|
きょうの社説 2012年3月11日
◎震災から1年 祈り捧げ、復興の決意新たに
東日本大震災の惨禍から1年の節目を迎えた。津波の爪痕は今も生々しく、あちこちに
うずたかく積まれたがれきが異臭を放っている。死者・行方不明者合わせて2万人近い犠牲者にあらためて哀悼の意を表すとともに、被災者や原発事故で避難を余儀なくされた人々と心を通わせ、一丸となって復興に取り組む決意を新たにしたい。震災から1年になるというのに、現地からの報道写真を見る限り、昨年夏、岩手、宮城 の被災地を駆け足で見て回ったときと大きく変わっていない印象を受ける。とてつもない規模の津波被害に加えて、福島第1原発事故が暗い影を落とし、被災地の人々を苦しめている。多くのボランティアが被災地に入り、復旧作業を手伝ってきたが、被災地の多くは1年前から時が止まったままだ。 東日本大震災は、地震の激しさも津波の高さも「想定外」の規模だった。これまで過去 の地震や津波被害の経験から、耐震化や防潮堤などハードの整備、ハザードマップづくりや避難訓練などソフトの対策も行われてきたが、十分に対応できたとは言い難い。特に原発事故では予想もしなかった事態にほんろうされ、政府の対応は常に後手に回った。「想定外」を想定し、国家の危機管理の在り方を一から見直さねばならない。 震災の半年前、首相官邸で、静岡県の浜岡原子力発電所が故障で原子炉の冷却機能が喪 失し、放射性物質が外部に放出される事態を想定した訓練が行われた。まさに今回の原子力事故と同じ状況だったにもかかわらず、その教訓が生かされたとは言い難い。防災訓練も適当にやり過ごすだけでは、本番では役立たない。比較的地震が少ないといわれる北陸に暮らす私たちも自然災害が多発する国に暮らすリスクを直視し、自分の身は自分で守る自覚を持ちたい。 被害の甚大さに目を奪われ、見落とされがちだが、復旧・復興が遅々として進まぬ原因 は、政治と行政の停滞にある。被災地の自治体は人手不足のうえ、不眠不休の勤務で疲弊している。このため、予算申請の書類が遅れたり、国の施策が被災地の実情と合わなかったりするケースが目立つという。 実際、東日本大震災の復旧費として、今年度第1次および第2次補正予算で積まれた6 .7兆円は、昨年末時点で半分しか使われておらず、道路や学校などのインフラ整備の消化率は予算の2割に満たない。石川県や富山県など全国の自治体から応援の職員が派遣されているが、肝心の政府の動きは鈍く、行政の停滞を生んだ。 その主因は菅政権が民主党の掲げる「政治主導」にこだわり、行政府が各部署で必要な 政策を自律的に行う動きにブレーキをかけてしまったからである。福島原発事故独立検証委は首相官邸の対応について「泥縄的で、無用な混乱により状況を悪化させる危険性を高めた」と指摘したが、誤った政治主導のツケは重い。未曾有(みぞう)の震災は、お粗末な政治の実態までもあぶり出した。 福島第1原発事故は、原発の「安全神話」をも打ち砕いた。「事故はあり得ないから、 想定外のことは考えなくてもよい」と言わんばかりの「原子力ムラ」の常識が大災害を招いた。津波による原発の電源喪失という事態を想定した手を打っていれば、事故は避けられたのではないか。 国内での新たな原発立地はもはや不可能に近いだろう。既存の原発の安全性を高める努 力、特に津波と電源喪失への対処を急がねばならない。同時に原発への過度な依存をやめ、その穴を埋めていく知恵が求められる。 福島第1原発では、これから廃炉に向け、危険な作業が始まる。処理が終わるまで、ど れほど時間と費用がかかるのか誰にも分からない。日本が抱え込んだとてつもなく大きな「負の遺産」である。 ただ、廃炉作業は世界に先駆けて放射能除去や解体のノウハウを得る機会でもあり、新 たな産業の芽になりうる。内外の英知を結集し、最善を尽くして困難を乗り越えていく作業は、日本人が得意とするところだ。鎮魂の日に、震災で失われた命の重みと教訓をあらためて胸に刻み、一人一人がより賢く、より強く、より優しくなれるよう誓いを立てたい。
|