脱がせおしっこを吸収した紙おむつを顕にさせた。手馴れた手つきでサイドのテープを剥がし紙おむつを雪乃の股から抜き取るとウェットティシュで濡れている下半身を丁寧にふき取りガーゼで肌に残った水滴を吸い取る。新しい紙おむつを取り出しテキパキと交換を済ませるとそのまま雪乃を立たせた。
自身の下半身を丸出しにされた挙句、両足を開脚させれられるという行為はいつまで経っても雪乃が慣れる事は無く、顔は茹蛸の様に真っ赤に染まっていた。
そんな姿に気づいたのか看護師はズボンを拾い上げながら明るい笑顔で口を開いた。
「じゃあここからはまた自分でズボンを履いてトイレ練習の続きをしましょう」
そう言うと脱がせたズボンを雪乃の手に渡す。
「……かわいらしいかおをして、けっこうきびしいことをいうのね……」
先ほどまで喋る事の無かった雪乃が眉間に軽く皺を寄せながら呟いた。
「そうです、これは小さい子のトレーニングではなく成人女性のリハビリですから」
ニッコリと笑みを浮かべハキハキした声で喋る看護師の姿に雪乃は仕方ないわねといった表情で微笑んだ。