【ヤブウォンスキ】 歌がとても好きな父親を真似て私は子供の頃、良く歌を歌っていました。それを見て両親は、この子に音楽の才能があるのではと思ったみたいです。まずアコーディオンのレッスンにだしてくれました。5歳の時です。自分の街にある大きなラジオ局のホールで演奏する機会もあり小曲でしたが2曲演奏もしました。当時の私にとってこの舞台はカーネギーホールのように大きく映りました。もちろん当時はカーネギーホールなど知りませんでしたが、ともかく私にとって非常に印象深い出来事だったのです。私はアコーディオンをそれは楽しんで学んでいたのですが、まもなくアコーディオンの先生は、「アコーディオンではなくて、もっと真面目な(!?)楽器をした方がいいよ」と私にピアノを勧めてくれました。それがピアノを始めるきっかけでした。
ピアノの先生に就いて最初の4年間は指が柔らかく弱かったので技術習得に大変苦労しました。当時は誰も私がピアニストになることを夢にも思っていませんでしたが、先生だけは私の才能に確信もって下さっていて、いかに指を強くするかを考えトレーニングしてくださいました。5~6年経つとだんだん上達してきて、12歳になる頃にはピアノコンクールで一等賞をもらうまでになりました。
このコンクールでは、賞としてレコードプレーヤーをもらったのですが、当時のポーランドでは、レコードプレーヤーはたいへん高価なもので誰も持っていませんでしたので、とってもうれしかったのです。このままピアノを続けていれば、もっといいものを貰えるのではないかと(笑)なお一層ピアノに打ち込みました。
序々に、音楽をやることで満足感が得られることが分かって来て、将来、何があっても音楽に関係する仕事をやろうと心に決め、真剣に取り組むようになりました。15歳ぐらいの頃には「自分は弾ける」と自信も持つようになり、先生の勧めもあってミラノの国際コンクールに出場しました。このとき5位入賞しましたが、この頃の私の成長は、暖かく励まし、育ててくれた先生のおかげであると思っています。
~ご多忙の中、本日はどうもありがとう御座いました~
ご自身の修練に加えて先生との深い信頼関係で一つ一つ壁を乗り越え、大きな成果に繋げてこられたことが印象的でした。ヤブウォンスキさんが、世界的な名声を確立するきっかけともなったショパンコンクールに入賞するまでの道のりは、その実、相当険しいものであったと察するものですが、緊張する私たちをリラックスさせるため冗談交えて明るく楽しくお話くださいました。大らかでありながら、細かく行き届いたその配慮に驚きそして感激した次第です。そういうことが平素の生活の中ですぐ実践できるということが、すなわちヤブウォンスキさんの演奏に映し出されているものと思いました。
180㎝を越える恵まれた体格から繰り出される迫力のピアニズム、ヤブウォンスキさんの弾く途方もない振幅の広さと彫琢の深いショパンは、これからも世界中の音楽愛好家を魅了することと存じます。
【古典派.com: インタビュアー大澤】
第11回ショパン国際ピアノコンクール第3位 第15回ショパン国際ピアノコンクール審査員
1965年ポーランドのヴロツワフ生まれ。6歳の時から12年間に渡りヤニーナ・ブートル女史の下で研鑚を積み,12歳でオーケストラと共演。ポーランド国内の様々なピアノコンクールにおいて第1位入賞を果たし15歳の時には最年少参加者として、ミラノで開催された国際コンクール”Premio Dino Ciani”で第5位入賞を見事は果たす。このとき審査委員長を務めていたニキタ・マガロフに特別に招かれてスイスのマスタークラスにも参加。
1983年からはポーランドのカトヴィツエ音楽院にて、世界の著名な名ピアニスト:クリスティアン・ツィマーマンの師でもあるアンジェイ・ヤシンスキ教授の下でピアノを学び、85年にワルシャワで開催された第11回ショパン国際ピアノコンクールにて3位に入賞、それと同時に数々の副賞も受賞する。87年に優秀な成績で同音楽院を卒業。彼の際立った才能は数々の国際コンクールの輝かしい入賞から、ポーランド国内のみならず世界中で知られている。20代は、ヨーロッパを始め,北アメリカ,メキシコ,イスラエル,日本でコンサートツアーを展開し演奏した会場もベルリン・フィルハーモニー、ライプチヒ・ゲヴァントハウス、パリ・サルガヴォー,ワルシャワ・フィルハーモニー、モスクワ・ボリショイ劇場、コペンハーゲン・チボリコンサートホール、テルアヴィヴ・F.マンアウディトリウム、ニューヨークのアリスチュリーホールなど多数。また近年は室内楽においても精力的にこなし,活動の幅をさらに拡げている。1999年にはトルコにおける「ショパン年」に貢献した功績とクラシック音楽普及に尽力した功績によりトルコ文化省より表彰された。クシシュトフ・ヤブウォンスキは後進の指導にも力を入れており毎年ワルシャワショパン音楽院主催のサマーセミナーにもピアニスト・講師として出演。
2004年からはコンサート活動の中にもワルシャワショパン音楽院にて、ピアノ科教授として、後進の指導にあたっている。 2005年には第15回ショパン国際ピアノコンクール(ポーランド)の審査員を務め、また2005年~ショパン国際ピアノコンクールin ASIAにおいても審査員を務めている。現在カナダのカルガリーに在住。
彼の演奏は、ポーランドの伝統をふまえた上に、繊細かつ雄大な独自の音楽世界を展開するものである。演奏活動は活発で、世界各国でコンサートピアニストとして高い評価を受けている。またヤシンスキ教授の薫陶を受けたその指導は、音楽に対する敬虔で真摯な厳しさの中にも、人間的な暖かさ・誠実さが常に感じられ、教育者としての活動の場を拡げている。
ヤブウォンスキは優雅に不動の解釈を持って演奏していた。彼の厳格さは美であり、クリアで論理的な解釈を構成する能力とうっとりするような透明感を残した <ニューヨークタイムズ紙>
全ての音が全ての場所においてその居場所を見つけ、それぞれが真珠のように輝いている <エルサレム・ポスト>