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もうすぐ1年

あれから1年になろうとしている。

東日本大震災。

震災直後、地元にいない私はこちらの周りの人たちの助けを借りて、支援物資を運ぶなど、出来る限りのことはしてきたつもりだけど、いったん落ち着くとあとは何をどうすれば良いのかわからなくなってしまった。

自分の生活もある。家族のこともある。 (震災や家族のことで休みが多かったという理由で社内的評価が下げられたときは自分の会社を疑ったけど…確かに仕事的には迷惑をかけたからな…仕方ないか!)

正直に言えば、あとは求められなければ動くことができないと思ってる。

旧友からSOSのメールがきた。

震災には直接関係のない話だけど彼女を悩ます理由を紐とくと間接的に震災の影響を感じずにはいられない。
津波にあいながらも生き延び、しかも大変な思いをしながら新しい命を誕生させた彼女に心ない言葉をはく人がいる。

病気を持って産まれた子供を産んだ彼女を罵るらしい。

彼女は自分がそこにいてはいけないんじゃないかと悩んでいる。迷惑をかけるからと。

もしかしたら震災もなく精神的に落ち着いていたら、仕事や生活の不安がなかったら、罵ることも、罵られることもなかったんじゃないか…。そうやって震災のせいにしたいと思うのは私だけか。

彼女の悩み、どうすれば和らげてあげれるのだろう…。私には何が出来るのだろう…。
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2012年1月4日 気持ち切り替えて [頑張る]

お久しぶりです。

なんだか気持ちに余裕がなくてしばらくブログを書けませんでした。

昨年、東日本大震災が私に与えた影響は大きなものでしたが
それ以上に母の死が私の時を止めてしまったようです。

いつかは母が息を引き取ることを覚悟していたし
それで苦しみから解放されるのであれば、とさえ思っていましたが

現実にそうなると・・・

情けないことにもうすぐ3ヶ月にもなるのに、一人でいると未だに泣けてしまいます。

会社の先輩に「色々あって最悪の年だったな」と言われはっとしました。

最悪の年だったんだ・・・。

だったらこれ以上辛いことは重ならないかな。
(実際はもっともっと辛いことがあるのかもしれないけれど)

年が明けました。

新たな年が始まったのだから、気持ちを切り替えて頑張らないと!

少しずつ、またブログを綴っていこうと思います。


10月6日 穏やかな午後

夜中…3時頃、看護師が母に薬を投与してくれた。

痛み止め。

ソファーでうとうとしていた私は看護師に任せ、少しずつ頭が冴えるのを待った。
処置が終わった看護師が部屋を出てから母に近づくと背中が痛いという。

寝ている母の背中に両手を差し込んでマッサージをした。

背中が軽い。

以前は差し込んだ手のひらを数回動かすと手首が直ぐに疲れたはずだったが…。

段々に薬が効いてきたのか眠りに入ってくれたので、私もソファーに戻った。

朝8時頃、薬が切れたのか、また痛い痛いと言い始めた。痛い場所をなんとか聞き出し擦ったりしてみたが落ち着くどころか更に騒ぎ出した。

ナースコールで看護師に来てもらい薬…モルヒネを一時増量をしてもらった。
30分位でお薬効くからね。それまで頑張ってね。

頑張って、は言いたくなかったけど言ってしまった。ごめんね。いっぱい頑張っているのにね。

そろそろ薬が効いてくる頃だが…今日はあまり効きがよくないらしい。
まだ痛がるのでナースコールをし、再度、今度は別の薬を投与してもらう。

やっとうとうととしはじめた。薬が効いたらしい。

午後、九州から姉夫婦と甥が新幹線を乗り継いで到着した。
急なことで飛行機が取れず、今朝一番の新幹線で駆けつけてくれた。

その頃母は痛みから解放され血圧も安定し、片言の会話ができるようになっていた。

姉は仙台の暖かさと母の病状の良さにかなり驚いていた。

私も姉も今回は覚悟の帰省だったからね…もしかしたら間に合わないんじゃないか、と言うほどの…。

天気もよく、穏やかな午後だった。
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10月7日 奇跡の復活?

時間を追う毎に母の血圧は回復を見せている。

親戚がお見舞いに来てくれると初めはおぼろ気で、わかっているのかわからないのか、その判断も出来ないほどだったが、段々に回線が繋がり始めた。

もしかしたら、このまま復活するのかもしれない!

そう思っていた矢先、昼間痛みに悲鳴をあげた。
私はその時まだ家だった。安定している、と昨夜泊まり込んで帰ってきた姉が言っていたので安心して家のことをやっていた。

病室には義兄と姪、甥がいてくれた。
痛みを訴えたとき、とても可哀想で見てられなかったらしい。

ナースコールをし、薬を何回か入れてもらったと言っていた。

私が病室に着いた時にはすやすやと気持ちよさそうに寝ていた。

平熱。
血圧86。
尿の出も悪くない。

痛みさえなければこのまま復活してくれそうだ。
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10月5日 緊急帰省

昼、打ち合わせから帰ってきて席に着いた時、携帯をロッカーの中にあるカバンに入れっぱなしであることに気づいた。
気になりつつもPCのメールチェックとそれの対応に追われた。

一段落してお昼ご飯を買いに行こうとロッカーから財布と携帯を取り出した。

携帯には留守電のマークが光っている。

来た。
すぐにわかった。
きっと父からだ。

3日前に「連休は帰省するよ」と父に連絡した時はお母さんは安定しているから今は無理しなくていい、と言われた。しかし次の日、今週いっぱいかもしれないと先生に言われたから覚悟するように、と父から電話があった。

きっとそのことだろう…。
留守電を聞く。父の低い声が母が危ないかもしれないと伝えている。
すぐに折り返し電話をかける。今朝病院から呼び出され発熱と血圧低下により、もしかしたら今夜が峠かもしれない、と説明を受けたという。
そして申し訳なさそうに私にどうするか尋ねる。

勿論すぐ帰るよ。

覚悟するようにと連絡もらって喪服やら何やら実家に送った時からいつでも帰れるようにしていた。
鞄には普段持ち歩かない色々な物をいれ、仕事はパートナーに任せられるようにしてある。


今、病室は真っ暗。雨空なので月明かりもない。
21時消灯。
ここは個室だから電気をつけてもいいのだろうが、なるべくいつもと同じ環境にしてあげたい。

静かに母の寝息が聞こえるので思ったより怖くない。
朝から来てくれていた叔母の話では昼間はかなり痛がったらしい。
長く患っているリュウマチの骨を裂くような痛みなのか、5月に発見された肺癌の痛みなのかわからないがとにかく痛がったらしい。叔母は自分の姉を気遣い、強くてもいいから痛みが治まる薬を使って欲しいと頼んだという。

そのおかげか、私が病院に着いた時には痛みも治まり穏やかに眠っていた。

呼び掛けるとわずかに反応する。体温36度。血圧70。
とりあえずは明日福岡から新幹線を乗り継いで到着する姉夫婦と孫たちには会えそうだ。

もしかしたら持ち直すかも…なんて思ったりして。
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人それぞれ

連休プラス1日のお休みを終え、出社した。
私の凹んでる気持ちとは全く関係なく、普段通りに時間が進んでいた。

それがありがたかった。

自分も少しずつ日常を取り戻していた。

そんな矢先、驚くニュースが耳に入った。

今年の春入社した新人くんが辞表を会社に送りつけてきたというのだ。
うつ病」という診断書と共に…。

うつ病?数日前までの彼にそんな様子はみられなかった。…多分。

入社してからずっと現場に行かされていてあまり会話する機会もなかったから知らないだけだったのだろうか…。

仕事がきつかったのだろうか…。確か覚える事が多いけど楽しいと言ってたはずだが…。
課は違うから具体的にどうだったのか、わからないが頑張っていたように思う。彼の上司は仕事人間だから、そのリズムに振り回されていた感は拭いされないが。

彼の携帯にそっとメールをしてみた。

直ぐに返事がきた。

こないだの台風の時に葬儀で実家に帰りに(彼の実家は福島市。震災以来ほとんど帰ってなかったらしい) 実家や親戚の惨状を見てショックを受けました。
親戚の家も避難区域になってしまい…。

原因不明の体調不良になり、医者に行ったら突発性の鬱病と言われてしまいました。

しばらくは何もする気力が沸かないです。

とあった。

その上で、仕事もこのまま続けられるか悩んでいた、突然で会社に迷惑をかけて申し訳ない。とも書かれていた。

どれが一番でもなく、色々なことが積み重なってのことだろう。

直ぐに返事をくれただけ、まだ大丈夫かもしれない。
被災地にいる友人たちの気持ちや震災直後(と言っても何日も経ってからだが…)現地を見ている私からすれば、生温いことを言ってんじゃない!と叱咤激励したいところだが、受けるダメージは1人1人違うから選らそうに言うわけにもいかない。

本当は凄くいいたいこといっぱいあるけどね。

中途半端で終わらせてしまった30過ぎの彼がどう立ち直って今後生きていくのか…

余計な心配なのかもしれないな。

ただあまり悲観的にならずに強い心を育ててほしい。
…自分も育てなきゃな。
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ありがとう

地元の友人からメール。

ゆうべ、夜中に無事に帰宅できた、と。

彼女は子供たちと共に車で帰宅中に台風に遭遇した。
道路があちこち冠水し始め、渋滞してきたので、わき道に入ったらしい。
しかしそこも冠水状態。

水没している車を横目に車を走らせたが、これ以上は無理だと判断し
どこかの会社の駐車場に止めさせてもらい台風が収まるのを待つことにした。

完全に水没している車からはいつまでもクラクションが鳴り響き
非常に怖い思いをしたという。
真っ暗ななか、見えない敵と戦わなきゃいけないときの恐怖は
私はまだ経験したことがないほどの恐ろしさだったろう・・・。

そして駐車させてもらっているそこでも水かさが増してきて
乗っていた子供たちが泣き叫ぶのを「大丈夫、大丈夫」と抱きしめていたらしい。

ふとそんなとき、彼女は私と共通の友人のことを思い出したという。
3.11の津波で同じように車で子供たちを抱きかかえながら
命を奪われてしまった友人。

きっと彼女がまもってくれたんだね。

無事に帰宅できてよかった。


9月21日 ほっとしていられない

あ!

次は東北だ。地元がヤバイ!
台風16号は速度を上げながら東北へ、しかも3.11の打撃の残る
太平洋側へ向かっていく。

電車が動かなくなったので、帰宅難民になっている友達を迎えに車を走らせながら、
地元の友人たちに「そっちに行ったから気をつけて!」とメールする。

私は今まで台風をなめていた。直撃された経験がなかったからだけど
結構怖い。
ましてや地震で地盤がおかしくなっている地元に直撃したら・・・

「気をつけて」っていったって、どうすればいいんだ?と自問自答しながら
メールを送った。

返信が次々にきた。

雨漏りし始めた。

乗っているバスが横転しそう。

多賀城の自衛隊付近水没。

車をスーパーの屋上へ避難した。

貞山堀。(3.11の津波で決壊したところ)、未だに土嚢積んでいるだけだからやばいかも。

桜木・明月は下水があふれて車で走るのがやっと。

多賀城を含め宮城全域に土砂災害警報発令中。

多賀城中学校前の45号線、冠水。

多賀城市内、あちこち通行止めー。

蒲生地区は昼から通行止め。

おにぎりにぎった!
(いつでも避難できるように、ということらしい。避難区域地区に住んでいるからいつでも逃げれる
ように身支度するのが癖になっているという)

友人たちのメールは私を更にドキドキさせた。
見えない分、3.11の津波を想像してしまう。

カーナビモニターに移っているNHKの番組で
仮設住宅が床上浸水になってしまった人がインタヴューに答えてた。

「こればかりは天災だから仕方ないですね。」

そうだよね。だけど頭くるよね。やり場のない思いって辛いよね。。。

友達を送り届けて帰宅中、今度は緊急地震速報。茨城震度5弱。

神様、少し落ち着いて!!!


9月21日 台風一過

昔・・・台風一家だと思ってた。台風がすぎると家族の団欒のように明るくなるんだと
幼い頭で思ってた。

昨日の台風15号はすごかった。
早めに帰宅して正解だったけど、叩きつける雨と風に少々心拍数があがった。

自分のいるところが直撃されたのは初めてだった。

自宅へ帰ってきたとき、玄関の鍵を開けようとしたら、遠くから「ゴー」っと
正体のわからない不気味な音がした。
音がするほうに顔を向けるとその音はどんどん大きくなり、身近まで来た時
一気に突風に押しやられた。

は、ハリーポッターみたい・・・

びしょぬれになりながら家に入った。そこからが暴風雨の始まりだった。

8時過ぎ、雨の音は聞こえなくなった。時折風が窓を叩くがそれまでのものとは
違っていた。

外に出てみる。見えない月に反射した雲が切れ切れに見えた。
星も出ている。風が生暖かい。・・・行ってくれた・・・
ちょっと肩に力が入っていたみたいだった。


9月21日 台風接近

お昼を買いに会社の近所のスーパーへ。店頭に売られているお弁当を手に取った瞬間、
ざーっと思いっきり雨が降ってきた。
傘は差してたけど、それでも足元などびしょぬれ・・・。

2時頃、「台風が接近していて帰りの交通手段などが乱れることが予想されるから
仕事を区切れる人は帰ってよい」という内容のメールが総務からきた。

助かる!

たぶん6時ころだろうか、都内に台風の影響が大きく現れるのは。

その前に帰れるのは助かる。
先週の現場で溜まった洗濯物を洗うこともできる!部屋干しだけど。
(まだ半分しか洗えてなかったからね・・・)
明日から実家に帰る準備も出来る!

明日の深夜バスで実家へ帰ります。今回の帰省は母のお見舞い。
たぶん、帰省している間中、ずーっと病院にいることになるかな。

もしかしたらゆっくりと母と会えるのはこれが最後かもしれないから
精一杯べったりしてこよう!


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