2012-03-09 前橋 煥乎堂での手話リンガルイベント 
遅くなってしまいましたが、
群馬県前橋市の書店、煥乎堂で行われた手話リンガルイベントに参加してくださった皆様、
どうもありがとうございました!!!
イベント前日は、とってもポカポカと温かな日差しの一日でしたのに、イベント当日の朝は群馬実家に住む妹から真っ白な雪景色の写真つきメールが。
「スゴイ雪です!!」と。
思えば私が群馬の実家に帰省したりするときは、必ず大雪が降ってくれます。
大学受験から戻った日も大雪でのお出迎え。
成人式というハレの日。久しぶりに帰省した時も大雪の中の振袖。
いつのころからか雪女と言われ、今回もまた雪辱を晴らせず。
会場に来てくださった高校時代の先生も
「果林らしいイベント日和」と一言。笑
地元でのイベントというのは、いつもとは違ったプレッシャーもあるもので珍しく緊張していた私です。
でも、舞台袖で出番待ちの時、同行してくださった明治書院の方が、突如
「本番五秒前!5・4・3・2・1カチンっ!!」
スイッチが入りました!
NHK収録の時みたいで。
今回は、手話トークの中で、群馬県民ならだれでも知っている「上毛かるた」を手話で紹介したりもしてみました!
「上毛かるた」とは、群馬の歴史や観光地などを紹介した群馬ならではのかるた。
生まれて一番最初に与えられたかるたが「上毛かるた」だった、という人は結構多いのではないでしょうか。
私も、かるたといえば「上毛かるた」しか知らず、この世に「いぬぼうカルタ」などが存在すると知ったのは、ずっと後でした。
今でも、
「い」伊香保温泉日本の名湯
「み」水上谷川スキーと登山
などと、ソラで言えたりします。笑
話がそれました。
今回のイベントには、小さなお子様もたくさんおり、にぎやかに和やかに。
高校時代にお世話になった先生方のお顔を目に留めて思わず胸がいっぱいになってしまったり。
皆さんの顔の表情がとっても豊かで、私自身も気持ちが入り込み、とても楽しい時間でした。
素敵な機会を作ってくださった煥乎堂のみなさま、明治書院のみなさま、関わってくださったすべてのみなさまに、心からお礼を申し上げます。
本当にどうもありがとうございました!!(ありがとう手話で)
終わった後は、弟の経営する居酒屋舟宿へ。
駅に着いたら、イベントに参加してくれた中学の同級生が、子ども二人と待っていてくれました!
小学生のかわいい少女二人は、感想文を書いて見せてくれたのですが、しっかりとした文章に感激。
ipadを使って筆談でお話をしたり、手話であいさつをしたりと、嬉しい時間を。
その後、舟宿で乾杯。
翌日早朝から、息子の部活のイベント「親子サッカー」があったため二時間程度しかいられなかったのですが
久々の弟の手料理を肴に、短い時間で一生懸命飲んで、沢山の方に見送られながら(涙)帰りの新幹線に飛び乗りました。
翌日、朝から「親子サッカー」に参加し、三試合出場し広いグラウンドを駆け回っておりました。
数日後、足にたくさんの青アザが。
走り回ったわりに、ボールにはあまり触っていないので、だれかと接触したのでしょう。
いやもしかしたら、前夜のもの?
2012-03-02 イチオシのパフォーマー「Hand Sign」 
二月がいつの間にか終わり、三月突入。
息子も間もなく小学校卒業となり、卒業イベントが数日おきに続いております。
色々とブログで綴りたいこともありますが、取り急ぎ
イチオシのパフォーマー?ダンサー?
「Hand Sign」のご紹介。
http://ameblo.jp/handsign2005/
手話でのダンスパフォーマンスをやっているグループです。
知り合ったきっかけは、メンバーの一人が「手話リンガルイベント」に参加してくれたこと。
聞けば聞くほど、メンバーひとりひとりの経歴が興味深いのです。
そんな彼らが、「EXILE魂」という番組に出演するというお知らせをいただきました。
興味のある方は是非みてみてくださいね!
手話ってカッコいい!!
と素直に思えるダンスパフォーマンス!
日本を元気にするパフォーマーのコーナーに出演とのこと。
寒くて長かった冬の疲れもたまるころ。
(私は夏より、冬のほうがずっと元気で風邪ひとつひいておりませんが!笑)
みんなで元気になりましょう!
2012-02-24 石巻市を訪問し 
震災後一年近くとなってやっとのことで、東北を訪れることができました。
きっかけはお世話になっている編集長が、バスツアーを企画してくださったこと。
仙台からバスを貸切り、石巻赤十字病院で震災当時の取り組みの講演を聞き、院内施設見学。
その後、仮設住宅、高台にある日和山公園から市内を展望、日本製紙石巻工場、門脇小学校、石巻魚市場、渡波、女川町立病院、雄勝町、最後に沢山の児童が犠牲になったという大川小学校。
一日で回るというハードなスケジュールですが、日帰りで参加できるのは一応主婦でもある私にとっては都合よく、手話通訳の友人とともに参加しました。
事前にすすめられて読んだのは「石巻赤十字病院の100日間」という本。
震災当時、ロビーは簡易ベッドで埋め尽くされ、水や食料、医薬品が底をつき、それでも押し寄せる患者とどう対応したのか。
不眠不休の極限状態の中での、医師、看護師、病院職員たちの記録が綴られています。
頭の中で想像はしていたものの、現地に足を踏み入れ
自分の目で見て、肌で感じて、その地を歩くという実体験は
想像をはるかに超える「被災地の空気」を感じることができました。
石巻赤十字病院の取り組みを伺い、実際に病院内を歩いて
ここが数知れずの傷病者であふれかえった場所なのだと
想像するだけで言葉を失いました。
当時の激しい揺れから医療器具や装置を守ったのが、免震構造だったとか。
講演後に、地下にあるその構造を見学しました。
激しい揺れを吸収したバネは変形し、ボルトもすべて揺るんでしまっていたそうです。
驚くほどダイレクトに感じた潮の香りが忘れられません。
震災前だったらきっと、あの海辺の更地に様々な建物があり、人々の営みがあり
生活の温かなにおいを感じられる場所だったのでしょう。
それが今は遮るものもなく、海の風がどこまでも吹き渡っていくのです。
あそこにいた方たちはいったいどこへ…果てしない疑問がぐるぐると頭をまわります。
女川町立病院でバスを降りたとき、「何度もニュースで見た建物だ!」と思い出しました。
この病院は、海が近いものの10mの高さに建っています。
それでも病院の1階入口の柱に、1m92cmのところまで津波が上ってきたという記録が刻まれていました。
病院の下にあった建物は、横倒しになっており言葉を失う光景。
そして児童74名、先生10名の命が奪われ、4名の行方が今もわからない大川小学校。
近代的でおしゃれな造りの建物は、廃墟のように寒々しく、校庭はぬかるんでいました。
校舎と体育館をつなぐ渡り廊下は崩れおち、離れたところには場違いなほどカラフルな投てき板のような壁が残されていました。
卒業生たちが描いたイラストでしょうか。
銀河鉄道のイラストが大きく描かれ、
その中に
「未来を切り拓く」という言葉も書かれていました。
この子たちの失われた未来を、切り拓いていくのは
残された私たちなのだと強く心に留めました。
校庭の奥には山や竹藪が。
急な傾斜でしたが、どうして逃げなかったのかと、同じ小学生の母親として胸が痛む思いです。
様々な現実を目の当たりにし、まだうまく言葉がまとまりません。
帰りのバスの中から光をあびて静かに凪いでいる海と、北上川と平野を染める夕日があまりにも美しかったのが頭から離れません。
幾千万もの人々の命を奪い、生活を奪い、未来を奪った海。
それなのに、
それでも美しいと思えてしまうなんて。
これまで何度も周囲の人から、見るだけでも行ってみたほうがいい、と言われていました。
今回やっとのことで機会をいただきました。
間もなく一年。自分の目で見たことこそ本物だと、改めて思いました。
シンケンマスター
百聞は一見に…ですね。何かできることはないか?考えさせられます。
ハチ
ハチです。前橋での講演会お疲れさまでした。手話の実演をしながら皆さんでやって過ごした講演はあっという間に時間が過ぎてしまいました。懐かしい高校の頃の
先生にもお会いできとても懐かしかったです。楽しい時間をありがとうございました(o ^-゜)b゛
kazuki
訪問、ごくろう様でした。
あの悪夢のような出来ごとから早くも一年近く経ちますね・・・
ここは九州なので、実際には中々現地に訪問することはできません。
テレビやマスコミ、人伝えで聞いたり見たりする情報だけです。
行政や自治体も一生懸命動いて復興に向けて動いているのでしょうが・・・
行政や国の予算の使い方や福島の原発の今を見ると・・・
何してんの・・議員の先生方、官僚の皆さま方・・・て思うな。
まだ一年しかたっていない・・いや、もう一年過ぎたんだよ。。
時の流れの速さに付いて行かないと、次の災害がいつくるか解りません。。
2〜3日前、息子が色画用紙工作で作ってたジオラマ・・表題は「エコタウン」とついていました
前不細工ですが(笑)「よくできたね〜!」と褒めてあげると
「このタウンさ、津波来ても大丈夫なんよ!」と・・・
子供は子供なりに、今出来る事。
あの悪夢のような出来事も心に刻み込んで勉強していました。
なんとなく、先生や役人の批判めいた事書いてしまいましたが・・私自身何ができるのでしょうか・・。
karinmatasumori
シンケンマスターさま
ホント、百聞は一見にしかず。ですよね。
継続的なボランティア活動などをしたいというのが本音ですが、
忘れないでいること、伝え続けていくこと、これだけでも価値はあるのかなと思います。
karinmatasumori
ハチさま
前橋での手話リンガルイベントにお越しくださり、ありがとうございました!
その後、手話は楽しまれていますか?(^^)
私も皆さんの笑顔を見ながら進めていたら、あっという間に終わってしまった感じです。
高校時代の先生との再会も嬉しいものでした。また群馬での機会があったときにはよろしくお願いいたします!
karinmatasumori
kazukiさま
いつになく、マジメにありがとうございます。笑
そうそう、子供は子供なりにいろいろ感じて、考えているのでしょうね。
きっとみんなが自分にできることはなんなのかと、問いかけていることでしょう。
最近、千葉周辺での地震が相次いでおり、またまたちょっとした揺れにも敏感な生活をしております。
でも、九州でもどこでも、心配してくれている人がいる、というだけで励みになるものです。
エコタウン、住んでみたいな〜!!
2012-02-16 障害の受容って? 
「障害を受け入れる」
「障害を乗り越える」
巷でよく聞く言葉。
障害を負ったら受け入れなくてはならない。
障害は乗り越えなくてはならない。
それが一般世間の考え方のようだ。
若いころに聞こえなくなった私自身もなんら疑うことなく、自分の障害を受け入れることに、乗り越えることに一生懸命だった。
でも、きっと、言葉で片づけられるほどそれは単純なものではないのだと思う。
なぜならば、受け入れることにも、乗り越えることにも、人生が続く限り終わりはないから。
ただ、自分の障害と正面から向き合い、客観的に知ることはとても大切。
もう10年も前、講演会場で「私と同じように聴力を失いつつある高校生がいる」と、女の子を紹介された。
その時の彼女は、何年か前の自分と同じように頭をうなだれ、目に光はなく、たとえようのない暗い影を抱いていた。
講演後、懇親会の場で彼女の話をひたすら聞いた。
当時手話ができなかった彼女は、裏が白い新聞広告をたくさん持ってきていて、心の内が走り書きとなってつづられた。
何枚も何枚も。
ひたすら無言で書き綴る彼女の姿は、かつて私も経験したものだった。
コミュニケーションが絶たれるたとえようのない孤独感。
さびしさ。やるせなさ。
原因が分からないことへの腹立たしさ。
自分の意志とは関係なく聞こえなくなっていく耳。
それはぶつけようのない怒りとなって鬱積してゆく。
「聞こえてさえいればできるのに」
自分が自分らしくいられない状態が続き、人格が破壊されていく。
何もかもがめちゃくちゃになってしまえばいいのにと、家族や友人につらく当たり、自分を取り巻く世界を呪う。
聞こえる人全員が憎いと思ったし、そんな自分の思いに歯止めもきかなかった。
あのころの自分は、悲しみと苦しみと怒りと憎しみに満ちていた。
周りをせめて、自分をせめて、
そして向かうのは、「自分さえいなくなれば、家族や友人につらい思いをさせることもないのに」という思い。
自分が助かったと、わかったとき、私は
「生きててよかった」とは思えなかった。
「ああ、また明日から同じ一日が始まるのか…」と。
それでもなお生きなくてはならない現実に、
光なんか全然見えなかった。
目の前の彼女が、かつての私に重なった。
その後彼女は、大学に進学し、少しずつ少しずつ、自分の足で歩み始めた。
彼女からもらった大学の卒業論文は私の宝物でもある。
それは、彼女の社会関係の喪失と再構築について、自分自身の失聴と徹底的に向き合った心境が客観的につづられた見事なものだった。
その中に、「障害の受容」についても書かれている。
彼女の論文によれば障害受容にはこんな過程があるという。
1、ショック、混乱期。
障害という事実が理解できない。実感もなく、障害を受けた今の自分を否定する。
2、回復への期待、怒り、退行。
回復への期待を捨てられない。今の状況に対し理不尽であると怒る。生きづらい自分を体験し始める。
回復のみを期待することで、防衛的に障害を否認する。
3、取引き、抵抗、抗うつ。
回復するようにと神との取引を願う。何とか以前の自分に戻りたいと抵抗をする。徐々に受動的になり、できないことをあきらめ、悲観に暮れる。
4、適応努力。
少しずつ自分の状態を理解し、受容し始める。障害を受け入れようと前向きの姿勢が生まれる。
5、受容、適応。
自分の状態を理解し、障害を自分の一部として受容するようになる。今の自分が現実的に生きることを模索する。
ああ、自分にもそんな過程があったなぁと思う。
そこには「受容」という安易な言葉だけではなく、あきらめもあったり、割り切りもあったり、煮え湯を無理やり呑み込む、そんなこともあった。
そしてそれらは、自分だけで解決できるものではない。
自分を取り巻く家族や友人、関係者や社会全体の理解も大きくかかわっていく。
大勢の中での関係の中で私たちは生きているのだから。
だから、いろんな人を受け入れられる温かな社会づくりに、少しでも貢献していきたいと思うし、自分自身もそうでありたい。
彼女は今、しっかりと自分の足元を見つめ、いろんなことを話してくれる。
とても純粋で、一生懸命な彼女だから、自分が納得できないと次に進めないところもある。
自分自身でもよくわかっているみたい。
でもね、自分自身も含め人間社会や世界のことは理屈では説明できないことのほうが多い。
だから、なんでも根を詰めて考え込まず、時には何とかなると思ったほうがいい。
生きてさえいれば、たいていのことは何とかなる。
何とでもなるもの。
障害の受容だとか乗り越えるとか、美徳めいたことに惑わされないことも大事!
自分が自分らしくいられるように、もっと笑わねば!
ひろろん
私は30代で難聴になったので聞こえていた記憶はたくさんあって想定はしやすく口を読み取れるけどそれでも障害ですごい葛藤し悩みました。まわりの途中失聴者はほとんどがそうではないでしょうか?ほかの障害でもこの間まで健常者だったのに障害者になった葛藤は同じと思う。聴覚障害者は、見た目でわからないから理解されにくいとの話ですが 肢体から「みえてわかる障害でも健常者に理解されにくいのは同じ、かくせれるなら隠したい。見た目で障害とわからないそちらのほうがうらやましいわよ」とありましたから。 一番葛藤しなやんでたときに松森さんの本をみつけてむさぼるようによみ、とどめどなく泣きました。おかげで私は前向きになれたので ありがとうございます。
karinmatasumori
ひろろんさま
いつもありがとうございます。
いくつもの葛藤と悩みの底から、いかに光を見つけるか。本当に大変でしたね。
そんなときに私のエッセイ「星の音が聴こえますか」を見つけてくださったとのこと。嬉しいなぁ。
今は入手できないのが残念です。(自分の手元にも一部しかなくて…)
そして、「聴覚障害は外見でわからないから理解されにくい」。
でも、「隠せるなら隠したい」という声にもハッとしました。
比べられるものではないけれど、それぞれの視点でいろんな思いがあるなぁと。
新しい視点を教えてくれたひろろんさんに、こちらこそ感謝です。ありがとう❤
みつち たけし
文章を読みました、人は全く同じ考えをしている人はいないので。僕は、病気が原因で徐々に聴力は落ちてきたのでいずれは聞こえなくなるとは感じていました、失聴した時は学生生活の卒業まじかだったですが、周りは聴者と聞こえに対して全く知らない人ばかりでコミュニケーションが口話と筆談では時間がかかって結構難しかったです、どん底に突き落とされて死んでやるとは思いませんでした、逆にどうしたらよく病気と向き合うかを考えて、これからコミュニケーションをとらないと話もできないし相談する方法もなくなってしまいます。一年間は、仕事をしないでデイサービスと手話を覚えていました、手話がおるのとないのではかなり生活とコミュニケーションが変わっていったし、主治医から「人工内耳」の手術を東京で出来ると話はありました、家族からしてみれば聞こえてくれた方が話はしやすいと思いますが、色々調べると手術後にあう人とあわない人がいるらしくコミュニケーションがちゃんと取れているので手術をしてからも手話を使うと意味がないのではとも思っています。聞こえの回復は、全く音も入らないですが、そのままでもよいと思います、聞こえなくても生活はできていますし、だいぶん社会は理解は増えていますし、聞こえない人が周りにいないと理解を増やすこともできないので、僕は、聴者とろう者の世界を経験していることはすごく良いことになっています。悪いことばかり考えても仕方ないし、聴覚障害者の書いてる本もあくまでこれからの生活の参考にもなるし、ただ一番思うのは、テレビドラマで、聴者がろう者を演じたかわいそうな存在に見せている影響はよく誤解を招いてしまうので、もっと「ゆずり葉」やおしだりあきこさんの「アイラブ」シリーズ見たいな作品を作るようになればよいのと、やっぱりろう者自身が困ったことは言っていかないと理解をされるのを待っていてもなかなか変わらないと思います。旅行が結構好きなので、一人で行きますが、手話を使える人がたいていはいないので筆談対応になりますが、筆談は聴者が経験ないみたいで、結構どのように伝えたらよいか迷うところもあるみたいです。
結局は、外見から判断が難しいなら、自分で言わないとわかってもらえないことなので、時間はかかるけど、だまらないようにしています。
あられ
三重のあられです。
何度も何度も読ませていただきました。
あたしも友達には、難聴ってゆってはいたんですが、どの程度の難聴なのか、みんなもどう対応していったらいいか分からなかったみたいです。
だから、今の自分の耳の聞こえを分かりやすく、絵にかいたり、オージオグラムに書いたりして手紙にしました。
みんなからの返事に感動しました。
『ありがとうっ!どう対応したらいいか、分からんだけど、これ読んですごくよく分かったっ!』って、みんな喜んでました。
この手紙を書くまでは、みんなに迷惑がかかるから何も言わないでおこうと思ってました。だけどいろんな人の意見を聞いて書こうと思いました。
それからは、みんな分かりやすいように、口を大きく開けて話してくれたり、手話ををしてくれてり、ジェスチャーをしてくれます。
こないだ、レストランでナプキンに、絵や字をかいてすごくおもしろかったです。
かりんさんの本に書かれてたのと似てるなぁ~と嬉しくなりました。
こうやって、周りの家族や友達に支えられて生きてるんだなと、ヒシヒシと感じて、感謝の気持ちでいっぱいです。
耳が不自由になっていっても、今まで知らなかった世界を知ってく事ができて、本当に感謝やなぁって思います。
あ~早く、かりんさんに会いたいな(笑)
ちなみに、あたしの地元の田舎(笑)の駅もユニバーサルデザインのシールが張られてまました!
長い間、工事してもらってみんなが使いやすい駅になったんやなぁと感動しました
karinmatasumori
みつちたけしさま
いつもありがとうございます!
みつちさんの前向きな考え方と行動に、励まされた方は多いと思います。
おっしゃる通り、外見でわからないので自分から発信していくことがとても大切ですね!
それと、テレビドラマの話題。私も同感です!
「かわいそうな聴覚障害者像」いつの時代の話だ?!って突っ込みたくなるものが多くありますね。笑
もっとパワフルで、はちゃめちゃな(笑)障害者がでてきたっていいじゃん!って思いますねー。
結局のところ、聞こえるとか聞こえないとかではなく、自分が自分らしくいられること。楽しく笑って過ごせること。
これが大事なんだと思います♪
一日百笑!!
karinmatasumori
あられさま
何度も読み返してくださり、ありがとうございます。嬉しい。
聞こえなくなって、なおさら、「どうしたら相手に分かりやすく伝えられるか」ということを意識するようになりますよね。
ご自身の説明を書いた手紙を受け取ったご友人は、とても嬉しかったことでしょうね。
直接聞きたくても、どう聞いたらいいのかわからないということもあったでしょうし。
手話だけでなくあっちこっち筆談!も、みんなで楽しめる雰囲気を作ってるあられさんはさすが!
それはもう、あられさんご自身の魅力なのでしょう♪
私も、お会いできる機会を心待ちにしております!!
田舎の駅にもユニバーサルデザイン!!嬉しいですねぇ〜〜笑
2012-02-11 筑波技術大学で講演 
来週2月14日、母校の筑波技術大学にて講演会があります。
「地域連携に関する講演会」として一般公開されております。
無料でご参加いただけますので、興味ある方は是非いらしてくださいね。
◆誰もが楽しく暮らせる社会づくり
―井戸端手話から羽田空港まで―
◆2月14日(火)13:30〜15:00
◆筑波技術大学天久保キャンパス 大学会館講堂にて
(つくば市天久保4−3−15)
◆情報保障として手話通訳、PC文字通訳、音訳サポートがあります
◆詳細案内
http://www.tsukuba-tech.ac.jp/announcement/ntut_2011012301.html
母校で講演させていただくのも何度目でしょうか。
とても光栄なことです♪
筑波技術大学で、私は手話の世界、聞こえない世界、そしてユニバーサルデザインという言葉と出会いました。
自分の聴覚障害について学べるのが面白かったし、アメリカ西部キャンピングカーでの珍道中、クラス女子だけのサイパン旅行、伝説の珍事件が起きた韓国旅行(エッセイ「星の音が聴こえますか」で紹介)、クラスメイト全員で捨てられているパンを拾って食べていたフランスイタリア極貧卒業旅行。
今思えばやりたい放題でしたが、
「やってみればなんでもできるじゃん!」と
実体験を通して、たくましく生き抜く知恵と力を学んだ場所です。
段ボール生活だって、やりました!
見かねた友人が、寝袋を貸してくれたりしたなぁ。
大学時代の写真を見ると、出てくる出てくる。
これでもかというくらいの酔っぱらい写真が……。
あんなにマジメに講義を受けて勉強もしていたのに!
清水
久々に書き込みます。
果林さん、得難い経験されましたナア…、でも若い頃の海外経験は良いものです。私の経験は殆ど業務で言っておりましたが、ロシアのツンドラ掘り返したり、ニューギニア
やビルマのジャングル歩き回ったり様々でした。極めつけは中国からトルコまで40日間かけてバスで行ったり…、疲れ果てて帰国して4日間目覚めませんでしたナア…。
他にも書き出したら止らなくなりますのでこの辺にしますが、今の職場に来て海外へは殆ど行ってません。ところで前の職場の事ですが、果林さんと大学同窓の方私の職場に
何人かおりましたよ。直接同じチームにはおりませんでしたが、よく一緒に仕事させて頂きました。講演のご成功お祈りします。
び
karinmatasumori
清水さま
お久しぶりでございます!
旅行関係のお仕事をされている方はネタも豊富でしょうね!笑
ジャングル!まさに憧れです!!!ベトナムのメコン川の奥地ででっかいニシキヘビを首に巻かせてもらったこともありますが、さすがに四日間目覚めないという旅は未経験です!
講演頑張ってまいります!
これからもよろしくお願いしますm(_ _)m
「EXILE魂」見た見た!今見たよ〜!「Hand Sign」かっこいいーー!
そのうちEXILEさん達が手話リンガルイベントにゲストで来たりして〜!!
ありえるかもよ〜!
そうしたら、一気に若い世代に手話が広まると思うな〜。
昨日、HandSignの皆さん見ましたっ!
ダンスと一緒に手話、素敵でしたっ!
かりんさんのブログで初めてしりました。
ろう者の方達は、手話歌の事を、半分ぐらいのろう者の方は
あんまり好きじゃないってよく聞きます。
でも、Handsignの方も、最初は手話を取り入れたらおもしろそうって始めたんですよね。手話を始めだしたら、ろう者の人達やろう文化を知って深い言語なんだなって、もっと手話を楽しみたいって。
だから、始めるきっかけは、人それぞれだとおもいます。Handsignの皆さんみたいな人がテレビに出演されるだけで、手話に興味がない人も、 「へぇ~っ(゜o゜;!!」って
思うと思うから。そして、少しでも多くのみんなが、始めていって勉強していく内に、手話の奥深さを知ることになるから。あたしは、これから難聴が進行してくから、手話を勉強しようとおもったけど、周りのサークルのメンバーの方は、ろう者の方以外は、健聴者の方です。だいたい、おばさんが多くて、初めたきっかけは、ボケ防止っ(笑)!
そんな、おばちゃまたちが手話を勉強するにつれて、手話だけじゃなくて、みんなが住みやすい社会を考えていって、すごいなぁって感心させられました。
あたしも、その思いは一緒で、自分が障害を持つ事で、今まで見過ごしてきた部分が見えてきて、自分でもびっくりすることがあります(笑)
手話を始めるきっかけは、どんな形であれ、本物になるんだなと、周りのみんなやあたしの体験から感じました。
おぉ〜ご本人登場!笑
放送みました。手話とダンスの見事なパフォーマンスに脱帽。
ちなみに、OzAさんのブログはこちら↓↓のぞいてみてくださいね。
http://ameblo.jp/0za/
ご覧いただきありがとうございます!?
良い内容でしたよね!
手話リンガルイベントに、EXILE乱入ですか?!ファンの方に突き飛ばされますよ!爆笑
HandSignとのコラボはいつかやってみたいですね!
ちなみに、残念ながら放送を見逃した方、こちらのオフィシャルHPに一部動画が紹介されております!
http://www.hand-sign.com/handsign_website/Welcome.html
いつもありがとうございます!
今度はテレビではなく生で見てみたいですよね。
話は変わって、手話歌をよく思わないろう者がいるのも事実です。
いろんな理由がありますが、「歌に手話をつければ聞こえない人でも音楽を楽しめるでしょ」という一方的な考え方も原因の一つです。
手話をつけたからといって、音楽の素晴らしさを理解できるわけではない。ということだと思います。
音楽に対する価値観は人それぞれ。
中途失聴者などは、昔聞いた歌を、「今どこを歌っているのか知りたい」から、手話が付くことで理解の一助になったりもします。
あられさんもおっしゃるとおり、「きっかけの一つ」としてとらえれば、なんだっていいと思う私です。
歌でもダンスでもお芝居でもドラマでもボケ防止でも(笑)、些細なことがきっかけで、そこから広がる世界が確かにあるのですものね!
今回の番組の中で、HandSignの手話ダンスを見たろうの男子学生が
それまで(聞こえないために)ダンスに興味はなかったけど、彼らを見てダンスに興味を持った!と言っていたように。