風岡典之宮内庁次長
経歴
1969年 建設省入省
2002年 国土交通審議官
2003年7月 国土交通事務次官
2004年7月 辞職
2007年4月 宮内庁次長
「風岡宮内庁次長と公明党・創価学会」
憂慮すべき事態が宮内庁に生じています。それば四月一日に宮内庁次長に就任した風岡典之(前国土交通省事務次官)に関するものです。なんと彼は隠れ池田学会員で旧建設省の学会支部長(ただし秘密)のであった人物です。彼の経歴を調査さればすぐにわかりますが、彼は昭和44年に建設省に入省、彼以外の同期はすべて東大。京大卒業である彼は、当時国立二期校の東京教育大学それも文学部卒業という、学歴的には霞ヶ関の常識上もっとも見劣りする人物であるにもかかわらず、なぜか係長時代から主要ポストを歴任しました。
能力的には彼よりも優秀な同期が何人もいたにもかかわらず、常に同期のトップグループの道を歩み、局長から将来の事務次官ポストが約束される官房長に、東大法卒業の同期の局長(これは自公連立政権の発足を背景に彼より優秀であると衆目が一致していた)を抑え就任したのです。そして最後には、事務次官にまで上り詰めました。
彼の背後には常に創価学会、公明党があり彼等はうまく工作し功を奏し、この度遂に宮中に入りこんだのです。このようなカルト集団、創価学会が我が国の歴史伝統を最も保持すべき宮中に侵食してしまう前に、広く国民にこの憂慮すべき事態を知らせたくメールいたします。なにとぞ追放へのお力をお貸しください。 2007年
私はある中央官庁の課長の職にある者ですが、最近国土交通省勤務の友人から由々しきことを聞きました。 本来ならば陛下に直接申し上げたいくらいですが、是非とも論談関係者に知っておいていただきたいと思う次第です。
それは、羽毛田長官ともども 「 のーぱんしゃぶしゃぶ官僚 」 として有名な風岡典之宮内庁次長と坂根東宮侍従に関することです。
これは友人の目撃談ですが、風岡次長が国土交通省の事務次官であったとき、友人がたまたま当時の北側大臣 ( 現公明党幹事長 ) に説明することがあり大臣室に行ったところ、何と風岡次官と北側大臣が風岡次官の宮内庁次長就任が内定したと言って、「 歓声を上げ抱き合っており 」、驚いたそうです。 異様な光景ではないでしょうか。
風岡次長については、かつて週刊現代が隠れ創価学会員と報じたことがありますが、この目撃談は、風岡次長の疑惑に関する重要な傍証ではないでしょうか。
また、坂根東宮侍従は、建設省61年入省で、今まで若い年次で旧建設省から東宮侍従に出向した者は皆無であったのに、前例を破って東宮侍従に就任した人物ですが、風岡次長と以前から非常に親しいそうですから、やはり隠れ創価学会員であるか少なくとも風岡の意を受けた東宮工作員である可能性が大です。
また、風岡 ( 旧建設省出身 ) の宮内庁次長就任は、旧自治省、旧厚生省又は旧警察庁出身者に限るという慣例を破るものでしたが、この人事は、当時の北側大臣との喜びようから見て、創価学会の対皇室戦略 ( 侵略作戦 ) ではないでしょうか。
なお、風岡については、明治以降に半島から佐渡ヶ島にやってきた朝鮮人の血筋で、そのために統一教会とも関係があるという噂も聞きます。 また、羽毛田長官は同和出身と言われております。
陛下、皇太子殿下に近侍する要職にこのような胡散臭い連中がいるのは由々しきことです。 それもNo.1、No.2なのですから。
そのような品性劣悪な 「 のーぱんしゃぶしゃぶ 」 長官が恐れ多くも皇太子殿下を叱り飛ばし、風岡と2人で女系天皇を実現しようと企んでいるのです。 皇室はまさに危機に瀕しています。 保守本流の人たちが立ち上がるべきです。
なお、身の安全上匿名にすることをお許し願いたいと思います。 内容に嘘偽りはございません。 一度、警察の公安関係者が出自をはじめとして徹底した身辺調査をすることを望みます。
平成20年投稿
by izabacolodo
小和田氏一家は、創価学会員?…