汗顔の至り
片付けも終わり俺は若木と今後どうすれば元の体に戻すことができるのか話し合うことにした。静はお腹もいっぱいになったようで、隣の部屋で眠っている。高校生の体になっても眠る時間は短くならないようだ。脳の使い方のせいだろうか?
それにしても……何という無防備な格好で寝ているんだ。スカートは膝上まで捲れ上がり眩しい太ももがあらわになっている。制服もぐしゃぐしゃで、お腹がめくれてへそが丸見えだ。下着もチラッと見えている。
俺は変な気になりそうなのを抑えてタオルケットをかけてやると若木のもとへと戻った。
「そういや、さっきは何をノートに書いていたんだ?」
「あ、ちょっと待って!」
俺は若木のノートを取り上げてペラペラとめくってみた……。
「あの、若木さん……」
「……わかってるわよ!」
「……これは一体なんの絵ですか?」
「文字を書いたつもりなの!それで!」
ノートに書かれていたのは書きなぐったような丸や四角と様々な方向へ飛び跳ねている線だった。それもノート一面に書かれている。まるで現代アートの作品みたいだ。
「さっきも言ったけどこの体が不器用すぎるのよ!それにこんな小さな手じゃペンもしっかり握れないし」
確かに静はボールを持ったり積み木を積むことは出来ても折り紙や形になっている絵を描くことはまだ出来なかった。
「こんなんじゃこれから勉強も出来やしないわ……」
食事のときもいろいろあったので流石の若木も大分落ち込んでいるようだ、それにこのまま元に戻らないのは俺も困る。こんな高飛車な妹はゴメンだ。
「ま、まぁ文字じゃなくて口で説明してくれよ、何か考えてたことはあったんだろ?」
「……まぁいいわ、まず普通に考えて精神が入れ替わるなんてこと普通じゃ起こり得ないわ」
「そりゃそうだ、頭の良くない俺でも理解できる」
「で、現に私の記憶は静ちゃんの体に移ってしまっている。脳を移植したわけでもないのにこういう現象になってしまっているのは、もしかしたら魂とかそういう存在のせいなのじゃないかなって思っているの」
「若木らしくない非科学的な意見だな」
「……私もそう思うわ。それで、もし魂がぶつかった拍子で入れ替わってしまったなら私と静ちゃんの魂は体から抜けやすい不安定な状態ってことよ、だからもしかしたらこのまま二人とも近い位置にいれば魂が引かれあって何かの拍子に元に戻るんじゃないかってことが一つの考え」
「なるほど、でもそれで戻らなかったらどうするんだ?」
「そうね、もし一日たっても戻らなかったら今度は離れてみようと思っているの」
「さっきの逆か」
「そう、つまり私の脳の信号が静ちゃんの体に行ってしまっているんじゃないかってこと」
「信号?」
「脳っていうのは本来、運動・知覚など神経を介する情報伝達の最上位中枢で脳の信号は微量の電気信号で行われいるの。まだ解明されていない部分も多いんだけど、それが必ずしも神経のみを通して伝達しているかはまだ確証していないのよ、そうでなければおかしい、説明がつかないってだけで……まぁ結果的に神経へ送られていても外部からの電気信号でもいろいろと体は動かせるし、特定の電波を飛ばして人を操る実験もされているわ……つまり、神経への影響は外部から微量の刺激を一定の間隔で送っていれば動かせるし意識もまたしかりよ、脳を錯覚させれば意識していない感覚も受けられるわ」
「う、うん、よくわからんけど」
何かだんだん混乱してきた。回転率の遅い俺の脳がオーバーヒートしそうだ。
「スウェーデンの研究者で脳を錯覚させて人に別の体を持っているかのように操作した人がいたわそれは脳に擬似信号を送って錯覚させていたんだけど……つまり外部からの影響で他人の感覚を移したりするってことね……他にも脳波をデジタル化にする研究では他人との脳をシンクロさせて自分以外の肉体感覚を感じさせようとしたりね」
「あ、あぁ……つまりどういうことだ?」
「つまり……静ちゃんと私の脳の電波が互いの体に送られてしまっているから、体を引き離せば脳の電波は元の体に送られて元に戻れるんじゃないかってことよ、二人の脳や一定の生体内電波伝搬みたいなものがシンクロしてたりしてるのかも……今回の私たちは記憶が移っても手が上手く使えなかったりバランスが取りづらかったりしているのも、もしかしたら記憶を司る脳の扁頭体だけが……」
「近くにいても戻らなければ二人の体を離してみるってことでいいか?」
駄目だこれ以上話を聞いていても俺には理解できん。
「まぁそういうことね、学校で頭をぶつけたり同じシチュエーションでも戻らなかったんだからいろいろと試してみるしかないわ」
「じゃあそれまでは静が起きても暴れないように気をつけないとな、元に戻ってお前の体に傷とか出来てたら大変だしな」
「そ、そうね……」
急に立ち上がったかと思うと何故か若木の頬が赤く染まる。
「あっ……」
「どうした?」
若木は辺りをキョロキョロと見回したと思うと小さく震えだした。
「どうした?体がおかしいのか!?」
「……レ」
「え?」
「…………トイレ」
真っ赤になっていたから何だと思ったら便所かよ……ビックリさせんなよな……。
「あぁ、トイレなら玄関の方……ってお前の体じゃドアが開けられないか、着いて行ってやるよ」
「ちがうの!」
「へ?」
「…………しちゃったのよ」
「何を?」
「………………もうっ!馬鹿!!鈍感!!我慢できなかったの!!トイレに行きたかったけど間に合わなかったの!!でちゃったの!!」
そういうと若木はボロボロと泣き始めた……そ、そうか……漏らしちゃったのか……ど、どうすっかな……。
そりゃあ静はまだトイレトレーニングすら始めてないからおむつ履いてて当然だけど、いくら静の体でも中身は高校生だもんなぁ……我慢できなかったのはちょっとなぁ……。
「……で、大と小どっち?」
「……小」
俺は少しホッとした、それならまだダメージは少ない。……まぁそういう問題じゃないのは分かるけど。
「ふぅ……じゃぁそこに寝てくれ」
「……なんでよ?」
若木は泣いた顔でたずねる。なんでって言われてもなぁ……。
「いや、おむつ換えてやるから、ほら早くしろよ」
「…………」
「…………?」
少しの間があった後
「ぜぇっっっったい嫌ぁっっっっ!!!」
泣きながら絶叫する若木、顔を真っ赤にしながら本気で嫌がっている。っていうかパニクっている。
「嫌って、じゃあどうするんだよ?そのまま濡れたおむつ履いてんのかよ?」
「そんなこと一人で出来るわよ!!何であなたに下半身を見せなきゃいけないのよ!?」
一歳になる義理の妹の下半身を見ても何とも思わんわ!!とツッコミを入れようとしたが止めておくことにした。
「わかったよ、じゃあ換えを持ってくるから……」
俺が新しいおむつを持ってくるまで若木はまだ涙を浮かべていた。あんなに高飛車な若木が人前で涙を見せるなんて……ってか高飛車だからプライドが許さないのか?それとも乙女心ってやつか?年齢イコール彼女いない歴の俺にはよう分からん。
自分の体じゃない一歳児の体なんだからトイレに間に合わなくても、下半身見られても多少は平気な気もするけど……。
「ほら、これが新しい換えで、これお尻拭きだからコレで股を綺麗にしたらこのガーゼで拭いてくれ、濡れているとむれてかぶれやすくなるからな、取り替えたらこのビニール袋に入れておいてくれ」
俺がしゃがみながら若木に教えてやる。なんか子供におつかいを頼むような少し不安で心配な気持ちになる。
すると若木は静の寝ている隣の部屋に入ると。
「絶対覗かないでよね!!」
と言ってバタンと勢い良く襖を閉めた。1歳の体でも何かとパワフルだよなぁあいつ。
「はいはい、わかったわかった見ませんよ……」
まぁ粗相を犯した自分の後始末を他人、それも異性にしてもらうのは確かに恥ずかしいかもな。でもまぁいくら静の体でも若木なら着替えぐらい出来るだろう、と思っていたが勢い良く襖を閉めて五分もしないうちに若木からドア越しでお呼びがかかった。
「こ、近藤君、ちょっと来て……」
「なんだよ……覗くなとか来いとか……」
俺がブツブツ言いながらドアを開けるとスグ目の前……いや膝の前に若木がいた。ズボンは脱いでいて下半身はおむつしか着けていない。上着を下に引っ張っておむつを隠そうとしているが半分も隠れていない。というか丸見えだ。
「で、どうしたんだ?着替え終わったのか?」
「……テープを剥がして頂戴……」
「テープって……?」
少し悔しそうに若木が言うもんだから理解するのに少し時間がかかった。なるほど、手先のおぼつかない静の体だ、なかなか紙おむつのテープを剥がすことができず悪戦苦闘していたのだろう。俺は何も言わず指でピッと両サイドにあるテープを剥がしてやる。するとおむつが落ちそうになって慌てて若木がしゃがみ込む。
「あ、ありがと!もういいわ、早く出て行って!」
本当に大丈夫かよ……。またもや心配になりながら俺は部屋を出て行った。
それからさらに十分後。
遅い、遅すぎる。もしかしたらどこか転んで頭をぶつけたのではないだろうか?それとも脳にまた異変が起きて倒れたとか……。と少し心配になってきた俺。
「おーい若木ぃー、大丈夫か?」
襖をノックして声をかけてみる。しばらくして、
「う、うん……大丈夫」
声が聞こえて少し安心した。ゆっくりとドアを開けるとズボンを履き終っていた若木がビニール袋を俺に突き出していた。
「み、見たりしないでよね!」
「あほ!そんな物を見て喜ぶ趣味なんか持ってねぇよ」
恥ずかしさのせいか俺と顔を合わそうとしない若木から俺はビニール袋を受け取ると、おむつ用のゴミ箱へと捨てに行く。
若木はそれからもお漏らしをしてしまったことが大分応えたようで、その後も俺に文句を言うわけでもなく寝ている静の隣でおでこをくっつけたり、意識を集中させて元に戻ろうと試みていた。流石に俺も「しょうがないって、お漏らしなんて静の年ならみんなしているんだから気にしないでどんどんしろよ」なーんて無神経な言葉をかけるわけにもいかず、寝ている静と戻ろうとする若木の邪魔にならないように、別の部屋で課題を進めることにした。
下手の考え休むに似たり
いやぁ馬鹿だ馬鹿だ、脳みその造りが雑だと思っていたが予想以上に俺の馬鹿は悪化の一途をたどっているようだ。
まさか参考書を要しても分からないなんてどんだけ理解力が無いんだ俺。英語が一番苦手だと思っていたが数学も知らない間に未知の領域へと授業は進んでいたようだ。
机の上に広げられたノートと教科書と参考書とプリント、右手にはシャーペン、左手には消しゴム。かれこれ三十分近い時間をかけて終わらせようと努力をしたが、今では文字とのにらめっこだ。何しろ何が分からないのか分からないことすら分かろうとしないのだから進むわけが無い。
「……近藤君何しているの?」
振り返ると椅子の側に若木が立っていた。残念ながら元には戻れなかったみたいだ。それにさっきまで泣いていたせいかうっすらと目が赤い。
「……夏休みの補修課題だ、苦手な教科が多くて参ってんだよ」
「なるほどね、今はなんの科目?」
「数学」
「それじゃ私が教えてあげるわよ、夏休みの課題はもう終わっているし」
完璧人間かよこいつ、七月中に夏休みの課題や宿題を終わらせる奴なんて漫画の中のキャラクターだけだと思っていたぜ。
「んー……じゃ、じゃあちょっと教えてくれ、マジで分かんねぇんだよ」
俺はそう言うと若木の体を抱え上げる。
「きゃあっ!!ちょっと何するの!?」
「何って……課題を見てもらおうとテーブルの上に……その体じゃ椅子に座ったってテーブルの上が見えねぇだろ」
「だったら、課題を私の目線に持ってきなさいよ!たかだか一メートルぐらいの高さでもかなり怖いんだからね!?」
確かに言われてみれば課題を床に広げた方が親切だったか……。まぁこれ以上文句を言われるのも嫌なので抱え上げた若木をテーブルの上にチョコンと座らせる。どうやら若木は本当に怖かったようで、終始俺のシャツを握っていた。静なんて抱え上げるとキャアキャア喜んでくれんのになぁ。
「全く……本当に鈍感なんだから……で、どこが分かんないのよ?」
かくして俺は、俺の膝丈ほどしか無い女の子に勉強を教えてもらうことになった。第三者が見たら1歳の女の子に勉強を見てもらっているんだから俺はどんだけ馬鹿なんだと誤解されそうだ。
-三十分後-
「若木……お前凄ぇな!」
「当たり前でしょ、それよりも近藤君が勉強しなさ過ぎているのよ!よくそのレベルでうちの学校に入れたわね」
手が小さい若木では文字を上手く書けないので口で説明してもらったのだが、的確に分かりにくいところを上手い具合に要領良く教えてくれたので参考書と照らし合わせて進めると、まるで絡まった糸がほどける様に簡単に理解することが出来た。
「まさに見た目は子供でも中身は大人、いやそれ以上だな」
おかげ様で、ある程度数学を片付けることが出来た。ここまで分かっていればあとは俺でも何とかできる。
「ちゃんと授業を受けていればこんな苦労だってすること無わよ?……もしまた分からないことがあったら元に戻った後でしっかり教えてあげるけど……」
説明が終わり床に下ろした若木が少し照れたように言う。褒めた俺も少し気恥ずかしい……とそのとき。
「うああぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
いきなり隣の部屋から大きな泣き声が響くどうやら静が目を覚ましたらしい。しかし女子高生の体ともなると声量も大きい、近所に変な噂を流される前に泣き止ませないと……。
「どうした静ー!?」
「ちょ、ちょっと待ってよ……!」
俺が隣の部屋へ向かおうとすると若木はバランスを取りながら立ち上がろうとしている。しかし今は静を泣き止ませる方が先決だ。
「うええぇぇぇぇぇ……にぃぃちゃぁぁぁ……」
部屋を開けた先に俺を待ち受けていたもの……まぁそれは若木の姿をした静なんだけど…………。はぁ……さて……これはどうしたものか……。
静は俺を見ながら顔中を濡らして泣き喚いていた。ちなみに静が泣いていた原因は至って簡単で当たり前のことだった。
「ふぅ……やっと追いついた……ちょっと勝手に先に行かないでよね……で、どうしたっていう……」
「あ、若木!!ちょっと待ってくれ……まだ入らないで……」
俺が声をかける前に若木は小さな顔を襖から覗き込ませ部屋の中を見てしまう。
「……………………」
「あ、あの…………若木さん?」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
「お、落ち着け若木!!仕方ないだろ!?」
「うわぁぁぁぁぁん!!にぃぃぃぃちゃぁぁぁぁ!!」
「静も泣くなよ!今兄ちゃんが何とかしてやるから!!」
「何とかって何する気よ!?変態!!!!」
「んなこと言ってる場合かよ!?」
若木が取り乱すのも無理は無い。何故なら目の前で自分の体が下半身をビショビショに濡らして泣き喚いていたのだから……。
あぁ……俺は親が旅行中の間、義理の妹と穏やかな夏休みを過ごすはずだったのに……。一体こんな波乱万丈な一日になるなんて誰が予想しただろう……。
とりあえず俺は静を泣き止ませ若木を説得させて、この大惨事の後始末をすることとなった。