中国の処刑風景
2009.12.03 (Thu)
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清朝末期の 凌遅、「八刀刑」
―捜弧社区―
かの有名な「凌遅」は体を寸ごとに切り刻むという一種の肢解刑ですが、刑によっては数千という刀数も清朝末期に至ると手順 は簡略化され、その刀数どおりに「八刀刑」とも呼ばれていたようです。
刻むのはすべて左側からで、第一刀が胸口(みぞおち)、第二刀が二頭肌(上腕筋)、第三刀が大腿、四刀五刀で肘より先を切断し、六刀七刀で膝下を切断、八 刀目で首を落とすという手順。削がれた各部位は籠に入れられ、落とされた首は晒されました。
八刀刑が廃止されたのは1905年でした。それまでは主に三大犯の刑罰として用いられてきました。
三 大犯というのは、謀逆君主之罪(重大暴動、叛国、謀取皇位)、倫常之罪(親殺し、兄殺し、夫殺し、主人殺し)、兇残與不人道之罪(バラバラ殺人、家族の者 3人以上を殺害、人々に恐怖を与える結社を設立)です。1905年、肢解刑に類するものはすべて廃止され、斬首に統一されました。
画像は清朝末期、この八刀刑に処せられた女性の一部始終です。
※追記には人によってはショッキングな画像があります。
【More】
文 化 大 革 命 当 時 の 中 国
【 無 抵 抗 な 一 般 人 が 人民解放軍や紅衛兵によって虐殺され「食われる」 】
事件の一端が明らかになったのは、中国・広西省武宣県である。
ここだけで「殺され、迫害によって死んだ人間は524人、その内、食われた者は百数十人。
武宣県の食人者は推定1万〜2万人にのぼる」。ここでは上からの犠牲者割り当てに応じて、
走資派や実権派をデツチ上げ、「まず批判闘争宣言があり、糾弾集会を行い、その後、人間を殺して、
生きているままに人肉を削ぎ、生きている人間が絶命すると、
人間の心臓、肝臓、胆嚢、腎臓、胸肉、骨髄、太もも、足、筋、・・人間の骨肉を切り取り、削ぎ取って、
それを煮たり、揚げたり、炒めたり、そして酒にゆっくりと漬けたりして、さまざまな調理方法で、
豊かな献立にしたのである。また<人肉宴会>では酒を飲み、杯を交わし、論功行賞をした。」、
「こうして食人の嵐がうずを巻き、集会があるごとに闘争があり、闘争があるごとに死者が出て、
死者が出れば、かならず食われ、惨劇が繰り広げられたのだ」。
『食人宴席 抹殺された中国現代史』
鄭義(ツェンイー)著、93.11.25発行 より