7日に68歳で亡くなった元連合事務局長で連合総研理事長の草野忠義さん。実家は日田市豆田町の旧家「草野本家」。あまりにも早い死を惜しむ声が相次いだ。
中学で東京へ移り、東大卒業後に日産自動車に入社。自動車総連会長、金属労協議長などを経て01~05年、連合事務局長を務めた。会長選出馬の動きも。「実現していたら佐伯市出身の御手洗冨士夫・経団連会長(当時)と労使のトップが大分出身」と期待された。
幼なじみで親友の広瀬勝貞知事は「残念でしようがない。公私に教えられることが多く、尊敬していた」と無念の表情。知事が最後に会ったのは10年10月。国指定重要文化財「草野家住宅」の煎茶会で日田の文化や茶の伝統について言葉を交わしたという。7日、草野家からの連絡で訃報を知った。知事は「立派な人だった」と改めて故人を悼んだ。
実家を継ぐ実弟の義輔さん(64)は「3日前に見舞いに行った。『心配ない。お前も忙しいから帰っていいぞ』と言われ、その数時間後に容体が急変した」と肩を落とす。
00年に政界を引退した元通産相の畑英次郎さん。「草野さんに後継を打診したが、事情もあって丁寧に断られた」と秘話を明かす。その後、参院選の立候補も取りざたされた。
旧月隈小時代に一緒に遊んだ近所の石丸邦夫・市観光協会会長は「スポーツ万能で仲間うちでもあこがれの存在だった。惜しい人物を亡くした」と悼む。豆田町でレストランを営む武内眞司・日田ロータリー会長は「帰郷の際はうちで食事された。スケールが大きく、『元気をもらえる人』だった」と話す。【楢原義則、佐野優】
毎日新聞 2012年3月9日 地方版