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【芸能・社会】

ロケ中に被災 サンドウィッチマン 昨年いた気仙沼漁港で黙とうする

2012年3月11日 紙面から

「家族の絆を強く感じる」という伊達みきお(左)と「赤ちゃん用品をどうやって調達したらいいのか考えた」という富澤たけし。父親になったこともこの1年での大きな出来事だった=東京都品川区の事務所で(稲岡悟撮影)

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 気仙沼漁港でロケ中だった昨年3月11日。サンドウィッチマンの2人は、巨大な揺れに直撃されたが、伊達みきお(37)は「逃げる気はなかった」。スタッフの機転で高台に避難していなければ、津波にのみ込まれていたかもしれない。当時の光景を「この世の終わりのようだった」と振り返った。

 その日のうちに東京にいる妻や仙台の実家の家族の安否は確認できたが、実家周辺はライフラインがストップ。伊達も富澤たけし(37)も「こんな時に仕事どころじゃない。正直帰りたくなかった」。が、両親の言葉に背中を押された。

 「この状況を全国に伝えることができるんだから」

 車で10時間かけて東京に戻ったのが13日。富澤は、自分のブログを安否情報に使うよう呼び掛け、伊達は「必ず復興します!日本をナメるな!東北をナメるな!」と書き込んだ。すぐに東北魂義援金口座を開設、街頭にも立ち、たちまち2億9722万円が集まった。浄財は被災6県に直接出向いて手渡した。今月5日には、さらに5100万円を3県に届けた。

 3月18日深夜には長年の夢だったニッポン放送「オールナイトニッポン」に出演。一日中ニュースや生活情報などで埋まっていた東北放送が、2時間だけ枠を空けた。重い空気を少しでも振り払ってほしい、そんな思い。「震災後、初めてのバラエティーでどうしようか考えましたけど、後から聞いたよって言ってもらえて本当にやって良かった」と伊達。通常の約5倍1万通のメールが寄せられた。

 秋には、仙台湾に浮かぶ桂島でカキ養殖の復興にかける男性を手伝う番組のロケに出掛けた。30分ほどに編集されたが、5日間付き合った。本気の作業で汗を流し「カメラの回ってないとこでイカダ作りとか手伝ってましたね」(富澤)と今では笑い話だ。

 石巻市立渡波小学校に2年生まで通っていた伊達は、サラリーマン時代には郡山市に3年間住み福島県内を回っていたことがあるだけに、別の歯がゆさもある。「福島には行きたいんだよね。まだまだたった1年。建物や人の心は多少は復興してるんでしょうけど、さらなる支援が必要」と放射能問題を抱えた土地に思いを寄せた。

 この1年、よく泣いたという2人には、うれしいこともあった。富澤は昨年4月27日に男の子を、伊達は今年1月12日に女の子を授かった。ともに初めての子。厳しい毎日の中、ホッと癒やされた。

 今一番言いたいことは、「ボランティアだけじゃなくて、(東北は)いいとこいっぱいあるんで遊びに来てください」(富澤)、「そうそう松島なんか、もう観光地に戻ってますから」(伊達)。松島町長から直々に依頼された松島観光大使でもある2人は、そう呼び掛けた。きょう11日は、昨年立っていた現場で黙とうを捧げる。(本庄雅之)

 ◆仙台市 「杜の都」とうたわれる東北最大の都市。江戸時代のお家騒動“伊達騒動”でも知られる。人口約115万人。東北楽天イーグルス、ベガルタ仙台の本拠地。1945年には空襲で3000人近くが亡くなった。冷やし中華発祥の地、牛タンが有名。東日本大震災では、市民872人が亡くなった。一部損壊を含め家屋の被害は約15万棟。

 ◆サンドウィッチマン ともに仙台市泉区出身で仙台商業高校ラグビー部の仲間だった伊達みきお、富澤たけしが1998年に結成。下積み時代は板橋区内のアパートに10年近く同居。2007年M−1グランプリ王者になってブレーク。大会唯一の敗者復活枠からの優勝だった。レギュラー番組は東北放送「ぼんやり〜ぬTV」、TBSラジオ「10分もらえたぜ」など。チャリティーライブを不定期開催中。

 

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