2012-01-02

2012年に向けて

2012年が始まりました。明けましておめでとうございます。
新しい年を迎えるに当たって、2011年を振り返り、そして、2012年に向けてやっていきたいことをまとめておきたいと思います。

2011年は自分の人生の転機であり、はてなの転機になりました

25歳ではてなを創業してからちょうど10年目にあたる2011年は、僕自身にとって、そしてはてなという会社にとって大きな転機になりました。

僕自身にとって一番大きかったのは、人との関係を見直す事になったことです。人生最大の転機とも言えるような年になりました。そして会社にとっては、これからの成長に向けて準備が整う年になりました。

絶望の淵から

2010年の暮れ、はてな社内は今から思うとかなり危機的な状況にありました。新サービスのローンチに失敗し、がっかりする気持ちが社内に蔓延していました。経営と現場、そして取締役会との間に意識のギャップがあり、お互いにうまくコミュニケーションが取れていない状況でした。

そのような状況に陥った原因は僕自身にありました。社員とのコミュニケーションにおいて、うまくサービスやビジネスの方向性を指し示すことができず、気持ちをまとめることができていませんでした。また、取締役との調整も不足していました。

2010年が終わりに近付こうとしていた頃、僕は絶望の淵にいました。自分に自信が持てず、毎日会社に行くのが苦痛でした。
「このまま行くと会社は終わるな」、とある日思いました。
このまま放っておけば確実に会社は終わるだろうと悟り、絶望的な気持ちで1日動けずにいるような日がありました。
しかし、そんな時期をしばらく過ごした後、ふと、「とにかく何かやらないことには何も変わらない」と思い始めました。

もう自分の事はどうでもよくなりました。
それまで自分の中にあった常識や、自分のやり方、こだわりなどはもうどうでも良い。得意か苦手とかもどうでも良い。会社をなんとか良い状態にできるなら、どんなことでも良いからやれるだけのことをやろう。
激しい自己否定と、ある種吹っ切れた気持ちで、僕は2011年を迎えました。

サービス開発発表会

社内での意識共有が必要だと感じたため、定期的に全社員を集めた発表会を開く事にしました。
2週間に一度、朝会の後で全社員を集め、僕と各サービスを担当するディレクターがサービスの現状とこれからの方針を語る事にしました。
発表会を始めてみたものの、最初はお世辞にも良い雰囲気とは言えませんでした。発表を聞きながら、手元でパソコンを開き、別の作業をする人がたくさんいました。
うつむいたり、目を合わせてくれない人たちに向かって語りかけながら、ここにいるみんなが顔を上げて、真剣に話を聞いてくれる状態に会社を変えよう、と目標を決めました。

なんとか変化のきっかけをつかもうとあれこれ動いている中で出会ったとあるコミュニティが、最初の転機になりました。
メンバーどうしで「話」をする小さなコミュニティだったのですが、温かい雰囲気の中で信頼できる人たちと話をしつつ、僕は人との関係を見つめ直す必要があることに気付きました。そして自分の中で、「話す」事が大きなテーマになり始めました。

息子から学んだこと

当時2歳の息子に、僕はちゃんと向きあえていませんでした。
散歩に行こうとすると息子は「嫌だ」と泣き叫び、歩かせようとしてもまったく歩かず、だっこをせがむばかりでした。
「どうしてこんなに言うことを聞かない子供に育ってしまったんだろう?」と僕は嘆いていたのです。
しかし次第に、原因は自分の方にあることに気付き始めました。どこかでちゃんと相手と向き合っていない自分に気付きました。自分は仕事が忙しいから、と、iPhoneを片手に上の空で息子と接していたのです。
人の話をちゃんと聞き、向き合おうと思いました。
子供はとても素直で変化が早いです。効果はすぐに現れました。ほんの2週間ほどで、息子の態度は一変し、散歩でも自分から飛び出していくようになりました。そんな息子と過ごす時間を心から幸せに感じるようになりました。

子育てを通じて僕はもう一つ大切な事を学びました。
何かができない人に対して、できない事を指摘する事がいかにバカバカしいことか、ということです。
まだ歩く事ができない子供に、なぜ歩けないんだ、と叱るような親はいません。
期待しながら見守ってあげ、歩けるようになった時に一緒に喜んであげれば、人は育つんだという事を学びました。

震災と別れ

3月11日に震災が起き、その1週間後に以前から親しくさせて頂いた方が亡くなりました。
激しい衝撃と悲しみが訪れました。

京都にいて一番つらかったのは、むしろ普通に日常が営まれていることでした。幸いにも関西には被害はなく、表面的には何事も無かったかのような日常が続いていました。会社も営業を続けました。
しかし、想像を絶する現実が東日本で起きていて、その事実と、目の前の日常のあまりのギャップに、自分の存在をうまく馴染ませることができないでいました。
そんな状況の中、親しかったある方が亡くなりました。
すぐに亡くなられた方のもとに駆けつけ、5日間ほどそこで過ごしました。

こんな事を書くと不謹慎かも知れませんが、この5日間を過ごし、葬儀にてご遺体と最後の別れをしたときに、僕は自分の中で一つ心に整理がついたように思います。
大震災でたくさんの方が亡くなられた、大切な方が亡くなった、という事実と、いつも通りの日常。2つの現実の間でふらふらしていた自分にとって、死を自分の目で見つめ、別れの時を過ごすことで、ようやく自分と現実がつながり始めたように思います。

葬儀にて、弔辞をして欲しい、というご依頼を頂きました。
これは大変光栄なことだ、と思いお受けしました。
生まれて初めての弔辞で、何を話せば良いのか分かりませんでしたが、自分と故人との思い出を話すことにしました。
前日に依頼をもらい、準備の時間は限られていました。
やれるだけの事をやろうと、当日の朝4時までホテルでスピーチの練習をしました。
その甲斐もあり、僕の中にあった幸せな思い出を、参列者の方に共有することができました。
この頃から自分の中で、「話す」事に対する考え方が変わり始めました。
話は自分から一方的に出るものではなくて、聴いてくれる相手に届けるものだと考え始めました。

震災と別れによって、いやがおうにも「生きること、死ぬこと」について考えました。
自分はいつか死ぬんだ、という当たり前のことを、非常に具体的に自分の中に取り込むことになりました。
震災は関西に起きて、死ぬのは自分だったかも知れない。生きていることはとても一時的なことである。自分は何のために生きているのか。死ぬときに誇りに思えるような生き方を自分はできているのか。

表面的なことに流されず、自分の価値観に従って、大切に生きる時間を使っていきたいと心から思いました。
なぜはてなを創ったのか。僕は何がしたかったんだろう。
20歳の時に自転車でアメリカを横断した時にウォークマンを拾って感動をしたこと。技術と工夫で世界中の人の生活を変えるような仕事がしたい、と思ったことを思い出しました。自分が大切に思っていることを、決して忘れてはいけないと思いました。
周りに流されず、自分が大切だと思うことを実現するために、大切な時間を使っていこう、と心に決めました。

TEDxTokyo

5月に東京で行われたTEDxTokyoにご招待を頂きました。
TEDのスピーチはそれまでもちらほらウェブで見ていたものの、わざわざ東京まで見に行くかどうか最初は迷いました。
直接仕事と関係があるわけでもないし、動画は後からウェブで見れるし、何かの役に立つだろうか、と感じていたのです。
「まあいいや、面白そうだから行ってみよう」と思って参加したTEDxTokyoが、次の大きな転機になりました。

TEDは「脳をリフレッシュする会」、「楽天家のためのダボス会議」、「未来を創る人たちと共に過ごす未来旅行」などなど、いろいろな言葉で表現されますが、僕は「人生のカタログ」だと思います。

あらゆるジャンルの、魅力的な人生を送っている人が、素晴らしいスピーチを繰り広げます。自分が何に取り組んでいるのか、そもそもなぜそんなことをしているのか、という個人のストーリーを語ります。
そんなスピーチを聞いていると、人間はなんてたくさんの可能性に満ちているんだ、人生はなんて素晴らしいんだと感じずにはいられません。
たくさんの人が、それぞれが信じる価値観に従って真剣に生きている、その多様な生き様が描かれた「人生のカタログ」のような場所だと感じました。

スピーカーだけでなく、集められた聴衆の方々も素晴らしく、セッションの間のブレイクタイムは一瞬のうちに過ぎ去っていきました。世の中にはこんなにたくさんの魅力的な人がいるのか!と驚きました。
お会いした方々があまりに魅力的だったので、それから2ヶ月間ほど、その方々を訪ね歩きました。東京出張に行くたびに、1つか2つアポを入れ、お会いするようになりました。

この頃から僕は「人間の魅力」にはまっていきました。僕はそれまで人付き合いが大の苦手でした。親しい人以外に会うのは億劫でした。たくさんの人がいる場所にいるとどうも落ち着かず、それくらいなら一人でいた方が気が楽でした。人前で話すのも嫌いでした。それでも、本当は人が好きなんだと思います。
苦手で済ますにはあまりに勿体ない、と思い、たくさんの方とお会いしてお話しする中で、人と接する楽しさを学びました。

そんなことをしているうちに、「いつか京都でもTEDをやりたい」と思うようになりました。
今は難しくても3年以内くらいの間に、TEDxKyotoを実現できたら良いな、と思い始め、機会があるとそういう話をしていました。
そんなことを考えながら参加した9月のTEDxTokyo yzの懇親会で、TEDxTokyoのファウンダーであるToddから、京都でTEDを開催したいと準備しているJayのことを教えてもらいました。「Jayと2人でTEDxKyotoをやりなよ」と言われ、二つ返事で「はい、やります!」と答えました。
仕事の空き時間を使って、TEDxKyotoの準備が始まりました。開催日を2012年9月に決め、運営チーム作りから始めています。
いざTEDxKyotoの旗を揚げてみると面白いもので、TEDが好きな人たちからどんどん連絡が来るようになりました。これまで決して出会うことができなかったような魅力的な方とのつながりがどんどん拡がり、素晴らしいチームができつつあります。

僕はこれまで自分の行動を決めるときに、「自分にメリットがあるかどうか」で人と会ったり、行動を決めていました。
その相手は会社に売上をもたらしてくれるのかどうか、サービスが伸びることにどれくらいつながるのか、人材獲得につながる可能性はあるか、などなど、そういう短期的で表面的な事です。

とある機会に、プロフェッショナルコネクターの勝屋久さんが、「自分の損得勘定ではなく、面白いかどうかで人と会うかどうかを決めるようになってから、随分良い感じになった」というお話しをされていました。
勝屋さんでも良い感じじゃない時があったのか、と驚いたのですが、その言葉が、自分に行動を変えるきっかけを与えてくれました。

京都大学未来フォーラム

7月の京都大学未来フォーラムで講演をしてもらえないか、というご依頼を頂いたのは確か春頃でした。
京都大学の卒業生の中から、各界でご活躍されている著名な方を招いて講演を聴く、というフォーラムで、これまで錚々たる方々が講演をされています。
京都大学の卒業生として、これほど名誉なことはない、と考え、講演を受けることにしました。
京大で一番大きな時計台ホールで講演会は行われます。聴衆は500人。学生や教員の方々に加え、市民の方々も混じっています。時間は1時間半。

多様な聴衆の皆さんを前に、何の話をしようかと考えました。
自分たちのサービスを細かく紹介したり、都合の良い数字を紹介するような、表面的で面白く無い話はやめようと思いました。
自分の話をしよう、と思いました。
なぜ自分ははてなをやっているのか。なぜ今ここにいるんだろう。そもそもなぜ起業したんだろう。
スピーチの準備は、結局、自分と向き合う作業になりました。
小学校で帰り道に麦畑で迷路を作って遊んだこと、高校の時には夏休みに一人で自転車旅行をして東海道を走破したこと、大学時代にツール・ド・信州を主催してたくさんの人を集めてイベントを開いたこと。
幼い頃からの経験を通して、次第に自分が常識の外にあるような行動を思い切ってやることに喜びを見出していったこと。自分の思い込みの限界を超えて、未知の領域に挑戦している自分が好きになっていったことに気付きました。

90分間の講演準備は大変でした。
受験勉強中の10代の高校生から、70代の方まで、皆さんに眠らずに楽しんで聴いてもらえるようにと、練習を繰り返しました。
講演のスタイルは、いろいろ迷った末に、何も使わずに、体一つだけで挑戦することにしました。もちろんTEDの影響を受けています。
プレゼン資料も使わず、原稿も持たず、演台も使わず、舞台に一人で立って、話をすることにしました。
ぴったり時間に収まるように、何度も練習をしました。

後日、聴衆の方からのアンケート結果を事務局の方に見せて頂いたとき、あまりに良いことしか書いてなかったために、思わず「フィルタリングをせずに生のデータを見せてください」と僕はお願いしました。
事務局の方が、「私たちも驚いているのですが、本当にこれが生のデータなんです」と仰いました。

講演を成功させることができ、大きな自信につながりました。

Steve Jobs

スティーブ・ジョブズの死によって、自分がこれほどショックを受けるとは正直思っていませんでした。
訃報を聞き、全身から力が抜けていくのを感じました。今年はなんて年なんだろうと思いました。

ジョブズの死の後、スタンフォード大学でのスピーチを何度も聴き直し、改めてその内容の素晴らしさに気付きました。大事なメッセージを伝えようとしていたんだなあ、と、折に触れて思い出すようになりました。恐らく、多くの起業家がジョブズの言葉から影響を受けているんだと思います。そうした人々の言動を見るたびに、ジョブズの言葉を思い出す、ということが何度も起こるようになりました。ジョブズさん、あなたの言葉は、確実に僕たちに届いています。

"connecting the dots" で彼は、自分がやっていることが将来どう役に立つかは分からない。でもそれはいつかつながるし、後から振り返ればそれがよく分かる、と、その時その時を真剣に生きる重要性を訴えていました。僕は過去の自分の経験を思い返しました。

"Stay Hungry. Stay Foolish"で結ばれる最後のパートで、ジョブズ

"And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary."

と呼びかけていました。
自分の直感に従って行動することがいかに大切か、自分が大切だと思う事に時間を使うことがいかに大切かを訴えていました。

ジョブズは朝から晩まで、自分が信じる製品を作ることに人生を捧げ、死ぬまでやり抜く、そういう生き様があるんだ、ということを体現しました。文字通り死ぬまでやり抜きました。すごいことです。
その集中によって、世界で最も価値の大きい企業を作る事ができるんだという事を証明してしまいました。

自分がやりたいのはそういう事だと思いました。
自分にしかできないことに集中しよう、と思いました。
これまで以上に、サービスの開発に打ち込む日々が始まりました。

IVS Kyoto

12月に京都でIVSが開催されました。2日間のカンファレンスと、大学生向けのワークショップが1日行われました。
たくさんの経営者と話をしながら、多くの経営者がまた、激動の2011年の影響を強く受けていると感じました。

3日目に京都大学で行われた大学生向けのワークショップは、昨年は少しリクリーティングイベントの様相がありました。それぞれの経営者が自社をアピールし、優秀な人材を獲得しようと話をしている傾向がありましたが、今年はそんな細かい話はどこかに吹き飛んでいました。

オープニングセッションでGREEの田中社長が、自分のこどもの時の思い出話で自己紹介を行いました。それを受けてGMOの熊谷社長も、幼い頃に旅に出ていた話をしました。そうやって自分自身を語るところから始まったワークショップは、1日を通じて一体感のある雰囲気に包まれ、温かさのなかに厳しさのある、素晴らしいイベントになりました。

自分が大切だと思う事に向かって行動を起こすことがいかに素晴らしい事か、これから未来に向かって成長する分野に優秀な人が飛び込むことがいかに重要か、起業家精神とは何なのか、若い人たちに向けて1日中たくさんの経営者が語り続けました。
僕は今、インターネット業界に経営者としていられることを心から誇りに思いました。

とりわけ印象深かったのは最後のセッションです。gumiの国光さんと孫泰蔵さんを中心に、話が繰り広げられました。
http://www.ustream.tv/recorded/19023672

国光さんは、ソーシャルゲームが日本の中で数少ないこれから世界で勝てる分野であることを熱く語っていました。世界で勝つために、休日もずっとゲームの研究をしていることを面白おかしく話していました。孫泰蔵さんは、失敗は失敗と思わない限り存在しない、スーパーマリオで穴に落ちるようなものだ、と語っていました。人に4面にワープするショートカットを教えるのは簡単だけど、人はその人のペースでしか成長はできない、ショートカットを教えるのではなく、その人の成長を待つ重要性を語っていました。

全体的に、インターネット業界の中の拝金主義的な考え方は衰退し、業界全体が成熟してきたと感じました。もはや金銭的なモチベーションだけでは、生き残ることができなくなっています。グローバルな競争の中で、ストイックに本質的な価値を作り出そうとしている企業しか生き残れなくなってきています。自分たちもまた、世界に通用する新たな価値を生み出していこうと気持ちを新たにしました。

僕はIVSでは1年ぶりに、ワークショップの第2セッションに登壇しました。頓智の井口さんや芸者東京の田中さんたちとお話しをしながら、壇上で話をすることを、心から楽しめている自分に気付きました。

IVSでさらに感じたことは、スタートアップ企業が増え、レベルが上がってきていることです。2011年は多くのスタートアップ系イベントが開催され、たくさんのベンチャーがあちこちでプレゼンを行いました。個別の発表を取り上げ、「小ネタが多い」といった批判もありますが、僕は素晴らしい流れだと感じています。全体的に明らかにプレゼンのレベルが上がってきており、さらにそうしたスタートアップに投資をしたりアドバイスをする経験者の層も充実してきており、全体としてのエコシステムが回り始めていると感じます。

若者による「起業家精神の勃興」が、日本で起こり始めていると感じます。IVSのLaunch Padではそれを象徴するように、20歳の学生起業家、鶴田さんが優勝しました。久々の大型新人の登場に、会場全体が希望を感じました。

僕自身もIVSからの流れで、とあるスタートアップに少し関わるようになりました。生まれたばかりのベンチャーの様子に接していると、スタートアップ独特の一体感と興奮を思い出します。

起業は、旅に出るようなものだと思います。この旅は何が起こる旅なんだろう、いったいどこまで続く旅なんだろう。少しの不安と、大きな期待を持って、仲間と一緒に旅に出発する興奮を久しぶりに感じました。その運命共同体的な連帯感も大好きです。

生まれたばかりのスタートアップから刺激をもらいながら、はてなもまた、生まれたてのベンチャーのような気持ちで、新しい旅に向けて出発していきたいと思います。

2011年に感謝!

振り返りが随分長くなりました。2011年は本当に激動の1年でした。

この1年は、多くの素晴らしい出会いに恵まれました。いろいろな転機には、常に素晴らしい出会いがあり、多くの方との出会いの中でたくさんの事を学ばせて頂きました。
改めてここで、2011年に出会った素晴らしい皆さん、周りで支えて頂いた皆さんに感謝します。本当に有難うございました。

人との関係について考える中で、僕はリーダーシップとは何かが少し分かった気がします。
リーダーシップとは、「話をするたびにやる気を増やす事」だと感じます。話す度に人のやる気を削ぐようなリーダーの組織は成長しません。話すたびに、さらに前に進もうという力をお互いに与えられるようになること、だと思います。

さて、最初に紹介した発表会は1年経ってどうなったかと言いますと、今では一部の発表が夜に移り、盛んに質疑応答が繰り広げられながら、エキサイティングな議論が行われる場所になりつつあります。1年前には考えられないような状況が生まれています。

2012年に向けて

今年の抱負を3つ掲げます。

1. 具体的な成長の開始

2008年に京都に戻ってきてからの3年間は、いわば会社をもう一度作り直すような期間でした。
この間に僕自身も、サービス開発者から、経営者へと、自分自身の役割を大きく転換する必要がありました。
3年間行ってきた「組織作り」もようやく戦闘態勢に入りました。2012年はいよいよ攻めに入り、具体的なサービスの成長を実現していく年にしたいと思います。

既に2011年中にリリースができたはてなブログはてなブックマークの新機能は非常に好評を頂いています。はてなブログは驚くようなペースで新規ユーザーが増えています。

こうした既存サービスのリニューアルに加え、新サービスの展開も行い、ユーザー数を拡大させたいと思います。

「サービスを成長させる」ということは、「今まではてなを使っていなかった人にはてなを使ってもらう」ことに他なりません。そのためには、今まではてなを使わなかった人が、はてなを使うようになる理由を作らないといけません。

もちろん既存のユーザーさんにさらに満足いただけるように、サービスの中身を発展させていくことは不可欠ですが、常に外への視点を忘れず、「今はいないユーザー」さんの事を考えながらサービスを作っていきたいと思います。

2. インターネットの1階と2階をつないでいく

具体的に何を作っていくのか。
インターネットは今、2階建て構造になってきていると思います。

巨大なプライベート空間であるfacebookが1階。ともだちとのおしゃべりをする場所です。
それに対して、オープンなインターネットが2階。検索エンジンが到達可能な領域です。ブログやtwitterなどのオープンなサービスがここに属します。

この1階と2階は今のところ別の世界として分離していますが、今後この中間領域の発展が進むと思います。

僕たちはこれまで、ブログやソーシャルブックマークサービスによって、オープンインターネット領域での自己表現やコミュニケーション、情報の流通を扱ってきました。この領域には、多くの出会いと情報が溢れています。

一方で多くのインターネットユーザーが、居心地の良いプライベート空間に活動の拠点を移しており、新たにインターネットに入る人もこちらが入り口になりつつあります。

しかしもちろん、オープンインターネット空間の良さが無くなったわけではありません。
facebookには、これまでに知り合った知り合いはいても、これから知り合うべき人との出会いはほとんどありません。皮肉なことに、本当にsocial networkingをしたい場合は、オープンな領域に出て行く必要がある、という状況が生まれています。

自分がたくさんの出会いに恵まれたのが、「外の活動」であったことと同じように、インターネットでも、自分の人生に新しい展開をもたらしてくれるような出会いは、オープンインターネットの領域に存在します。

1階と2階をうまくつなぐような中間領域を設計したり、居心地の良い2階を作ることで、1階と2階をつないでいきたい。これが大きなテーマです。

3. 圧倒的にデザインを良くする

はてなのデザインを圧倒的に良くしていきたいと思っています。
今日本のインターネット業界は、エンジニアの争奪戦が熾烈を極めています。そんな中、なぜデザインなのか。
デザインがこれからとても重要になると思います。

今まではてなのサービスは、どちらかというと各サービスがバラバラに個別最適を繰り返してきました。機能は多ければ多いほど良いのだ、という価値観で新しい機能を加えてきました。エンジニアがシステムを開発し、デザインは後からくっつけるものでした。

しかし、人が接するのはデザインです。多くの人に接してもらうサービスにするために、デザインに真剣に取り組みたいと思います。誰もが「分かる」ように、シンプルなデザインを実現していく必要があります。

まず自分自身がデザインを学び、深く理解ができるようになりたいと思います。僕はもともと写真をやっていました。美しいものが大好きですが、会社経営には関係が無いと我慢してきました。スティーブ・ジョブズは、技術とデザインの両方を理解する経営者が、世界最高の企業を作る事を証明しました。

仕様通りにシステムが完成してから、最後に装飾のようにデザインを当てるのではなく、このサービスは何なのか?どう使って欲しいのか?という本質を、デザインで表現していく。デザイナとエンジニアが協力しながら、本質的にどういう価値を届けたいのかを表現していく、そんな開発プロセスを実現し、質の高いサービスを作りたいと思います。

今年もよろしくお願いします!

2011年に頂いたご縁を大切にしながら、今年はさらに挑戦をしていきたいと思います。
今年もはてなと近藤淳也を、どうぞよろしくお願いします!

2011-12-15

僕とはてな

人力検索はてなのアイデアを思い付いて、会社を作ろう!と思ったときに、本当にアイデアがうまくいくと思ってくれた人は誰もいませんでした。

検索エンジンでうまくキーワードを組み合わせて知りたい情報を探す、みたいな超絶(?)テクニックを、父親やこれからインターネットを始める人が全員習得しなくてはいけないのか、と思うと僕は気が遠くなりました。もっと人に優しい検索手段がないとダメだ!インターネットはもっと楽しく便利にできる!と思い、そのための方法を夢中で考えました。

他の人に文章で訊ける、という人力検索のアイデアを思い付き、質問を有料にして手数料で儲ける、というビジネスモデルを考えました。周りの人は誰もうまくいくとは思ってくれませんでした。身近な人で、一緒に手伝ってくれる人でさえ、「まあこいつがやるなら一緒にやるか」くらいの感じでした。

結果的には周りの人間が正しかったです。人力検索サイトをオープンしても、なかなか人が集まらなかったし、手数料の収入なんて微々たるものでした。あまりにも収入が無く、どこからも出資を受けられなかったので、3年間受託開発の仕事をしました。自分たちで考えて作ったサービスで、ビジネスが成り立つようになるのは、3年経ってからの事でした。

自分が今、10年前の自分に起業の相談をされたら、どういうアドバイスをするのだろう、としばしば考えます。
サービスのアイデアも、ビジネスモデルも稚拙で、多分すぐにはうまくいかない。でも本人にはやる気がある。何かをやりそうな勢いはある。

起業をした頃、いろいろな人に会って意見を聞きました。多くの人が、「多分そのモデルはうまくいかないよ」と言いました。その度に自信を失いそうになりました。それでも、「インターネットは絶対にもっと楽しく便利にできる!」という信念にしがみついて耐えていました。

もう一つ、僕を支えた言葉があります。大阪のとある実業家の方に会いに行ったときです。彼が手がける事業再生は、ほとんどうまくいく、という魔法のような方です。彼はエンジェル投資家としての活動もしていました。

僕がはてなの計画を話すと、彼はひとこと、「久しぶりのホームランだ!」と嬉しそうに叫びました。僕を紹介してくれた人に、「君が連れてくる人はいつも平凡で、たまにヒットがあるくらいだけど、今回は久々の大ホームランだ!」と、心から喜んでくれました。

それで出資をしてくれるのかな、と思ったら、彼は1円も出資をしてくれませんでした。僕には訳が分かりませんでした。しかし、彼が言った、「君は必ず成功できる」という言葉は、その当時誰からもうまくいかないだろうと言われ続けていた僕にとっては、神の信託のような力を持った言葉になりました。

「インターネットは必ずもっと楽しく便利にできる」という想いと、「君は必ず成功できる」という言葉にしがみつづけながら、僕はここまでなんとかやってきました。

人は、自分のペースでしか成長できません。それを周りの人はじれったいと思うかも知れない。でも、やっぱり自分のペースでしか成長できないんです。

これからも自分のペースで、前に進み続けます。

そして、同じように挑戦をする人に対して、前に進む力を少し与えられるような、そういう人間でありたいと思います。

Hatena::Staff Advent Calendar 2011 - はてなまとめ(仮)
>次はid:marqsさんです。

2011-12-03

まさに起業のプロセスを体験できるStartup Weekendの優れたフォーマット

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Startup Weekend Kyotoに参加しました。8月に続いて2回目です。

週末3日間で新しいスタートアップを生みだそう!という西海岸的なノリのイベントなのですが、1回目に審査員として参加してみて不思議だったのが、「何も知らない人たちが集まって、どうやってチームを作り、こんな良質なアイデアを形にすることができたんだろうか」という事でした。

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金曜日の夕方にお互い見ず知らずの人たちが集まってアイデアを出し合い、チームを作って、3日目の日曜日の夕方にプレゼンをする、という流れなんですが、そんなことを日本で普通にやっても、アイデア出しもさることながら、チームを作ることすら難しいんじゃないか、と感じます。その秘密が知りたくて、今回は初日のアイデアピッチとチームビルディングにも参加しました。

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参加してみてその謎が解けました。アイデアが選別され、チームが形成されるための非常に良くできたフォーマットがあり、これは使えるぞ、と思ったので紹介したいと思います。

まず最初にビールを飲みます(笑)。ピザを食べます。ゆるく交流します。
1週間仕事をやり終えた開放感で、テンションが上がってきます。

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次に適当に10個くらいのチームに分かれて、みんなで思い付くままにキーワードを出して、適当な2つのキーワードを結びつけた架空の会社の事業プレゼンが始まります。アイデアピッチの練習によるアイスブレイクです。

キーワードは本当にでたらめで、僕が入ったチームは「食いしん坊・お代官ドットコム」でした。この適当な組み合わせから、なるべく興味を引いてもらえるような事業内容をでっち上げ、ピッチを行います。

ここで、効果的なピッチとはどういう構成か、が解説されます。まずは解決したい課題を明らかにさせ、その解決方法を提示する、という順番です。実際にでたらめピッチを聴いていて、それを実感する事ができます。

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続いて本番のアイデアピッチです。「でたらめキーワード」と同じように、1分間のピッチを行います。
この時にはかなり場も温まっていて、思わず自分もアイデアを話したくてうずうずしてきます。見学のつもりで一緒に来ていたid:nagayamaは、思わずピッチして自分のチームを持つ羽目になってしまいました(笑)。僕も審査員なのに思わず手を上げそうになって我慢していました。

50人くらいの参加者のうち、結局30人くらいが手を上げてアイデアを話しました。

何も準備をせずに、いきなり「では、アイデアがある人は前に出てきて話してください」と言われても、なかなかアイデアを話す人は出にくいでしょう。軽食を食べて交流し、でたらめのピッチ練習で「バカなことを言っても良いんだ」という雰囲気ができあがって、半分以上の人がアイデアを発表するのを目の当たりにして、これはすごいな、と思いました。

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そこからチームができあがるまでのプロセスも非常に興味深いものでした。
30人のアイデアから、9つのチームに絞られたのですが、どうやってアイデアを絞り、チームメンバーを決めていくのか。

発案者は自分のアイデアを持って立ちます。アイデアがない人が、さらに詳しくアイデアのある人の話を聴き、「この人のチームに入ってみたい」と思うチームにポストイットを貼っていきます。あまりポストイットが集まらない人は、他のチームとくっついたり、自分のアイデアを諦めて他のチームに入ったりします。ここがすごく面白い。

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表面的には非常に楽しくおしゃべりしているように見えて、実は結構シビアです。一種の生存競争です。自分のアイデアに人が集まらなければ、他のチームとくっつくか入るしかなくなるので、交渉をしたり、他のアイデアを聞いたりしなくてはいけません。そういうプロセスが同時並行的に行われ、良質なアイデアや、人の心を動かす話ができる人のところに人が集まっていきます。そうやって9つのチームができました。

最終的には、はじめからチームメンバーを多く集めていたGo! Go! CoWorkingチームが優勝しました。他にも、今回も魅力的なアイデアがたくさん生まれました。

最終のプレゼンの様子はこちら↓

このようなプロセスを聞くと、話がうまい人や、人に好かれやすい人が有利になり、客観的にアイデアが評価されないのではないか、と一瞬思ってしまいます。しかし、いや待てよ、と思うんです。よくよく考えてみれば、まさに起業なんてそういうプロセスそのものだと思います。

ともだちに「一緒に会社をやろうよ!」と声をかけて、一緒にやってくれるかどうかなんて、アイデアの善し悪しだけじゃなくて、「こいつとなら何とかなるかも知れない」という賭けに出られるかどうかです。さらに会社を大きくしていけるかどうかは、いろいろな得意分野を持つ人に話しかけて、やりたいことを共有できるかどうかにかかっています。

自分のアイデアを人に話したり、生き残りを賭けて仲間を集める、といった体験は、日常的にはあまり体験することではありません。しかし、こうした機会を通じて、アイデアを出して人を動かすスキルを多くの人が磨き、優れたアイデアを実際に社会の中に実現させていくことによって、起業が増え、社会がさらに面白くなり、成長していくことにつながると確信しました。

ぜひ若い人や、起業なんて考えていないような人でも、この「楽しい生存競争」のプロセスを体験して欲しいと思いました。
次回またぜひお会いしましょう!

2011-11-19

なぜ今、ブログなのか

はてなブログを11月7日にベータリリースしました。
リリース以降、予想を上回る勢いでベータ版の利用申し込みを頂いており、上限を拡げるたびに、すぐに人数が上限に達する状態が続いています。
先日の500人追加応募の際は、募集開始1分で160人の応募がありました。驚くべき勢いです。
日本のブログブームが本格的に始まったのは、はてなダイアリーをリリースした2003年から。まさにはてなダイアリーが日本のブログブームのきっかけでした。
それから8年後の今、なぜ改めて今、ブログなのでしょうか。

つぶやくだけが、文章じゃない

ブログには当初、「自己表現ツール」と「コミュニケーションツール」の2つの要素が含まれていました。
文章や写真を使って表現をする仕組みに加えて、コメントやトラックバック、リンク元表示などでお互いにコミュニケーションをする仕組みを内包していました。
ブログが出始めた当時、自由にテキストを書き込めるサービスは掲示板かブログくらいに限られていました。人とコミュニケーションを取りたい人のニーズをブログが受け持つのは自然な流れでした。
特に、掲示板のような発言者の人格が見えにくい場所ではなく、ブログという、いわば「ネット上の人格」を持ち、その上でハンドルネームを使用したコミュニケーションを行うことによって、「相手が誰なのか」を知りながら話せる安心感をブログが提供し始めました。コミュニケーションには、「次第に相手の人格を知りたくなる」という自然な性質があります。ブログがそのニーズを吸収しました。
しかし、コミュニケーションにはさらに、「リアルタイム性を志向する」という性質があります。なかなか返事が来ないよりも、すぐに返事が来る方が、誰だって嬉しいわけです。
twitterの登場によって、文章は短文化し、リアルタイムになりました。facebookの投稿も短文です。コミュニケーションのニーズは、ミニブログやSNSが受け持つことになりました。
ネットで知り合った人や、ともだちとコミュニケーションを取りたければ、twitterfacebookでつぶやけばよくなりました。

はてなブログにはトラックバックを組み込みませんでした。しかしベータ版開始以降、一度も「トラックバック機能を付けて欲しい」という要望をもらっていません。ブログから、「コミュニケーションツール」としてのニーズが消えてきている事をよく表しています。

しかし、つぶやきだけが文章ではありません。どうしても140文字では表現できない内容があります。
たとえばこのブログがまさにそうです。こうやってまとまった量の考えを、つぶやきで表現するのは至難の業です。

「フロー」と「ストック」という概念があります。フローはどんどん流れていきます。ストックは長く生き残ります。
twitterはフローです。ブログはストックです。
まとまった考えを書いたなら、後からでも見てもらえるようにストック側に残しておきたいものです。

そんな難しい内容ばかりではありません。たとえば旅行の記録は、写真と文章をまとめて残しておきたいわけです。子供の成長を毎日育児日記に記録したりするにはブログが必要になります。
コミュニケーションツールの分離によって、ブログの役割が、より明確になりました。
まとまった量の文章や写真を表現するためのツールになりました。
改めて、その役割が明らかになりました。

今なら、よりシンプルにブログを作る事ができます。
はてなブログは、新しいブログのニーズに沿った、シンプルなブログになりました。

ともだちだけが、社会じゃない

SNSの登場によって、インターネットに巨大なプライベート空間ができあがりました。
多くの人は、どこの誰か分からない人と議論をするよりも、ともだちとおしゃべりすることを好みます。
携帯をスマートフォンに買い換えて、facebookを始め、ともだちを作り、そこから初めてインターネットに文章を書いたり写真を投稿したりする人が増えています。インターネットに投稿する入り口はSNSになりました。

ともだちとおしゃべりしている方が敷居が低いし、頻度も高くなるのは、実社会のコミュニケーションを想像しても自然な事です。
しかし、まさにその実社会を考えれば分かるように、おしゃべりする相手はともだちだけじゃありません。それだけではあまりに退屈です。
自分がプログラマなら、同じ技術を学んでいる技術者が集まる勉強会に出かけます。
起業家は起業家が集まるカンファレンスに出向きます。気の合う社長に会いに行きます。
子育てしている母親は、子育て仲間が集まる場所に出かけます。
自転車に乗って上達したら、レースに出てみたくなります。

ともだちだけが社会ではありません。人は、自分の興味があること、自分が専門としていることを通じて、もっと社会とつながりたいと思っています。ともだち以外の人とつながりの生まれる場所に行きたいと感じています。

ソーシャルネットワークは、"social"という言葉を持ちながら、あまりこういうニーズには応えていません。既に知り合ったソーシャルな関係を定着させることには使えても、新たなソーシャルネットワークを開拓する事には使えません。

新しい社会とのつながりを提供しているのは、むしろオープンインターネットの領域です。巨大なプライベート空間であるSNSに対する、検索エンジンで到達可能なオープンインターネットの領域に、新しい出会いが満ちています。

大学時代、僕は研究室の自分のホームページに写真をアップし続けていました。
1日数十人しか来訪者がないこじんまりとしたホームページでしたが、京都の街並みや、友人のポートレート写真などを加工して掲載し続けていました。
しかしある日、大学のとある先生が突然、「君の写真のファンだ」と言いました。
その一言は、僕が写真の仕事を目指すきっかけになりました。

ともだちではない人との出会いやつながりこそが、人生の転機になります。
ともだちとのおしゃべりからは、連続的な日常しか生まれません。昨日までの延長です。
未来に向かって、新しい人生を切り拓いてくれるのは、社会との新しい接点です。

巨大なプライベート空間であるSNSが出てきたことで、オープンインターネットの役割もまた明確になりました。
オープンインターネットの中に、ブログという人格を持つことで、社会との新しい接点が生まれ、人生に新しい展開が生まれるのです。

「個」の時代へ

日本の社会では「組織」の存在が非常に大きいと思います。

「ABC株式会社」で課長をやっている斎藤さんなら、「斎藤さん」である前に、「ABC株式会社の課長」である、ということが、まず社会に対してのアイデンティティになっている場合が多いように思います。

会社が、社員がブログやtwitterに自由に発言するのを好ましく思わず、そのために興味はあってもブログは書けない、という人も多いのではないでしょうか。

しかしその会社も、これからどうなるのかは分かりません。「個」としての活動の比率は、もっと高くても良いと思います。
実名で活動するのが難しければ、ネットの人格を別に作ってハンドルネームで活動すれば良いわけです。

あるいは家庭にいる人も、活動範囲を家族とともだちだけに限定する必要は何もありません。

ブログという人格を持ち、自分の日常を綴ること。自分が好きなこと、専門としていること、大切にしていることを表現し、「個」としての活動を始めること。
「個」としての活動が、人生に新しい展開を持ち込み、より豊かな人生につながります。


ブログはこれから、さらに重要なツールになっていきます。
ブログを始めてみませんか。
きっと、思いもよらぬ出来事が、あなたを待っています。

2011-11-10

日本を救った人たち

TEDxSeedsでの東京消防庁、佐藤さんのお話。

東京消防庁ハイパーレスキュー隊を率いて、福島第一原発に命がけで乗り込み、給水を成功させた人たちの物語。

その時、現場ではどんな人が、どんな思いで動いていたのか。生々しいお話しを非常に簡潔に、分かりやすく語られています。

日本人は一度見ておいて損はないお話しだと思います。

消防庁の方のお話しがなぜこれほどインパクトがあるのでしょうか。その辺の政治家や官僚よりも、よっぽど面白いです。

と、言う話を、市役所で働いていた父親と話していたら、市役所でも消防署の職員の方のスピーチはだいたい素晴らしいという定評があるらしいです。
まず、規律がしっかりしているから礼儀がなっている。立ち振る舞いが美しい。
それから、常に緊急の現場を動かさないといけないから、普段から明確な言葉を使わないといけない。曖昧な指示や、余計な言葉が命取りになる。
なるほど、と思いました。
そんな明確な言葉が使えるようになりたいものです。
2011-11-09

メニエール病?

1ヶ月くらい前から少し耳鳴りがし始めて、なかなか治らないなあと思っていました。

昨日会社で栗栖さんと話していたら、突然これまでにないくらい右の耳が聞こえにくくなって、なんか水の中にいるような状態になったので病院に行ってみたらメニエール病かも知れない、と言われました。

病院まで歩く途中で、平衡感覚が狂っているようで、酔っ払ってもいないのにふらふらして奇妙な感じでしたが、どうも難聴とめまいを併発する病気のようです。原因はストレスだとか。

参考:メニエール病

それほど症状が重いわけでもありません。薬をもらって帰ってきました。

会社のメンバーと話していたら、周りや知り合いにもちょくちょく同じ病気の方がいるようで、割と一般的な病気のようで安心しました。

そういえば最近仕事もプライベートも思いに任せてあれこれやりまくっていて、ろくに運動もせず不規則な生活になっていました。段々歳も取ってきていますし、昔の感覚で無茶をしてたらみんなに迷惑をかけそうなので、もうちょっと体のことも気にしようと思います。

2011-11-08

せんだいメディアテーク

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東北を巡った時に、せんだいメディアテークに立ち寄りました。

伊東豊雄さんが設計した建築です。

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構造が面白いんです。

まず、フロアの床となる板があります。その板を、円筒形の柱が支えています。円筒形の柱は斜めのものもあり、中が空洞になっていて換気口になっていたり、エレベーターや階段が入っていたりします。

基本的な構造はそれだけです。構造としての壁がほとんどありません。

ガラスを全面に使った外装と、壁の少なさから、外から見た時の印象が非常に透明な印象を受けます。

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僕は透明な建築が好きです。

建物はある程度以上大きくなると、必ず公共性が出てくると思います。それ自体が街の一部となるからです。

街の一部ですので、街と調和して、住んでいる人に居心地良く感じてもらう建築が良いと思います。

透明な建築は、外と中を空間的に区切りながら、外の人と中の人に関係性ができます。

建物の中で熱心に本を読んでいる人がいるなあ、とか、ちょっと中に入ってみよう、と思えるような建物は面白いですね。