つなぐ 希望の木
災難を乗り越えてきた木々を、都内に訪ねた。
【社会】心強かった声…会えた 震災時にアマチュア無線で交信
携帯電話もインターネットも使えない中、頼りになったのはアマチュア無線だった。昨年三月の東日本大震災で、岩手県金ケ崎町のタクシー運転手千田(ちだ)智之さん(48)は、宮城県気仙沼市で被災した会社経営佐藤秀一さん(58)と交信。県境を越え五十キロ離れた千田さんが佐藤さんの家族に連絡し、無事を伝えた。震災から一年を前に、二人は初めて顔を合わせた。 (石井宏樹) 「声はしっかり聞いていたのに、なんか不思議な感じですね」「あの時はありがとう」。今月六日夜、懐かしい声の主との“再会”。無線談議も交えて話が弾んだ。 高台にある佐藤さんの家は津波は免れたが、電気や電話は遮断され、道路も寸断されて孤立していた。行政も警察も各地の被災状況を把握できず、混乱していた時期。「気仙沼市唐桑町から。どなたか聞いていませんか、どなたか」。三月十三日深夜、わらにもすがる思いで趣味の無線で何度も呼び掛けた。 それを受信したのが千田さん。「誰か無線で助けを求めているかも」と周波数のダイヤルを回していた。「何かできることはありますか」「仙台に家族がいる。自分が無事だと伝えてほしい」 千田さんが住む岩手県内陸部は電話が通じたため、十四日に仙台市に住む佐藤さんの大学生の長男(21)と宮城県多賀城市の義母(78)に無事を報告。二人の無事も折り返し佐藤さんに伝えた。 その後、ともに仕事が忙しかったことなどもあり、交信する機会はなかったが、震災から一年を機に千田さんが、気仙沼市の佐藤さん宅を訪ねた。佐藤さんは「当時は連絡がつかず、息子らが心配だった。何も連絡手段がなくなった中で、千田さんの声がどれだけ心強かったか」と振り返った。 アマチュア無線の愛好家は全国で四十四万人で、十年前の半分に。五年ごとに更新が必要で、高齢を理由にやめる人が多いという。二人は「アマチュア無線は乾電池や車のバッテリーでも使え、災害時に有効。趣味として楽しみつつ続けていきたい」と話す。 PR情報
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