県北部地震から1年が過ぎた栄村は今も、うずたかい雪に覆われている。農地や道路の復旧作業が本格化するのは春からになる。
村は今年を「復興元年」とする。安心して暮らせる村づくりに向け、復興計画の議論が始まった。
課題は、過疎化が進む集落にどう人を呼び込み、定着してもらうかだ。震災前からの悩みは、家屋の損壊によって多くの世帯が村外に出たことで深まった。
難局を乗り越えようと、村外からの応援を受けながら、村の人たちが知恵を絞ろうとしている。村の取り組みは、同じ問題を抱える信州の過疎地にとって希望となる可能性を秘めている。
<担い手がいなくなる>
震度6強の地震が栄村を襲ったのは、1年前の12日午前3時59分だった。その後、二度にわたり震度6弱の揺れが続いた。
33棟の家屋が全壊し、169棟が半壊、一部損壊も486棟に上った。いまも49世帯が仮設住宅で暮らしている。
あちこちの道路に深い亀裂が入り、橋や観光施設、消防施設なども損傷を受けた。農業にも深刻な被害が出ている。「平成18年豪雪」の再来とされる今冬の大雪が追い打ちとなった。
村が復旧作業を終えたのは、まだ全体の2割ほど。2012年度当初予算には、本年度の倍の48億円余を盛り、作業を加速させる方針だ。家を失った人を対象にした災害公営住宅も造り、「年内には仮設住宅を閉じたい」(村総務課)としている。
気がかりなのは、家屋や農地が被害を受けた集落の先行きだ。
家を建て直そうにも、被災者生活再建支援金や、見舞金、義援金だけでは資金が足りない。年齢のことも考え、子どものいる所へ引っ越す人もいる。
被害が大きかった横倉区では震災直後、45世帯のほとんどが親類宅などに移っていった。その後、戻って来た世帯はあるものの、共同で担っている米作りや水路の補修、祭りなどはこの先どうなるのか。仮設住宅で暮らす区長の小口重喜さんは「世帯の数が減ると、コミュニティーが維持できない」と心配している。
青倉や小滝、月岡といった区も同じ問題に直面する。
村が行った村民の意向調査では、産業を興し、若者が定着できる環境をつくるよう求める意見が目立っている。
<芽生えた新たな結い>
震災後まもなく、村に「復興支援機構『結い』」が発足した。村内外のNPOなどでつくる民間の組織で、県内外から訪れるボランティアを、手伝いが必要な家庭や地域に派遣している。
ボランティアの仕事は多岐にわたる。がれきやごみの片付け、田植えや祭りの手伝い、水路の補修、森林整備…。冬場は除雪作業が中心になっている。
3月までに登録されたボランティアは延べ3800人余。小学生から70代までの男女が集った。代表の相沢博文さんは「組織を『栄村ファンクラブ』につなげたい」との思いをもっている。
年に1日でも2日でも村を訪ねてもらい、農作業や祭りを手伝う仕組みをつくりたいという。「非常時だからこそ、できることがある。外の人たちが来ることで、村の魅力を再発見できればいい」と相沢さんは言う。
村は、5年間の復興計画を10月までに決める予定だ。震災を機に芽生えた村の外の人たちとの「結い」を生かさない手はないだろう。地域づくりや産業の新しいアイデアが生まれ、定住する人が出てくるかもしれない。
栄村の取り組みは、震災からの復興を超える意味をもつ。過疎対策の一つのモデルとなるよう、国や県はしっかり支えてほしい。
<見守りながら応援を>
東日本大震災の後、県内と周辺で起きた地震は無感の揺れを含め、1月末までに2万2千回を数えた。月平均は昨年2月以前の4倍強。断層が動きやすくなっており、こうした状態がしばらく続くとみる専門家もいる。
昨年6月に震度5強の地震が松本市を襲ったように、震災を身近なものとして備えを再点検しておく必要がある。
栄村は対応マニュアルを各戸に配り、訓練を続けてきた。事前の備えは生かされたのか、見落としていた対策はなかったのか。村の経験に学び、それぞれの地域の防災に生かさなければならない。
村の人たちからは「物心両面で多くの人たちに支えてもらった。いつまでも支援を頼りにしてはいけない」との声が聞かれた。一方、「東北地方の陰に隠れてしまわないか」「忘れられるのは切ない」ともらす人もいる。
村は雪解けとともに大切な時期を迎える。ファンクラブが実現すれば、参加するのもいい。観光で訪れるだけでも一助になるに違いない。同じ信州に暮らす者同士、関心をもって見守ることで、村を今後も応援していきたい。