政府は9日、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の対応に関し、原子力災害対策本部や緊急災害対策本部など7会議の議事概要などを順次公表した。政府は緊迫した状況で多忙だったことなどを理由に、震災関連15会議のうち10会議で議事録を作成していなかったが、未作成への批判を受け、会議出席者のメモや聞き取りをもとに概要を作成した。電力需給に関する検討会合の議事概要からは、菅直人首相(当時)の「脱原発依存」方針をよそに、複数の閣僚が原発再稼働を次々に訴えるさまが明らかになった。
関西電力管内の10%節電要請を決めた昨年7月20日の会合では、大畠章宏国土交通相(当時)が「原発が(定期検査入りで)次々と停止していく状況だ。政治の責任としてこれでよいのか」と指摘。「このままでは電力会社も弱っていく。つらいとは思うが、政府としての方針を示すべきだ」と、原発再稼働を暗に求めた。
自見庄三郎金融担当相(同)は「どうすれば原発が再稼働できるのか。ビシビシと道筋をつけていただきたい。泥をかぶってでもやる話だ」と力説。九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働を菅首相に止められた海江田万里経済産業相(同)は、自見氏の発言を受け「ありがたいお言葉」と述べた。菅氏はこの会合には出席していなかった。
昨年3月13日の緊急災害対策本部第8回会合で、大畠氏は「(被災地への)油(の輸送)が最優先だ。『軽油は足りている』と経産省から聞いたが、見通しが甘いのではないか」と経産省の対応を批判。「米軍に輸送協力してもらってはどうか」と訴えた。
15日の第10回会合で海江田氏は「十分な石油製品が確保できるよう、石油業界に対し強く働きかける」と述べ、石油生産量の確保や民間備蓄の放出による対応策を示したが、燃料不足は改善されなかった。16日の第11回会合では「燃料がどうして届かないのか」(東祥三副防災担当相=当時)、「備蓄をもっと使うべきだ」(玄葉光一郎国家戦略担当相=同)などの批判が噴出。片山善博総務相(同)は「単に呼びかけただけでは事態は解決しない」と指摘した。
経産省は当初、石油生産量を重視していたが、業界への聞き取りの結果、燃料輸送の停滞が原因と判明。震災から1週間の17日の第12回会合で海江田氏は被災地にタンクローリーを追加投入する方針を報告、燃料不足は解消に向け動き出した。【中井正裕、野原大輔】
「これは戦争だ」。9日に公表された原子力災害対策本部の議事概要では、福島第1原発での水素爆発後、玄葉光一郎国家戦略担当相(当時)が悲壮な決意を述べる場面もあった。
対策本部では事故発生当日の第1回会議(昨年3月11日)以降、繰り返し炉心溶融(メルトダウン)への言及があり、実際に3基で炉心溶融が発生、昨年3月12~15日にかけて1、3、4号機の原子炉建屋で水素爆発が起きた。玄葉氏の発言は、最後に発生した4号機の爆発から2日後の同17日夕の第10回会議でだった。玄葉氏は「既に局地戦では負けているが、これから先、いかに負けを少なくするかだ」と述べ、最悪の事態を想定して住民を避難させるよう主張した。
一方、当初から炉心溶融が指摘されていたことについて枝野幸男経済産業相は9日夕、記者団に対し「当時そのことを伝えられなかったのか、いろいろな評価があるだろう」と述べた。
枝野氏は炉心溶融の指摘が「誰の発言か記憶がない」と繰り返し、理由について「直接、住民の健康に影響する放射線量のことにかなり私の関心は集まっていた」と説明した。
事故当初、官邸内の指揮系統や東電との連絡の混乱も描かれている。昨年3月15日午後に開かれた第8回会議では、消防庁を所管する片山善博総務相(当時)が「実務オペレーションの統率がとれていない」と発言。菅直人首相(同)は「(海江田万里)経産相と細野(豪志)補佐官を(東電に)張り付けている。しかしやりとりの歯車がうまく回っていない」と釈明していた。【和田憲二、西川拓】
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議事概要が公表された東日本大震災対応の会議は次の通り。
原子力災害対策本部▽政府・東京電力統合対策室(旧・福島原子力発電所事故対策統合本部)▽緊急災害対策本部▽被災者生活支援チーム(旧・被災者生活支援特別対策本部)▽官邸緊急参集チーム▽電力需給に関する検討会合(旧・電力需給緊急対策本部)▽電力改革及び東京電力に関する閣僚会合
毎日新聞 2012年3月10日 東京朝刊