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事件
【故郷 大震災から1年】酪農家 できる限りのことをやろうとする気持ちが、「希望」ってことだ。
27歳だった昭和49年、地元で牛を育てたいと脱サラし、相馬の山を切り開いて牧場を始めた。平成2年、ジャージー牛だけを育てることに挑戦した。「希少価値で勝負しよう。放牧して相馬の自然で育てよう」。アイスクリームよりジャージー牛乳の風味を生かせるジェラートも生産し、夏には相馬の海水浴客が販売店の前に列をなした。
4年前、心筋梗塞で倒れたとき、県外で働く息子2人が「牧場を継ぐ」と戻ってきた。
「酪農家は大変なので手放しで喜べなかった。でも牧場を次の世代に残せると、どこかほっとした」と振り返る。
だが、原発事故で全てが変わった。
牛の放牧ができないばかりか、風評被害で売り上げは前年の半分以下に落ち込んだ。乳量が少ないジャージー牛だけでは経営が成り立たなくなった。
福島県によると、原発事故により避難区域となった浜通り11市町村の酪農家は73軒。このうち56軒が避難のため休業しており、再開したのは17軒にすぎない。
相馬市は避難区域ではなく、全13軒のうち12軒が再開している。残りの1軒は昨年6月、「原発さえなければ」との書き置きを残し自ら命を絶った酪農家だった。片平さんは同じ地区で牧場を営む仲間だった。
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