2012年2月25日03時00分
あれから1年がたった。京都大の入学試験中、何者かが携帯電話で「ヤフー知恵袋」に問題を投稿したことが判明し、日本中が犯人捜しに躍起になっていた昨年2月……。関東地方の男子高校生がパソコンの前で震えていた。ネット上で起きた、もう一つの「事件」の主人公が口を開いた。
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「全部さらされ、僕は社会的に死んだと思った」。19歳になった男性は、1年前を振り返って話した。
ネット上で「犯人」と名指しされ、名前や学校、写真など個人情報が次々に明らかにされていったきっかけは、ささいな思いつきだった。「真犯人」が投稿に使ったハンドルネーム「aicezuki」を、自分のネット上のIDとして名乗ってみよう、と。
実は男性も、カンニングをした予備校生と同じ試験会場にいた。事件を知り、まずはツイッターに自分の発言として書き込んだ。
《京大は全然監視していないからカンニングしほうだいだったよ(笑)》
一生懸命勉強してきたのに、カンニングする人がいることに腹が立っていた。
それから、いたずら心でIDを「aicezuki」に変更した。掲示板「2ちゃんねる」に乱立していた犯人捜しのスレッド(書き込み群)で、自分のことが話題になるまで、1時間もかからなかった。
《正体判明!》
《こいつらしいぜ》
使いこなしていたネットが牙をむいた瞬間だった。
ツイッターにミクシィ、フェイスブックと、3種類の交流サイト(SNS)を掛け持ちしていた。公開範囲を「友人だけ」と限定していたはずの書き込みがあちこちの掲示板に流され、怖くなって退会した。ツイッターも閉じた。でも、炎は広がり続けた。
《こいつ逃げたぞ》
《やっぱり怪しい》
自宅住所や家族構成、小中学校のときの写真まで、掲示板に貼り付けられた。
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記者が男性に連絡をとったのは、その夜のことだった。パソコン上で何度かメッセージのやりとりをした後、せっぱ詰まった様子で電話がかかってきた。
「ふざけてIDを変えただけなのに、こんなことになるなんて」「自分の知らないところで、自分のことがっ……。削除しないと」
自宅2階のパソコンの前で、増殖する書き込みを読みながら、彼は震えが止まらない様子だった。新たな個人情報が流れるたび、電話の向こうで悲鳴に似た声が上がった。「ああー、また出た。僕は終わりだ」
だが、ネット上の「祭り」が収束するのも、あっという間のことだった。2日後にはネット上の関心は薄らぐ。投稿発覚から5日たった昨年3月3日に予備校生が逮捕されると、ネット界の住民たちは、見向きもしなくなった。報道機関からの問い合わせで事態を知った高校から厳重注意を受けたが、無事に卒業し、大学生になった。
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入学式に行くと、ミクシィで知り合った新入生同士がもう仲良しグループを作っていた。事前にSNSでつながっておかないと孤立してしまうと焦った。すっかり懲りたはずなのに。
「このままじゃ乗り遅れる」。学生生活にとって、ネットは「ライフライン」だ。定期試験の過去問題を先輩に譲ってもらうのも、会合の連絡も、SNS経由。再び使い始めるまで、時間はかからなかった。
「ネットは本当に怖い。痛すぎる経験だったけど、よくわかった」。自衛策として、こまめにアカウント名を変えている。
だが、一度さらされた個人情報は、決して消えることはない。「『2ちゃん』に出てたよね」と初対面の先輩から言われた。いまも、自分の名前を検索すると、当時の書き込みがずらずらと出てくる。
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国公立大の2次試験は25日から全国で始まる。京都大学によると、不正行為対策として、試験監督の人数を増やしたという。(岩波精)
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〈京大カンニング事件〉 昨年2月25、26日の京都大学の入学試験中に、問題がインターネットの掲示板「ヤフー知恵袋」に投稿された。京都府警は同3月、当時19歳だった男子予備校生を偽計業務妨害容疑で逮捕、送致を受けた山形家裁は同7月、不処分とした。京都大のほか、同志社大、立教大、早稲田大でも同様の投稿をしていたことが分かっている。