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面影 思い出 胸に 祈り 午後2時46分、黙とう

宮城県南三陸町の防災対策庁舎には多くの遺族や関係者が集まり、手を合わせた=11日午後2時46分

 多くの命が失われた東日本大震災から1年の11日、あの巨大地震が発生した午後2時46分、東北各地で一斉に黙とうがささげられた。「安らかに眠ってほしい」「これからどう生きていけばいいのか」。家族や友人を奪われた遺族らは天に祈り、「決して忘れない」と誓った。

<宮城県南三陸町>
 町職員ら40人以上が死亡・行方不明となった町防災対策庁舎では、300人以上が赤い鉄骨をさらけ出したままの庁舎に黙とうをささげた。
 「お父さんが命を落とした場所で、この時間を過ごしたい」。町職員の夫良人さん=当時(53)=を亡くした阿部淑子さん(52)は「本当にご苦労さま。安らかに眠ってほしい」と親族12人で冥福を祈った。
 あの日、仕事で防災庁舎を訪れ、犠牲となった民間企業社員の家族の姿も見られた。
 郡山市の阿部由美子さん(70)は仙台市のシステム会社勤務の長男光伸さん=不明当時(43)=の行方が今も分からない。たばこを供えて「お兄ちゃん、つらかったでしょうね」と目頭を押さえた。

<仙台市>
 186人が犠牲となった若林区荒浜地区。深沼海岸入り口の慰霊塔前で営まれた追悼法要には、住民ら約1800人が参列した。
 父や友人を亡くした仙台東高2年大友麻衣さん(17)は「みんなが生活再建に向けて頑張れるよう天国から見守って」と海岸線に花を置いた。
 宮城野区の蒲生干潟でも住民らが約150人の犠牲者をしのんだ。
 太白区のあすと長町仮設住宅の集会所では、約100人が海のある東側を向いて手を合わせた。宮城県亘理町の自宅が被災し、仮設に1人で暮らす無職菊地成子さん(73)は「心の整理はつきませんが、(離れて暮らす)孫の成長を見守りたい」と語った。

<名取市閖上>
 津波で生徒14人が犠牲となった閖上中では、遺族会が建てた慰霊碑が除幕され、参列者が「みんなのことは忘れない」と天国に呼び掛けた。
 「わが子の生きた証しを残したい」と親たちの願いを込めた碑には、近くの閖上小でただ一人犠牲となった児童を含む15人の名前が刻まれた。遺族や同級生らは1人ずつ碑に手を添えた。
 遺族会会長で、長男公太君=当時(13)=を亡くした丹野祐子さん(43)は「子どもはもう戻って来ないけれど、ここにいたことを知ってほしい。同様に家族らを失った人たちと共に歩んでいきたい」と話した。
 副会長の桜井謙二さん(37)は長女綾香さん=当時(14)=と妻、次女、義母を失った。「(娘たちは)夢と希望を持って生きてきた。会いたい気持ちが募るばかりです。残された自分がどう歩むか天国で見届けてほしい」と涙をこらえた。
 閖上漁港に近い鎮魂の丘日和山でも慰霊の列が続き、「安らかにお眠り下さい」などと添えた花束や千羽鶴などが卒塔婆に供えられた。

<石巻市大川小>
 校舎前の祭壇には朝から多くの人が訪れ、死亡・行方不明となった児童、教職員84人のために、花束やお菓子を供えた。津波が学校付近に押し寄せたとされる午後3時37分に祈りをささげる遺族もいた。
 3年生の一人息子を失った母親(48)は「1年たっても先は見えません。これから何のために頑張ればいいのか分からない」と涙をこぼした。


2012年03月12日月曜日


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