インターネットメディアは人種差別との戦いに勝利をもたらす
 
 
 上杉隆の東京脱力メールマガジンは有料の著作物です。ですから著作権は上杉隆氏にあります。しかし、彼は報道記者を休業して、『上杉リークス』といわれるほど、報道界と政界財界の癒着ぶりをわざわざ暴露し始めていますので、ここに転載することは、暴露の暴露ということで許していただけると解釈いたします。
Vol.096
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          上杉隆の東京脱力メールマガジン          
       『自由報道協会 首相官邸の「非国民」政策 』       
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きのう(1月13日)、野田佳彦首相は内閣改造に伴う記者会見を行った。
2010年3月、鳩山由紀夫首相(当時)によって戦後初めてオープンにされた
首相会見だが、中身は少しも改善されず。運用もまったく不十分のままであ
る。
実際、首相官邸で行われたきのうの会見でも、そこに出席できたフリーラン
スの記者はごくわずかという有様で、自由報道協会が求め続けてきた国際基
準に沿った公平な記者会見はまったく開かれる様子はなかった。
フリーランス、ネット、雑誌、海外メディアは相変わらず、アンフェアな扱
いを受けている。その変わりに多くの座席を占拠しているのが、質問もせず
にICレコーダーのスイッチを入れるだけの「録音担当記者」か、パソコンの
キーボードを叩くだけの「速記担当記者」ばかりの大手メディアの政治部記
者たちばかりだ。
そうした極めて高度な肉体作業の求められる知的作業のいらない記者たちが
我が物顔で税金で運用されている官邸に押し寄せ、最前列席を占領している
のが首相会見の実態なのである。
こうした取材活動における圧倒的な機会の不平等は、日本独自の記者クラブ
制度によるものだが、もはやそれについて私が論じる必要はなくなってい
る。なにより、この12年間、私はあまりに多く「記者クラブ」について論じ
てきた。それはもはや精神的な苦痛であると同時に、短い人生の時間の無駄
でもある。
そう、その見事で幼稚な談合システムについて、私が論じる役目は昨年で終
わったのだ。今年からは新たなアプローチでもって、その腐敗した制度を変
えてことに活動を特化していこうと誓ったばかりだ。
その社会改革のための強力な原動力となるのが、社団法人となったばかりの
自由報道協会である。
昨年12月に官報にも記載され、めでたく政府公認となった「社団法人・自由
報道協会」ではあるが、実際は相変わらずの「差別」を受け続けている。
完全な非営利組織で、公益性の高い私たちの団体を、日本政府、とくに内閣
官房は、民間企業の社員たちで構成される任意の親睦組織である内閣記者会
(記者クラブ)よりも劣った扱いにしている。
いや、劣るくらいならばいい。存在自体を否定し「職業アパルトヘイト政
策」を事実上、続けているのである。
たとえば、きのうの首相会見を振り返ってみてもその非合理的なアパルトヘ
イト政策は目に余るものだ。
先ほど、記者クラブ制度について論じるつもりはないとしたばかりの私だ
が、憲法で保障された「権利」への侵害については、納税している日本国民
としてきちんと指摘しておかなければならない。
とくに3・11以降の政府と大手メディアによる情報隠蔽の数々と、公的な
記者会見における不平等な扱いは、もはや個人の問題ではなく、国民全体の
問題に変化している。それは、悲劇を通り越して、もはや喜劇的ですらあ
る。
たとえば、自由報道協会などに所属し、首相会見への出席が認められている
一部の記者ですら、首相官邸に入るまではいくつものハードルが待ち受けて
いるのだが、それがじつに愉快だ。
まず、指定の申込用紙に、住所、氏名、年齢、電話番号、経歴、Eメールア
ドレス、過去三ヶ月の記事の詳細、捺印などをした上で、前日の正午まで
に、ファックスで首相官邸に送らなければならない。
これはフリー記者だけに課せられた試練だ。そもそも記者クラブの記者なら
ば、前科があろうと、執行猶予中だろうが、ファックスなど送らずに、パス
一枚で事前の審査ひとつなく官邸内に入れる。
だが、フリー記者だけは違う。Eメールを書かせる割にはファックス以外で
の申し込みは一切認められない。よって地方で取材している場合など、ファ
ックスの受送信先を捜し求めて、彷徨わなければならないことになることも
たびたびだ。
私は1年半前から、自由報道協会としては1年前から、せめてEメールでの申
し込みを認めてもらうよう、繰り返し申し入れを行ってきた。だが、官邸側
の答えはいつも同じだった。
「検討します」
そこで、数ヶ月前から次のような質問に変えた。
「首相官邸にはパソコンはないのでしょうか」
すると、官邸報道室の答えもこう変わったのである。
「パソコンがあるかどうかも含めて検討します」
パソコンの大量生産国である日本だが、国家の中枢である官邸には存在しな
いかもしれないという現実は、少しばかり国民を不安にさせるかもしれな
い。いや、あるいは一年かかっても調べることができないのかもしれない。
それほど首相官邸というのは複雑なのであろう。
話を戻そう。さて、無事にフリージャーナリストたちがファックスを送って
もそれだけで会見に入れるわけではない。
まず、会見当日は開始20分前までに首相官邸前に到着しなければならない。
そこで、官邸前に立つ警察官から身分証明書の提示を求められる。その人物
照会が終わると、ようやく10メートルほど官邸の敷地内に入ることができる
のだ。
次に待ち受けるハードルは二人目の警官たちによる「尋問」だ。そこでは彼
らが手にした「リスト」と身分証明書の氏名が一致することが確認される。
そして、彼らは無線で官邸内部の職員からの了解を得て、初めて官邸の入り
口まで私たちが進むことを許すのだ。
その間、無意味な歩行開始許可を待っている私たちの横を、大手メディアの
アルバイトスタッフや、税金も払っていない外国人記者たちが、気持ちよく
通り過ぎていく。つまり、熟練されたフリーのジャーナリストたちは「テロ
リスト」の可能性のある人物たちよりも危険視されているのが現状なのだ。
さて、ようやく官邸の正式な入口にたどり着いた私たちを待っているのが、
官邸の職員による改めての身分照会だ。あらかじめ提出したファックスの内
容と再度提示させられた身分証明書を照らし合わせて、ようやく彼らの許可
が下りる。
通し番号の入ったバッジを胸につけ、フリー記者たちは金属探知機の場所に
やっと進むことができる。そこで、すべての荷物を預け、探知ゲートをくぐ
り、小型探知器でくまなく体中が調べ上げられる。
そうやって両手を挙げて、おとなしくチェックされているフリー記者たちの
横を、中国人記者やイランの記者たちがノーチェックで過ぎていく。さす
が、世界の中の日本である。外国人には極めて親切なのだ。
こうした「非国民」扱いを嫌って、フリー記者の中には、二回目の官邸訪問
をやめてしまう者も少なくない。なにしろ、会見の度にこれと同じことを繰
り返さなければならないのだ。
だが、むしろ徹底した「アパルトヘイト政策」はこれからが本番になる。
それは記者会見場に入ってからより顕著な差別政策が待っているのだ。
もはや危険な非営利社団法人と化している自由報道協会。そこに所属する
フリージャーナリストたちへの官僚たちによる「ハラスメント(嫌がらせ)
」はどう激しさを増すのか。次号へつづく。
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Vol.097
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          上杉隆の東京脱力メールマガジン          
         『 首相官邸 アパルトヘイトの実態 』       
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さて、無事に官邸の記者会見場に入ってからも社団法人自由報道協会のフリ
ー記者たちの試練は続く。世界で最も参加の難しいのが、まさか自国の記者
会見だとは誰が想像できよう。
実際、私は、イタリアの大統領会見も、中国の首相会見も、キューバの農業
大臣会見も普通に出席してきたし、当事国のジャーナリストと同じように自
由に質問もしてきた経験を持つ。だが、不思議なことに母国・日本の政府会
見だけはいまだに自由な取材ができないでいる。
さて、前号で記したように官邸に入るまで、フリー記者たちはいくつものハ
ードルを乗り越えなくてはならない。
また、仮に官邸に立ち入ったとしても、その中でさらなる差別が待ち構えて
いる。まさしく「非国民」扱いが続くのである。
首相官邸に入ってからの徹底的な差別は、歩行制限から始まる。まず、フリ
ー記者は会見場以外への移動が厳しく禁じられているのだ。
外務省と違ってさすがにトイレは自由だ(外務省ではフリー記者だけがトイ
レに行く場合に監視がつく)。もちろん、大手の記者たちが占拠している記
者室への立ち入りも禁止だ。私たちの税金で作られ、運営されているという
のに、フリーランスの立ち入りの自由はないのだ。納税の意志が揺らぐ。
もちろん官邸の食堂にも入れない。外国人記者ですら食堂には行けるという
のに悲しい限りだ。そう、フリー記者だけは官邸内で移動制限区域が厳しく
設定されているのである。
さて、そうした差別は会見場に入ってからも続く。まずフリーの記者たち
は、会場後方の狭いスペースに押し込まれるの決まっている。これはルール
だ。法的根拠は一切ないが、官僚と記者クラブが決めた恣意的なルールなの
だ。
そのルールによれば、最前列は記者クラブの記者たちの特等席だ。たとえそ
こらじゅうに空席があっても、フリーランスのジャーナリストたちは後ろの
窮屈な「指定席」に着席しなくてはならない。
仮に、そのルールを破ったらどうなるのだろうか。答えは簡単だ。半世紀前
の米国の黒人女性、ローザ・パークスのような運命が待ち受けているだけで
ある。
そう、日本のジャーナリストたちはいまだ公民権運動の米国以前のような差
別と戦わなくてはならないのだ。
そうやってようやく首相会見は始まるのだが、もちろん、そこで試練が終わ
ることはない。
会見では、司会役の千代幹也内閣広報官が、前列の記者クラブの記者たちか
ら順序よく指名していく。そこでは、フリー記者たちが、どんなに高らかに
挙手をしても最初に指名されることはない。実は、それには隠された理由が
あるのだ。
首相会見では大抵、NHKの生中継が入っている。つまり、最初にフリーを指
名することは、大手メディアにとっては都合の悪い質問が飛び出す危険性が
生じるということになる。よって、役人と記者たちのあうんの呼吸で、会見
が無事に進行するよう、記者クラブの記者たちから最初に指名していくので
ある。
このように自己の利益に絡む際の危機管理に関しては、極めてスピーディに
動く。それが記者クラブシステムの特徴だ。
新聞、通信、放送の記者たちが順番に指名されていく中、手を上げ続けてい
るのは決まって自由報道協会の記者たちばかりである。ICレコーダーの「録
音担当記者」や「速記担当記者」と化している一部の大手メディアの記者た
ちは挙手することもない。なぜなら、挙手し、質問することは「録音」や
「速記」の邪魔になるからだ。だが、そうした手を上げていない記者が指さ
れることもある。千代広報官には、見えざる手が見えるのである。
開始から30分過ぎ、NHKの生中継映像がスタジオに戻されるころ、ようやく
フリー記者の出番が回ってくる。だが、それでも高いハードルは続く。場合
によっては、フリー記者は誰一人指されないことも少なくないのである。
こうやって首相会見が終わる。だが、まだ差別は続く。なにしろ、フリー記
者たちだけが官邸の外に速やかに退出しなくてはならないのだ。次の会見を
待つ大手メディアの記者や外国人記者の横を、屈辱をもって、私たちは会見
場を後にする。
これが、現代日本で続いている政府の会見における「アパルトヘイト政策」
の実態だ。きっと、本メルマガ読者には、日本の記者会見が世界中から愛想
を尽かされている理由がお分かりいただけたと思う。
私は、こんなくだらない差別システムと12年間も戦ってきたのだ。だが、
多くの政治家はこうした欺瞞システムを知らないでいる。そのひとりが野田
佳彦首相、その人なのである。
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 この記事からもわかるように、政府の中枢である
首相官邸において堂々と人種差別が今なお行われているという事実を知れば、日本国憲法など大日本帝国憲法の足下にも及ばないいい加減なものであることがお分かりでしょう。
 そういう無法地帯において身を挺して戦い続けてきたのが、草の根報道記者たちだったのです。彼らはベトナム戦争に従軍してその悲惨な有り様を暴露し、あるいは共産圏の独裁国家に潜入してその実態を報告してきました。いわば彼らは冒険家でもあったのです。
 我が国においては、冒険家は法を破るものとして犯罪者扱いされています。堀江謙一がわずか六メートルのヨットで単独太平洋横断した時も、米国では英雄扱いされたのに、自国である日本では無断出国者として最初は犯罪者扱いされていました。
 しかし、梶山季之のようなルポライターの草分けが、命がけで政財界の腐敗を暴露してから半世紀が経ったいま、インターネットが世界中に普及し、老若男女、洋の東西を問わず、情報が瞬時に駆け巡る時代になって、ようやく、我が国にも報道の自由が訪れようとしています。