河北春秋

 震災から1週間後、中学時代の恩師から手紙をもらった。「大丈夫だったか。あの学区は大きな被害があったと聞いたが…」。学区は仙台市若林区の海寄りの地域▼恩師は宮城県南三陸町の出身だ。「多くの知人や親戚が命を亡くし家を失った」と手紙にあった。そんな状況でも、40年前、最初の赴任校だった地域が、心配でたまらなかったという。その中学校は避難者でごった返していた

 ▼震災の翌未明、白々と明けてゆく校舎の3階から見た惨状は、思い出すだけで鼓動が激しくなる。一面のがれき、転覆した車。海の汚泥で覆われ、陽光にてらてらと光っていた▼この地域では120人以上の死者が出た。生き残った者でも、叫びながら津波に流されていく人を見て、あまりの衝撃に立ち直れない人がいる。生きていく気力を無くし、自殺した知人がいる

 ▼震災直後の光景を思い出せば、今でも平静を失う。何という1年であったろう。しかも復興は道半ばであり、原発事故の被害者を見れば明らかなように、震災は進行中の事態だ▼阪神大震災を体験した精神科医の中井久夫さんの著書にあった。「被災という事態において最も精神に打撃を与えるのは孤立感である」。被災程度は人さまざまだが、手を携えることだけは忘れたくない。

2012年03月11日日曜日

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