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ピアニスト「クシシュトフ・ヤブウォンスキ」古典派独占インタビュー

古典派独占インタビュー

Q.ヤブウォンスキさんが、音楽(ピアノ)に目覚めたきっかけはなんでしょうか。また、プロの音楽家になろうと決心されたのはいつ頃ですか。
クシシュトフ・ヤブウォンスキさんインタビュー

【ヤブウォンスキ】 歌がとても好きな父親を真似て私は子供の頃、良く歌を歌っていました。それを見て両親は、この子に音楽の才能があるのではと思ったみたいです。まずアコーディオンのレッスンにだしてくれました。5歳の時です。自分の街にある大きなラジオ局のホールで演奏する機会もあり小曲でしたが2曲演奏もしました。当時の私にとってこの舞台はカーネギーホールのように大きく映りました。もちろん当時はカーネギーホールなど知りませんでしたが、ともかく私にとって非常に印象深い出来事だったのです。私はアコーディオンをそれは楽しんで学んでいたのですが、まもなくアコーディオンの先生は、「アコーディオンではなくて、もっと真面目な(!?)楽器をした方がいいよ」と私にピアノを勧めてくれました。それがピアノを始めるきっかけでした。

ピアノの先生に就いて最初の4年間は指が柔らかく弱かったので技術習得に大変苦労しました。当時は誰も私がピアニストになることを夢にも思っていませんでしたが、先生だけは私の才能に確信もって下さっていて、いかに指を強くするかを考えトレーニングしてくださいました。5~6年経つとだんだん上達してきて、12歳になる頃にはピアノコンクールで一等賞をもらうまでになりました。

このコンクールでは、賞としてレコードプレーヤーをもらったのですが、当時のポーランドでは、レコードプレーヤーはたいへん高価なもので誰も持っていませんでしたので、とってもうれしかったのです。このままピアノを続けていれば、もっといいものを貰えるのではないかと(笑)なお一層ピアノに打ち込みました。

序々に、音楽をやることで満足感が得られることが分かって来て、将来、何があっても音楽に関係する仕事をやろうと心に決め、真剣に取り組むようになりました。15歳ぐらいの頃には「自分は弾ける」と自信も持つようになり、先生の勧めもあってミラノの国際コンクールに出場しました。このとき5位入賞しましたが、この頃の私の成長は、暖かく励まし、育ててくれた先生のおかげであると思っています。

Q.ヤブウォンスキさんにとって1985年のショパンコンクールは大きなイベントだったと思いますが、このコンクールで得たもので一番大きなものはなんでしょうか。

クシシュトフ・ヤブウォンスキさんショパンコンクール

【ヤブウォンスキ】 当時ポーランドはまだまだ隔離された雰囲気がありました、私がショパンコンクールに入賞する前は外国に出かけていろんな演奏家と接したり、見聞きするといったことが甚だ困難で不自由な状態でした。
ショパンコンクールにはポーランドから13人の出場者がいたのですが、皆、音楽家としてポーランドから出て見聞を拡げるための最後のチャンスだという意気込みで臨んでいました。つまり人生を変えるための「戦い」であり、必死だったのです。恐らくアメリカやドイツなど別の国からの参加者はそこで「競う」と言う目的で来ていても「人生を変える為」までは考えていなかったと思います。

ショパンコンクールが私にくれたものを一言で言うと「自由」だと思います。それまではパスポートなるものを持ったこともなかったのですが、ショパンコンクール入賞後、政府がパスポートを発給してくれました。それにより外国に行く機会も与えられ、生活がガラリと変わりました。
Q.ヤブウォンスキさんは、ご自身の演奏活動だけに留まらず、コンクールの審査をされたり、ショパン音楽院で教授をされたりと、後進の育成に大変力を入れられているようですが、やりがいの大きいものなのでしょうか?
【ヤブウォンスキ】今まで先生方が私に施してくれた事を今度は私が後進に施していきたいのです。人生の中で自分が得たものをシェアしたいと言う思いが強くあります。特に最初に就いた先生は私に本当に良くしてくださいました。一日6時間も一緒に練習してくれた先生です。私が貧しかったのを知っているので時間超過分のレッスン料を請求することもなくそれはもう献身的に教えてくれました。彼女は自分の人生の大切な時間の多くを、私に費やしてくれたのです。
Q.プログラムはどのようなお考えで選曲されていますか?

ショパンコンクール風景

【ヤブウォンスキ】 多くの場合、主催者などの要望によって曲を決めています。全部自分が曲を決めることが出来る機会というのはそんなにあるものではないのです。オーケストラと一緒に競演する場合などは、前後のプログラムのバランスを見ながら指揮者のほうから要望が来たりします。「クシシュトフ、次のコンサートでラフマニノフのコンチェルト3番弾けるかい?」と言った具合です。しかし時々自分で選べる場合があります。コンサートの指揮者が親しい知人であったりした場合です。私が要望したコンチェルトに併せて前後のプログラムを組んでくれるわけです。
私がもし選ぶとしたら、そのときに自分が必要としている曲を選ぶでしょうね。それは自分が勉強するべきだと思っている曲であったり、今までの自分のスタイルと違ったものを引き出せそうな曲であったりです。個人的には20世紀初頭の作品に興味があるので、その中から選ぶかもしれません。難解な響きを持つ現代音楽などは、弾かないわけではないのですが、私の性格や内面にもっともマッチするのは和音や旋律に富んだロマンティックな要素を持つ曲のように感じられるからです。

また私は、自分に喜びを与えてくれるような曲を選ぶべきだと思っています。そうしないと自分に嘘をついて演奏しているように感じてしまうからです。もちろんコンクールなどでは、「この曲を弾かなければならない」と言う曲をたくさん弾いてきましたが、学校の試験みたいなもので、一生懸命勉強して覚えて、そして試験が終わったら忘れてしまうみたいな(笑)ところがあります。
プロの演奏家の中には、断りきれなくて、やりたくない曲をたくさん引き受けて弾いている人も多いですが、私は、「やりたくありません。」と言えるときは言うようにしています。自分も年をとってきたので、「やりたくない」曲を無理してやることはないかなと思っています。
Q.レコーディングの場合もそうですか?
【ヤブウォンスキ】 そうですね、たいていの場合はレコード会社からの要望で曲が決まりますが部分的には私の意向も入ります。
Q.ポーランド生まれのヤブウォンスキさんにとってショパンは大変重要な作曲家の一人だと存じますが、演奏する際の拘りはなにかありますか?
【ヤブウォンスキ】 「ポーランド出身のピアニストであればショパンをどのように弾くか良く理解しているのだろうね」と多くの人々によく言われるのですが、ショパンコンクールの歴史を紐解けばわかると思いますが、外国人が賞をとっている場合が多いです。ポーランド人は外国人以上にもっとショパンを勉強する必要があると時々思うことがあります。小さい頃からポーランドの音楽を聴いて育っているために耳に頼って演奏してしまう傾向が見受けられるのです。きちんと楽譜を分析して、細かなところまで検討しないと実は重要なことを見落としてしまう恐れがあるのです。ショパンの演奏はそれだけ難しいのです。却って外国人のピアニストの方が、「ショパンのことを良く判っている」とは思わないので、楽譜を丹念に分析したり、研究したり、じっくりと勉強するのではないでしょうか。

もちろんショパンの音楽はポーランド人である私たちの文化を映しているところがありますので自分たちに近い感覚を呼び覚ましてくれるのは確かです。その感覚は大切にして演奏していきたいと思っています。
Q.日本人はショパンが好きですし、ショパンを演奏する人もたくさんいます。日本人の演奏するショパンはポーランド人のヤブウォンスキさんからみて違和感はあるものなのでしょうか?
【ヤブウォンスキ】 私には日本人の生徒もいますが、大丈夫ですよ。演奏に変な感覚は感じません。それはそうと、なぜかわかりませんけれど、本当に日本でショパンが愛されていますね。ポーランド本国よりも愛されているのではないでしょうか(笑)。
Q.もしピアニストになっていなかったら何をされていたと思いますか?
【ヤブウォンスキ】いろいろ想像できますね、パイロットにも憧れていました。トラックやバスの運転手でしょうか。実はトラックは免許をもっているので運転が出来るのです。私の最初のピアノの先生は、バスがとても好きでした。そのため私は、「大人になったら先生を学校から家までバスで送り迎えしてあげる」と約束していたのです。哀しいことにその先生は癌で亡くなってしまいました。今となっては「送り迎えしてあげる」と言う夢をかなえることが出来ません。それからは、「思ったときに夢は実現していかないといけない」と思うようになりました。あとパソコンも大好きなので、そういった仕事に就いているかもしれません。またピアノの調律なども自分で出来るので調律師なっていたかもしれません。どちらかと言うと私は職人に向いているように思いますね。
Q.オフのときはどのように過ごされているのですか?
【ヤブウォンスキ】スキーです。もう4年ぐらいになります。カナダのカルガリーで教わっています。46歳になる優れたピアノの生徒がいるのですが、実はこの生徒がスキーの先生をやっていてスキーを勧めてくれたのです。私がピアノを教えて、彼が私にスキーを教えているのです。手を怪我してはまずいので上手な転び方から学びました。今ではかなり上達しましたよ。
Q.最後に今後の活動についてお伺いしたいのですが、2010年はショパンの記念年になりますがヤブウォンスキさんは何か計画されていることはありますか?
【ヤブウォンスキ】その年は食べることも寝ることも休む暇もないくらいに忙しい年になりそうです。既にたくさんのコンサートの予定が入っています。2010年の記念年を逃すと次はその先の100年後となってしまうので、私にとって最後のチャンスだと思っています。世界各地でショパンのコンサートが予定されていますが特にポーランド国内でたくさんのコンサートが予定されています。これはポーランド政府が資金を出して行うもので、国を挙げてショパンの生誕年を盛り上げようとしています。今の経済状況を乗り切れれば、2010年のショパン祭もきっとうまくいくのではないかと思っています。

~ご多忙の中、本日はどうもありがとう御座いました~

◆インタビュー後記 ・・・サインをいただきました!

ヤヴウォンスキさんサインをする

ご自身の修練に加えて先生との深い信頼関係で一つ一つ壁を乗り越え、大きな成果に繋げてこられたことが印象的でした。ヤブウォンスキさんが、世界的な名声を確立するきっかけともなったショパンコンクールに入賞するまでの道のりは、その実、相当険しいものであったと察するものですが、緊張する私たちをリラックスさせるため冗談交えて明るく楽しくお話くださいました。大らかでありながら、細かく行き届いたその配慮に驚きそして感激した次第です。そういうことが平素の生活の中ですぐ実践できるということが、すなわちヤブウォンスキさんの演奏に映し出されているものと思いました。
ヤブウォンスキさんのサインをいただきました180㎝を越える恵まれた体格から繰り出される迫力のピアニズム、ヤブウォンスキさんの弾く途方もない振幅の広さと彫琢の深いショパンは、これからも世界中の音楽愛好家を魅了することと存じます。

【古典派.com: インタビュアー大澤】

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クシシュトフ・ヤブウォンスキプロフィール

ポーランドが生んだヴィルトゥオーゾ 「クシシュトフ・ヤブウォンスキ」Krzysztof Jablonski

第11回ショパン国際ピアノコンクール第3位  第15回ショパン国際ピアノコンクール審査員


クシシュトフ・ヤブウォンスキ

1965年ポーランドのヴロツワフ生まれ。6歳の時から12年間に渡りヤニーナ・ブートル女史の下で研鑚を積み,12歳でオーケストラと共演。ポーランド国内の様々なピアノコンクールにおいて第1位入賞を果たし15歳の時には最年少参加者として、ミラノで開催された国際コンクール”Premio Dino Ciani”で第5位入賞を見事は果たす。このとき審査委員長を務めていたニキタ・マガロフに特別に招かれてスイスのマスタークラスにも参加。


1983年からはポーランドのカトヴィツエ音楽院にて、世界の著名な名ピアニスト:クリスティアン・ツィマーマンの師でもあるアンジェイ・ヤシンスキ教授の下でピアノを学び、85年にワルシャワで開催された第11回ショパン国際ピアノコンクールにて3位に入賞、それと同時に数々の副賞も受賞する。87年に優秀な成績で同音楽院を卒業。彼の際立った才能は数々の国際コンクールの輝かしい入賞から、ポーランド国内のみならず世界中で知られている。20代は、ヨーロッパを始め,北アメリカ,メキシコ,イスラエル,日本でコンサートツアーを展開し演奏した会場もベルリン・フィルハーモニー、ライプチヒ・ゲヴァントハウス、パリ・サルガヴォー,ワルシャワ・フィルハーモニー、モスクワ・ボリショイ劇場、コペンハーゲン・チボリコンサートホール、テルアヴィヴ・F.マンアウディトリウム、ニューヨークのアリスチュリーホールなど多数。また近年は室内楽においても精力的にこなし,活動の幅をさらに拡げている。1999年にはトルコにおける「ショパン年」に貢献した功績とクラシック音楽普及に尽力した功績によりトルコ文化省より表彰された。クシシュトフ・ヤブウォンスキは後進の指導にも力を入れており毎年ワルシャワショパン音楽院主催のサマーセミナーにもピアニスト・講師として出演。


2004年からはコンサート活動の中にもワルシャワショパン音楽院にて、ピアノ科教授として、後進の指導にあたっている。 2005年には第15回ショパン国際ピアノコンクール(ポーランド)の審査員を務め、また2005年~ショパン国際ピアノコンクールin ASIAにおいても審査員を務めている。現在カナダのカルガリーに在住。


彼の演奏は、ポーランドの伝統をふまえた上に、繊細かつ雄大な独自の音楽世界を展開するものである。演奏活動は活発で、世界各国でコンサートピアニストとして高い評価を受けている。またヤシンスキ教授の薫陶を受けたその指導は、音楽に対する敬虔で真摯な厳しさの中にも、人間的な暖かさ・誠実さが常に感じられ、教育者としての活動の場を拡げている。


《世界の新聞の批評》

ヤブウォンスキは優雅に不動の解釈を持って演奏していた。彼の厳格さは美であり、クリアで論理的な解釈を構成する能力とうっとりするような透明感を残した  <ニューヨークタイムズ紙>

全ての音が全ての場所においてその居場所を見つけ、それぞれが真珠のように輝いている <エルサレム・ポスト>


☆★☆ コンサート情報はこちら ☆★☆

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リリース作品

【ショパン4つのスケルツォ/ピアノ・ソナタ3番】
IMCM-1009(発売中)
ショパン 4つのスケルツォ

◆ショパンの作品の中でも、極めて劇的な内容をもつスケルツォとピアノソナタ第3番を収録。技巧の冴えに裏付けられたヤブウォンスキの表現の振幅の広さは無類。

【ショパン グレイテスト・ヒッツ】
IMCM-1006(発売中)
ショパン グレイテスト・ヒッツ

◆「幻想即興曲」「雨だれ」「革命」などショパンの広く親しまれている名曲ばかり15曲も収録。 ほんの小品であっても一切の妥協がない熱気と鮮やかさ際立つヤブウォンスキの名演奏。

【ショパン:ピアノ全集】
IMCM-8101(発売中)
ショパン ピアノ全集

◆ショパンのピアノ作品全209曲を一挙収録!日本語ブックレット(84P)を同封した完全保存版演奏陣にヤブウォンスキも参加。

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