ねたりかより
伊藤みどりがトリプルアクセルに挑んだ理由とは
“年末の風物詩”ともなっているフィギュアスケートの全日本選手権が26日まで開催されている。この大会は来年3月に行われる世界選手権の選考会も兼ねており、誰がその切符を手にするのか、気になるところだ。
その中で注目を集めたのが、今大会復活の優勝を手にした浅田真央選手。そんな浅田選手の代名詞といえるのが3回転半ジャンプ、いわゆる「トリプルアクセル」だ。
公式大会でトリプルアクセルを初めて成功させたのは、カナダのヴァーン・テイラー氏。1978年の世界選手権でのことである。そして、1984年のサラエボオリンピックで同じくカナダのブライアン・オーサー氏が五輪大会史上初めてのトリプルアクセル成功者となった。
しかし、彼らは男子選手。女子選手ではどうだろうか。
女子選手の「トリプルアクセル」の歴史をこじ開けたのは、誰もが知るフィギュアスケート選手の伊藤みどりさんだ。1988年の国内選手権で、2試合連続でトリプルアクセルを成功させると、同年12月のNHK杯でも成功させ、国際大会初の快挙を成し遂げる。
そして、今でも多くの人の記憶に残っているであろう1992年のアルベールビルオリンピックで五輪史上初めて、女子選手によるトリプルアクセルの成功を達成するのだ。
『伊藤みどり トリプルアクセルの先へ』(野口美恵/著、主婦の友社/刊)は、そんな伊藤みどりさんの半生を、スポーツライターの野口美恵さん(*「恵」の字は旧字体表記)が追いかけた一冊である。
伊藤さんはまぎれもない天才フィギュアスケート選手だ。小学6年生の冬に参加した世界ジュニア選手権のフリースケーティングで、3回転トウループから3回転ルッツまでの全5種類の3回転ジャンプを7回成功させるという驚愕の滑りを見せる。もちろんこれは世界初。海外では「台風ガール」と呼ばれるなど大騒ぎとなった。
伊藤さんの滑りは、人々の想像の遥か先に行っていたのだ。
そんな伊藤さんがトリプルアクセルに挑戦したのは、より質の高いジャンプを目指し、練習のマンネリ化を防ぐためにコーチが提案したことがきっかけだった。小学生の頃から3回転ジャンプを5種類こなしていた伊藤さんは、中学3年生の頃になるとマンネリ化した練習に集中するのが辛くなっていたという。
トリプルアクセルは、当時はトップ中のトップの男子選手のみしかできない高度な技。しかし、伊藤さんの練習には新鮮味が必要だった。
「私が世界初になりたい」。その想いで来る日も来る日もトリプルアクセルに挑んだ伊藤さんだったが、天才でも成功させるのは容易ではない。ベストコンディションであれば練習で成功するまでになっていたが、ケガもあり、「3回転ジャンプの質を高める」という方向にシフトした。
伊藤さんが公式大会でトリプルアクセルに成功したのは、1988年のこと。では、何がきっかけとなったのか。本書ではその1つのエピソードとしてカルガリーオリンピック後に行われた北米のアイスショーでの出来事があげられている。
そこで伊藤さんが見たものは、世界トップクラスの男子選手たちがアイスショーでトリプルアクセルをバンバン決めている姿だった。「やっぱり私もトリプルアクセルを跳びたい」と、彼らのトリプルアクセルを見て勉強する伊藤さん。そして、帰国するや否やトリプルアクセルの良いイメージを持ったまま、すぐに練習を再開したという。
その数ヵ月後に、伊藤さんは世界で初めて公式大会でトリプルアクセルを成功させる。その天才的な素質に加えて練習の虫であった伊藤さんの努力が形になったのだ。
時は流れて2010年。バンクーバーオリンピックという大舞台で、浅田選手がトリプルアクセルを3本決めた。そのとき伊藤さんは自宅でファンとしてテレビにかじりつき、こうエールを送っていたという。
「頑張って!挑んで!プレッシャーに負けないで!」
もしかしたら、伊藤さんは浅田選手に当時の自分自身の姿を重ねていたのかも知れない。
本書には伊藤さんの半生がつづられているが、現役時代よりも引退後の伊藤さんについて、ページが多く割かれている。アイスショーの引退やセカンドキャリアの葛藤、試行錯誤の日々、アダルトスケートへの挑戦などが描かれている。
トリプルアクセルの先に伊藤さんが見たものとは。本書から伊藤さんの新たな一面が見えることだろう。
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なんかテレビで色々喋っててうるさかったなぁ…。顔ぱんぱんだったし、時間経つのって残酷だよね。真央ちゃんおめでとうございます☆
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伊藤みどりがトリプルアクセルに挑んだ理由とは
“年末の風物詩”ともなっているフィギュアスケートの全日本選手権が26日まで開催されている。この大会は来年3月に行われる世界選手権の選考会も兼ねており、誰がその切符を手にするのか、気になるところだ。
その中で注目を集めたのが、今大会復活の優勝を手にした浅田真央選手。そんな浅田選手の代名詞といえるのが3回転半ジャンプ、いわゆる「トリプルアクセル」だ。
公式大会でトリプルアクセルを初めて成功させたのは、カナダのヴァーン・テイラー氏。1978年の世界選手権でのことである。そして、1984年のサラエボオリンピックで同じくカナダのブライアン・オーサー氏が五輪大会史上初めてのトリプルアクセル成功者となった。
しかし、彼らは男子選手。女子選手ではどうだろうか。
女子選手の「トリプルアクセル」の歴史をこじ開けたのは、誰もが知るフィギュアスケート選手の伊藤みどりさんだ。1988年の国内選手権で、2試合連続でトリプルアクセルを成功させると、同年12月のNHK杯でも成功させ、国際大会初の快挙を成し遂げる。
そして、今でも多くの人の記憶に残っているであろう1992年のアルベールビルオリンピックで五輪史上初めて、女子選手によるトリプルアクセルの成功を達成するのだ。
『伊藤みどり トリプルアクセルの先へ』(野口美恵/著、主婦の友社/刊)は、そんな伊藤みどりさんの半生を、スポーツライターの野口美恵さん(*「恵」の字は旧字体表記)が追いかけた一冊である。
伊藤さんはまぎれもない天才フィギュアスケート選手だ。小学6年生の冬に参加した世界ジュニア選手権のフリースケーティングで、3回転トウループから3回転ルッツまでの全5種類の3回転ジャンプを7回成功させるという驚愕の滑りを見せる。もちろんこれは世界初。海外では「台風ガール」と呼ばれるなど大騒ぎとなった。
伊藤さんの滑りは、人々の想像の遥か先に行っていたのだ。
そんな伊藤さんがトリプルアクセルに挑戦したのは、より質の高いジャンプを目指し、練習のマンネリ化を防ぐためにコーチが提案したことがきっかけだった。小学生の頃から3回転ジャンプを5種類こなしていた伊藤さんは、中学3年生の頃になるとマンネリ化した練習に集中するのが辛くなっていたという。
トリプルアクセルは、当時はトップ中のトップの男子選手のみしかできない高度な技。しかし、伊藤さんの練習には新鮮味が必要だった。
「私が世界初になりたい」。その想いで来る日も来る日もトリプルアクセルに挑んだ伊藤さんだったが、天才でも成功させるのは容易ではない。ベストコンディションであれば練習で成功するまでになっていたが、ケガもあり、「3回転ジャンプの質を高める」という方向にシフトした。
伊藤さんが公式大会でトリプルアクセルに成功したのは、1988年のこと。では、何がきっかけとなったのか。本書ではその1つのエピソードとしてカルガリーオリンピック後に行われた北米のアイスショーでの出来事があげられている。
そこで伊藤さんが見たものは、世界トップクラスの男子選手たちがアイスショーでトリプルアクセルをバンバン決めている姿だった。「やっぱり私もトリプルアクセルを跳びたい」と、彼らのトリプルアクセルを見て勉強する伊藤さん。そして、帰国するや否やトリプルアクセルの良いイメージを持ったまま、すぐに練習を再開したという。
その数ヵ月後に、伊藤さんは世界で初めて公式大会でトリプルアクセルを成功させる。その天才的な素質に加えて練習の虫であった伊藤さんの努力が形になったのだ。
時は流れて2010年。バンクーバーオリンピックという大舞台で、浅田選手がトリプルアクセルを3本決めた。そのとき伊藤さんは自宅でファンとしてテレビにかじりつき、こうエールを送っていたという。
「頑張って!挑んで!プレッシャーに負けないで!」
もしかしたら、伊藤さんは浅田選手に当時の自分自身の姿を重ねていたのかも知れない。
本書には伊藤さんの半生がつづられているが、現役時代よりも引退後の伊藤さんについて、ページが多く割かれている。アイスショーの引退やセカンドキャリアの葛藤、試行錯誤の日々、アダルトスケートへの挑戦などが描かれている。
トリプルアクセルの先に伊藤さんが見たものとは。本書から伊藤さんの新たな一面が見えることだろう。
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